田捨女23) 【かな】春
2)若菜
ちからをも入すけふ引なつな哉 春 13
「薺の花」は季語だが、「薺なづな」は季語ではない。「薺摘み」は花が咲かないうちに摘んで柔らかな葉を食することで、その作業は季節を象徴するが、言葉としての「薺」だけでは弱いと捨女は考え、前書に「若菜」と付けたのだろう
よくみれば薺花さく垣ねかな 芭蕉
近づいてよくよく見れば、垣根の根元に見落としそうな小さな白い花が咲いている。
なずな
句意は、春の野に出て朝早くに薺を摘むのだが、もしかしたら摘むべき時期を外してしまったので、「摘み易かった」と言っているのかも。
力をも入ず今日引く薺かな
3)子のひ
引からに野へつけにせぬ小松かな 春 21
前書の「子の日」は「根延び」に掛けて、「ねのび」とも言うが、正月の初の子の日で、この日には人々は野外に出て小松を引き抜いて庭に植えたり、若菜を摘んだりして遊んだ。また和歌を詠み、宴を開いて長寿を願いまた祝った。平安時代から下って、後に正月七日の行事となった。
引き抜いた小松を持ち帰り、長寿を願って根のついたまま家の中に置くそうだ。
テキストでは中七「『野べつけ』がやや難解であるが、『子の日』の『子』を寝に掛ける常套を踏まえて、野辺に放置した小松を連想する」としている。しかし、単純すぎて賛成できない。
「引からに」の「からに」は接続助詞で、格助詞「から」+格助詞「に」である。いくつか意味はあるが、ここでは「~するやいなや」と解し、「二つの動作や状態が相次いで生じる」の意味と採った。すなわち、「引くやいなや」である。
引き抜いた小松を自宅まで持ち帰るとしたら、「引くからに」などとは言うまい。
さらに「小松」は「小松菜」ではなかろうか。小松菜は江戸時代初期に「漬け菜」として登場しているので、捨女のイメージは野沢菜漬けのようなものだったのだろう。
辞書には無いが、丁寧に形を整えたり干したりすることなく、摘んだまま塩漬けにすることを「野辺漬け」とでも呼んだのではないか。
野沢菜漬け
引くからに野辺漬けにせぬ小松かな
4)木のめよりけふれるハ竹のとんと哉 春 23
「とんと」は「とんど」で「どんど」とも言うし、地方によって色々あるようだ。
左義長
中七の「けぶれる」は「煙る」で、とんどの煙と木の芽がけぶる(ほのかに芽が出る)との捨女の好きな「二重の意味」が掛けられている。中七の「竹」は表記上の「爆竹とんど」の「竹」であろう。
「とんど」は小正月のいわば火祭りのことで、テレビでも時折見かけるが、門松、竹、注連縄などを持ち寄って火で燃やす行事であり、「左義長」(三毬杖)は季語ではあるが、「焚火」との違いを明示する句は多くない。
山の神迎へ左義長始まれり 稲畑廣太郎
どんと焼き
https://weathernews.jp/s/topics/202001/140075/
木の芽より煙れるは竹のとんど哉
5)はねならて飛さきてうの吉書かな 春 24
この句も「焚火」との違いは「吉書」で示すしかない。
正月行事は年神さまを迎えるためのものなので、小正月の左義長の炎は迎えた年神さまを送る神聖な火である。そこからの「吉書」であり、その炎で焼いた餅などを食べることで災いを払い、健康を願うのだ。
句意は、「左義長」の「さぎ」からの「鷺」で、その羽(翼)もないのに、書初めの吉書がとんどの火に煽られて舞い上がっている、と。
羽根ならで飛ぶ左義長の吉書かな
反省)前回
大寒波食べ物も減ッたパン買いだ
※ズルは良くない↓
安井金比羅宮
鶯やズルして記す安井宮
うくいすやするしてしるすやすいくう
※しかし、神様に何をズルしたんだろ
京都市東山区下弁天町70
(続く)




