そ田捨女 4)田捨女番外編
さうひして花見わたすや橋のもと 捨女
舞踏シューズの独り言さんが教えてくださった田彰子さんは、この捨女の俳句を書くための元資料としている『捨女句集』の編著者のお一人なのでお名前だけは存じておりました。
田彰子さん
田彰子さんが上梓された句集【田さん】とは奇抜なタイトルですが、以下の紹介記事に記載がありました。以下ご紹介します。【 】で示した引用文中の「右」は「上」と読み替えてください。
【句集名「田(でん)さん」とは人食ったタイトルであるが、面白い。跋文を寄せている坪内稔典さんの命名である。
著者の田彰子(でん・あきこ)さんは、2001年「船団」入会より句作をはじめる。2016年『捨女句集』を小林孔・坪内稔典と共著にて上梓。本句集は第1句集で坪内稔典さんが跋文を寄せている。タイトルは「四百年の空気」。
山藤がふるさとに巻く私にも
桐の花捨女の声を真似てみる
くるくると日傘まわして木の根橋
田さんの俳句というと、私はまっさきに右のような句を思い浮べる。
捨女は田捨女、一六三三年に丹波国柏原(かいばら)に生まれた女流俳人だ。彼女は六歳の折に「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」と詠んだといい、俳句史にもっとも早く現れた女の俳人だ。われらの田さんはその捨女の一族である。つまり、捨女は田さんの祖先だ。
木の根橋は柏原(今の兵庫県丹波市柏原)にある橋。樹齢千年と言われている欅の根がまるで橋のように川にかかっていた。かつてはその木の根を渡っていたようだが、今はその巨樹を保護しており、木の根を実際に渡ることはできない。木の根のそばに人や車の通行する木の根橋が掛かっているのだが、木の根橋の大欅は、柏原という捨女の町のシンボルである。】
旧丹波市役所柏原支所の隣では、樹齢千年とも推定される大ケヤキの根が、幅6mの奥村川をまたいで自然の橋をかたちづくっていて、この木の根橋は、昭和45年に県の天然記念物に指定されている。(丹波観光協会)
https://www.tambacity-kankou.jp/spot/kinonebashi/
別角度から木の根橋・捨女も渡ったか
さうひして花見わたすや橋のもと 捨女
「さうひ」とは、
1)「襲(かさねぎ)の色目」の名で、表は紅色、裏は茶色。夏に着用する。
2)バラ「『階(はし)のもとのさうひ』けしきばかり咲きて」源氏・賢木。
薔薇の花が咲いている光景とも思えるが、夏衣の薄着をして大欅の根元にたたずむ捨女の方が好きだな。
【右のような補足をすれば、先に挙げた三句のあらましを分かっていただけるだろう。四百年近くも昔の捨女の声を真似ることができるのは、とても薄くなっているとはいえ、田さんが捨女の血をひいているから。その血、すなわち田家の系譜のようなものが、故郷や「私」を巻く山藤かも。そして、木の根橋を日傘をまわしてわたる人物は、捨女と彰子が渾然として一体化した人物だ。田さんの俳句には捨女以来四百年の空気があちこちに漂っている。
田彰子さんの家は、400年の俳句の伝統につらなる家系であるらしい。
坪内さんは田さんたちと捨女の自筆句集を翻刻して、二〇一六年に『捨女句集』(和泉書院)を出した。と跋文で書かれている。】
捨女句集帯
【坪内さんは叔父、田季晴(すえはる)さんについても書き、このエピソードがまた面白い。
その叔父は田家の十一世、実業家として成功し、生涯にわたって捨女の顕彰につとめた(柏原の田ステ女記念館などは季晴さんの寄付でできた)。彰子さんはその叔父を敬慕していた。もしかしたら、彼女が俳句にかかわりを持つようになったのは、その叔父を通してのことかもしれない。
