秋彼岸

終バスを待つ山寺の曼殊沙華 あき坊

昨年山頭火を訪ねる旅の途中で立ち寄った防府阿弥陀寺の念仏堂。曼殊沙華は借り物。

 

浮き世では漸く咲きだした曼殊沙華に、蝶々が遊んでいた。なぜか知らないけれど、この組み合わせは時々見かける。揚羽蝶は柑橘系の木に卵を産み付けると思っていたけど、もしかしてこの花もお好みかも?

物憂げに飛ぶ秋の蝶去りもせず あき坊

二日ほど前わが家の白樺に蝶が来て、みつめる私としばらく時空を共有した。今回は曼殊沙華を見ていたら、ふわりと現れたのだ。

 

命の尽きる蝶だったのだろうか、煩悩から逃れ、曼殊沙華を最後の安息地とでもするかのように。

明王の火炎激しき曼殊沙華 あき坊

火炎光背の憤怒は仏敵への怒りだろうが、滅びゆく者への励ましとも思える。落ち着いたらまずは東博へ行かねば。

 

白い曼殊沙華は白と言っても黄色っぽい白だけど、播いた除草剤の影響とも言われていて、どうなんだろう。もし化学物質による突然変異なら、その辺り一面が白い曼殊沙華になるように思えるので違う気がする。

曼殊沙華は3倍体なので受粉はしない。だから、他の種と人工的に交雑させれば、変異種は作れるとするのは妙な話だ。種子を作らない曼殊沙華が新たな種を作ることがあるのだろうか。

白い鯉水面に白い曼殊沙華 あき坊

鯉から曼殊沙華は見えているのかな。

 

花弁の縁が白っぽくなるのは、もしかして老いか。

色褪せの曼殊沙華老ゆ()()の濃き あき坊

若者はいつも濃い。羨ましくもあるが、羨ましくもない。

 

しかし、花の勢いは今を盛りと思わせつつ、白を帯びる曼殊沙華もあるので不思議。

匂い無き女盛りか曼殊沙華 あき坊

フェロモン。スカトールも香水になるワケだし。ジャコウジカの性フェロモンで、嗅ぐとムクムクするムスクの主成分ムスコンも、そのままでは悪臭らしいが、薄めてある濃度に到ると媚薬になるそうだ。

 

いつだったか荒川土手で見た曼殊沙華は、花弁全体の赤に白が混じって妖艶でさえある。なんど見ても美しい。この株を確かめなかったことが悔やまれる。

佳き人と巡り会ひけり曼殊沙華 あき坊

先日両親の墓参りをしたので、子は親を選べないと言うけれど、お二人に感謝を込めて「佳き人」と。

 

 

 

韮の花は隙間だらけが似ているけれど、曼殊沙華ほどの余韻はないね。でも線香花火の楽しさはある。食べた経験はないけれど、食べられるらしい。

花韮や知らぬ農婦と立ち話 あき坊

ウォーキング途中の畑のような野原のようなお庭では、女性がいつも何かしている。季節ごとに花が咲くので、つい話しかけてしまった。

 

他所のお宅だが、紫式部の実も程よく生っていた。ヒトの食性にはなじみが薄いが、鳥たちの冬の非常食なのだとか。

食台につひぞ見かけぬ実紫 あき坊

色が鮮やかすぎて和食には不向きなのか、掻敷(かいしき)のような「食べられないあしらい」としても見たことがない。

そういえば、今まで供されたものはばんばん食べてきた。

隅田川の桜餅の「葉っぱ」は迷ったが、店内に響けよとバリリと食べてしまったことがある。

フレンチの一皿に、ローリエが透けて見えるお料理が供されそのまま食べていたら、同じテーブルの紳士淑女はそれを外していた。…なるほど。

 

p.s. 蜘蛛の孤独感が気に入っているのだけれど

待つだけの恋もあるらし女郎蜘蛛 あき坊

 

まったく自然の掟はすごい、ついにどこからかオスがやって来た。フェロモンが効いたのだとしても、どこに居たのだろう。

これでこのメス蜘蛛ももう一人じゃない。シャンソンに♪孤独と二人連れ などと戯けたタイトルの歌があるけれど、こちらは雌雄のランデブーrendezvous。本来の意味は会う約束とか待ち合わせ場所のことらしい。

I have a rendezvous with a sweet spider on my net.

 

にじり寄る雄蜘蛛ゆるり名告らさね あき坊

好きな貞門流で。万葉集からの「()()らさね」の「さ」は尊敬の意を表す上代語で、「お~なさる・お~になる」などと訳され、「さ・し・す・す・せ・せ」と四段活用する。ちなみに尊敬の助動詞「す」は「せ・せ・す・する・せよ」と下二段に活用する。「ね」は終助詞で期待を表している。