田捨女5)
国立国会図書館デジタルコレクション『絵本名婦伝』
捨女の俳句は『捨女句集』 捨女を読む会編著 和泉書院を種本とします。
『捨女句集』は編者によって四季の部立てに整理されていますが、この時代の詠嘆が興味深いので切字毎に掲載します。
助詞
【や】間投助詞 -1
俳句ではここで詠嘆するが、この時は後ろに別世界を提示して、前後二物を対比的に競わせる事が多い。捨女が最も多く使った切字で、置かれる位置も多様である。
短歌では他に呼びかけの意味や単に音の調子を整える用い方もあるし、捨女のような古い俳句にはそのような使い方もある。
では以下順に見ていく。旧仮名遣いなどで原文は読みにくいところもあるので、各項の末尾に今風に読み等を付け加える。
まずは、上五の途中に置かれた「や」から。切字とも言えないようだが、意味的には上五ひとかたまりで切れている。
(1)梅や実匂ひやかなるわらひ顔 春 27(27は句集内の通し番号)
梅だ、ほんとうに!微かに色づいた花が開いている。「匂いやか」とは、かすかに赤みを見せる莟で、「笑い顔」はその莟がほころぶこと。
※ 笑う・咲ふわらふ=比喩的に莟が開く。季語「山笑う」も「山咲う」と書くべきと常々思っている。
梅やげに匂いやかなる笑い顔
(2)なけやなけやいまはいつなん時の鳥 夏 105 間投助詞だが、呼びかけの「や」。
「時鳥」と書いて「ほととぎす」。もう出てきて居るはずなのに、なかなか鳴かないほとゝきすに、「早よ鳴け鳴け」と急かしている。相手は鳥のこととて、『いつ何ん時』鳴くか見当が付かない。「なん時」と「時鳥」と掛けている。
「いまはいつなん」の「なむ」は「出でなむ」と未然形に接続すれば「出て欲しい」と終助詞、または完了の助動詞「ぬ」の未然形+推量の「む」で「出てしまうだろう」となる。例えば四段動詞「咲く」なら「咲かなん」「咲きなん」となる。
結局「出づなん」は存在しない言葉なのだが、判じ物なら「いつなん」を「出づなん」(出づ+終助詞なむ)と書いても問題ないのではないか。古い俳諧を渉猟したことがないので、当てずっぽうだけど、こっちの方が面白い。
なけやなけやいまは出でなん時の鳥
なけやなけやいまは出で何時の鳥
ホトトギス
(3)雲や几帳はたかくれたる月の顔 秋 165
この「や」も詠嘆切字より、「雲や几帳」は「雲は几帳なのか?」と問いや反語を示している。その結果「雲はまるで几帳(薄絹をかけた間仕切り)のようだ」と強調することになる。
「はたかくる」は「半隠る(はたかくる)」で、半分隠れるの意味で、その「はた(端)」に隠れて顔を見せない月から、王朝絵巻の御簾の奥の女性を浮かび上がってくる。
テキストでは「はたがくれたる」としているが、「半隠るはたかくる」と濁らないべきかと。
雲や几帳半隠れたる月の顔
(4)ほほえみたるざくろとかねつけぐりと
えむやさくろかねつけくりにゑなるまひ 冬 241
「かねつけてゑみをふくめるかほばせにこよひあふみのおちぐりの本」(出典:仮名草子・獣の歌合)から、「かねつけくり」は落ち栗のことであろう。
「かねつけ」は鉄漿付で、お歯黒をつけること。つまり、「かねつけ栗はお歯黒を付けたように(色づいた)栗のこと」とテキストは解説している。
で、「笑むや柘榴」が「柘榴笑むや」とは異なるはずだが、捨女の意図を分かりかねている。それでも「柘榴が実ったなぁ」との感慨は了解できる。
「え」は下二段動詞う得の連用形の副詞化なので、「ざくろの実が割れた状態(笑む)は、金付け栗のようにはなるまいよ。」と解することになる。
笑むや柘榴かね付け栗にえなるまい
お歯黒
(続く)



