田捨女19)

 

【や】間投助詞 -14

【中七】冬

 

1)散を人のをしみし念やかへり花 冬 206

「をしみし」の「惜しむ」は「をし」形容詞の動詞化した語だが、「をし」には「愛し」「かわいい、いとしい」と「惜し」「無くなるのが残念だ」と二つの言葉がある。解釈では「惜し」としたが、「花は散るからこそかわいい」と「愛し」もありそうだ。

 

「返り花」は季節外れに花を付けることで、単に「かへり花」と言えば桜を指す。二度咲とか狂ひ咲くとかが傍題にあるが、他に山吹や躑躅なども言わないことは無い。

 

テキストには『葉の落ちた枯木に雪が降り積み、まるで花が咲いたようだという』と記載され、積もり始めた雪を「返り花」と見たとするワケだ。

しかし、春に散った桜を惜しむには、すでに小春日和と日が経ち過ぎているのではないか。

 

「『惜しみし念』つまり私たちの花の散るのを惜しむ気持ちが、季節外れに早々と桜を咲かせた」と解釈して不都合はない。

 

散るを人の惜しみし念や返り花

 

2)姫松のかたひら雪やたてうすき 冬 210

「帷子かたびら」はここでは夏用の単衣で、「かたびら雪」とはその単衣の如くに薄く積もった雪とする。

 

「たて」は「伊達だて」で、派手な振る舞いや見栄を張ることを指す言葉で、「伊達者だてしゃ」は派手好みな人、しゃれ者を言い、「伊達衆だてしゅ」は「派手好みの連中」を言う。「のんこに髪結うて野良(遊び人)らしい、伊達衆自慢といひそな男」天の網島・近松などと。

町奴・男伊達

幡随院長兵衛 元和8年1622年~ 慶安3年1650年

捨女 寛永10年1633年~元禄11年1698年

 

この男伊達を真似て、男言葉をしゃべったり派手な振る舞いをする女性を女伊達と呼んだ。句中の「伊達」は「女伊達」かとも考えたが、捨女なら彼女らを嫌うだろうと結論した。さらに、生業に就いているかどうかもワカラン輩を捨女が「伊達」と言ったかどうかもはっきりはしないが、「たてうすぎ」は「寒いのに見栄を張って薄着をしている」とアイロニックに述べたワケで、捨女には時折インテリの臭みが出て面白い。

 

句意としては、姫松と呼ばれるちいさな松を見かけたが、そこに薄く積もった雪を夏の薄い単衣に喩えて、「伊達の薄着じゃん」と楽しんでいる。テキストには「姫」からの連想で『美しく装った女性の姿に見立てた句』としているが、やはり「男伊達」つまり「ダンディー」であろう。※「ゲッツ」はダンディー坂野氏。

 

 

姫松の帷子雪や伊達薄着

 

3)うてハひゝくきわたの弓や雪をこし 冬 217

「うてハひゝく」は「打てば響く」と書き、今の常識では「反応の早いこと」だが、それほどの意味は無いようだ。

「打つ」とは「布を砧で打って艶を出す」行為そのものを指すし、「棉弓で弾く」ことも言う。例えば「打棉の弓… 世の人に秘して横槌にして打ちける程に」永代蔵 西鶴

「畿内綿作の発展」(『日本永代蔵』)-史料日本史(0711)

 

日本永代蔵

 

「日本永代蔵」は貞享5年(1688年)に出版されたので、捨女が盤珪和尚の近くに家を購入し庵を結んだ年である。西鶴は寛永19年1642年頃に生れ、明暦の大火のあった1657年ころ15歳ほどで俳諧師を志した。談林派を代表する俳諧師として名を馳せてから、草子や人形浄瑠璃の作家へ転向している。それなら捨女もその名を知って居たろうし、永代蔵も読んでいたはず。

長持に春かくれゆく衣がへ 西鶴

旧暦4月1日が更衣の日で、夏物を仕舞っていた長持に、今度は春が身を隠しているということか。夏への代替わりの、気分の良い俳諧だ。

長持

 

きわたは「木綿」もめんのこと。単に棉・綿(めん)とも言う。摘み取った状態までのものが棉、種子を取り除いた後の状態のものが綿だが、区別しないことも多い。

 

「をこし」は「おこす起す」の間違いだが、インテリ捨女には仮名文字に不思議な癖がある。

「起こす」とは「自然現象を誘発する働きや動きを驚きと伴に示すこと」で、「噴火を起こす」「地滑りを起こす」のように使われる。「雪起こし」は「雪を呼び込むかのように冬に鳴る雷」であり、「鰤起し」は「鰤の大漁を誘う雷」である。

「起し絵」は夏の季語だが、切り抜き絵を組み立て立体的に「起こして」つまり「立上がらせて」見せる縁日などの出し物だ。今なら飛び出す絵本などもそれか。

 

雪を呼ぶ雷である「雪おこし」の雷鳴は綿打ちの弓の音に似ている、そうだ。聞いたことは無いが、弦を擦るような音か。

 

句意は、「綿を白く柔らかくする作業は、効率的な弓が開発されたとはいえ、それなりにしんどい。その弓の音を聞きながら、ふと気づけば、外には同じような音色で雪起こしのいささか憂鬱な音が響いている。」ということだ。

 

打てば響く木綿の弓や雪起し

 

4)ゑんあうのふすま雪きるや軒の妻 冬 219

「ゑんあう」は「鴛鴦えんおう」、「鴛」はオス「鴦」メスのオシドリ。「鴛鴦の契り」は夫婦仲の良いことの喩えで、「互ひに鴛鴦の契り浅からずして」浦島太郎などにある。

句中の「鴛鴦の衾」は仲良し夫婦共寝の夜具らしいが、物は大きめの掻巻だろうか。

「衾雪ふすまゆき」とは、辺り一面が真っ白になるほど降り積もった雪で、「妻」は「妻の軒」とすべきではあるが、「鴛鴦」の縁語として「軒の妻」と使われているのではないか。つまり捨女は(家の構造上の)妻側の屋根の軒にぼてっと雪が積もっているのを見ているのだ。

作句の時期が不明で、この時の捨女が孤閨をかこつて居たのかどうかワカラナイが、ひとり身になってしまって、寒々しい雪から「鴛鴦の衾」を思い起こしているなら、不憫じゃの。

 

鴛鴦の衾雪着るや軒の妻 

 

5)かた野の桜

晩くても帰りかた野やさくらかり 冬 237

前書は「交野の桜」で、交野市は大阪府と奈良県の県境に位置し、古くから桜の名所だそうだ。「太平記」に「落花の雪にふみ迷う片野の春の桜狩~」とあるところから、昭和47年2月25日に市の木として桜が選ばれた。市の花は躑躅、市の鳥は雉子である。

 

「桜」は春としたものだが、捨女は「落花の雪」を敷いていることをはっきりさせるために、自筆句集では冬に分類したのだろう。捨女が名を成したのは、貞門風なこのような知的遊戯、というか知識におもねった遊びの文芸に於いてだった。

 

句意は、夜も更けたが、雪明りの中に見事な桜を見ている気分が高まって、「帰り難し」帰りたくないと。

季語「桜狩」は「雪見」の代理で、気配は春の如し。

「帰りかたのや」と「交野」詠み込むのは、たぶんいわゆる「名所俳句」で、芭蕉のように「奥の細道」を実際に旅するのとは違って、「太平記」の知識からの作句である。だからなおさら、実際の季節はどうでも良いのだ。

交野の桜

 

晩くても帰りがた野や桜狩

 

(続く)