私はある時の季晴さんの言葉を覚えている。坪内さん、田家には政治家や実業家などいろんな人がいたが、だれも五七五の捨女にかなわない。言葉や俳句の力はすごいものですな。その話を聞きながら、捨女を顕彰する季晴さんもすごい、と私は思っていた。】
田季晴(でん すえはる)さん
サンキン株式会社の創業者だそうです。
https://www.sankin.co.jp/company/special2/
1911年柏原町柏原のお生まれで、2004年(平成16年)に94歳で亡くなられた。
田捨女直系11代目の子孫(田艇吉、健治郎らの田家は分家)で、散逸していた捨女関連資料を収集、柏原歴史民俗資料館の別館として「田ステ女記念館」を柏原町に寄贈された。
【そういう環境下で俳句を作って来られた田彰子さんである。
あらたまの身の内にある魚の骨
憂鬱は多色刷なり雑煮食う
雪牡丹古墳の匂いする人と
鉄橋の鷺は残暑の形して
さわやかや雑巾のみな名前もち
担当のPさんの好きな句をあげた。わたしとかぶるので楽しくなった。
あらたまの身の内にある魚の骨
句集のはじめのほうにある句である。なんだか人を食ったような一句にもみえる。新年のご馳走に魚があった。骨ごと食べられるような魚を食したのだろうか、そんな骨を「身の内にある魚の骨」などとことさらに言うのが可笑しいが、「あらたまの」という措辞によってその骨さえも粛々とした新春の風雅をまとったように思えてくるのがいい。言ってみれば「正月に魚を骨ごと食べたよ」ということなのかもしれないが、こんな一句に仕立て上げられると、こせこせした生活感覚を脱ぎ捨てて悠揚たる典雅さが正月を寿いでいる。田彰子という人間にこの「雅」はもとより備わっているものなのだろうと思った一句である。
憂鬱は多色刷なり雑煮食う
これも面白い一句だ。「憂鬱は多色刷なり」というところにすでに憂鬱をどこか楽しんでいる精神の余裕を感じる。しかも下五が「雑煮食う」である。大した御仁である。このくらいのゆったりとした気合をもって新年を迎えたいものだ。ほかに新年の句で「初夢や地球を腰にぶら下げて」というのがあって、この句にもびっくりした。正月早々から地球を腰にぶら下げるとは、いったい、どんだけのスケールかと。
踏みつけて親密になる八重葎
これはわたしが面白いと思った一句。八重葎の繁殖力を思えば、そういう親しさの表し方もあるのかとちょっとびっくりするのだが、腰に地球をぶら下げる人かと思うと、それもさもありなんと、その堂々たる人間ぶりにあっぱれと思うのである。「流星をひとつ投げ込み米をとぐ」とうのもあって、なんなのだ、田さんという人間は、天界までも支配する神々の一人なのか、なにしろ400年という時間を背負っている方だ。このへんはドンと来いということなのか。】
『あらたまの身の内にある』と言われちゃうと、私なんぞは拝みたくなりますです。そのお体の中に、食うたばかりの干物の骨とかがあるとは、ありがたいのかそうでないのか、ワカラン。
【本句集を読んでいくと、象の句がところどころに出てくる。これも著者の好みらしい。
砂かける象の鼻より秋深む
雪降るか象のひと声とんがって
象動くたびに現れ仏の座
遠景に花近景に象の鼻
象の眼に春の光のあふれ出す
緑さす象のまなこにいる私
わたしは「春の光」の句が好きである。田さんのことだから、この象は田さんにとって、ペットのようなものなのかもしれない。わたしたちにとっての犬や猫のように。やはりスケールがどこか違うのだ、並みの人間ではないらしい。】
『象の眼に』あふれだす『春の光』は、南国育ちの象への思いやりそのものである。やっと春になったよと象に話しかけている。
『緑さす象のまなこ』と強引に教えられたが、そこに『居る私』ってほんとは誰さ?
田彰子さんは坪内稔典さんのタンポポをしっかり学ばれた方のようだ。
(続く)





