三八九集 山頭火遺稿 大山澄太編 古川書房 昭和52年5月15日発行。

 

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三八九 第五集 昭和八年一月二十日印刷発行

 

茶の木・花

「身のまはり 種田山頭火」-1

1.茶の花のちるばかりちらしてをく

2.しぐれる夜は歪んだ障子

3.いつしか明けてゐる茶の花

4.誰も来ない茶の花が散ります

5.もう冬がきてゐる木ぎれ竹ぎれ

6.寒い身のまはりをかたづける

7.月が、まんまるい月が冬空

8.わらやしづくするあかるいあめの

9.伸びあがり伸びあがり大根大根

10.月がのぼつて何をまつでもなく

11.酒もなくなつたお月さんで

12.あぶない橋をわたれば影

13.風をききつつ冷飯をかみつつ

(整理の都合上番号を打った)

 

2.しぐれる夜は歪んだ障子

「は」とした不条理がおもしろい。なぜこの夜に限って「歪んだ」のだろう。外在する世界は見る者の「見たいように」見える。

 

 

4.誰も来ない茶の花が散ります

ちょっと寂しいか、甘えたり何かを訴えたいときの「ですます」調。

山頭火句集から「ですます」、並べてみるとやっぱり甘えん坊か。

お月さまがお地蔵さまにお寒くなりました 山行水行

いつもつながれてほえるほかない犬です 山行水行

誰にあげよう糸瓜の水をとります  山行水行

長門峡

いま写します紅葉が散ります 旅から旅へ

枯木に鴉が、お正月もすみました 雑草風景

ひつそり咲いて散ります 雑草風景

千人風呂

はだかで話がはづみます 柿の葉

母の四十七回忌

うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 孤寒

青蓋句屋

花ぐもりピアノのおけいこがはじまりました 鴉

あなもたいなやお手手のお米こぼれます 四国遍路

 

8.わらやしづくするあかるいあめの

座五に「の」とあるが、倒置に強調した。雨が明るく見える程、心持ちがよろしいのであろう。「あかるいあめ」とは外の光の中に滴する雨、山頭火は粗末な藁屋の中に居て、上がりかけの雨を見ている。

 

荻原井泉水「自然の扉」大正3年はこう言う。

「自然の印象には体律がある」「言語の微妙な感じを以て此の印象を浮出させるやうに叙したる句法、それが詩としての俳句の律である」としている。ならば、「あめの」の「の」は相応しいか。

その他「の」はどうか、

まこと山国の、山ばかりなる月の 旅から旅へ

落葉してさらにしたしくおとなりの灯の 柿の葉

つゆけくも露草の花の 鴉

これがおもしろいとは到底思えないが。

 

句末の「の」に違和感があるように、「な」も同様に馴染めない。

枯れたすすきに日の照れば誰か来さうな 山行水行

けさは水音も、よいたよりでもありさうな 山行水行

ゆらいで梢もふくらんできたやうな 雑草風景

草のうつくしさはしぐれつつしめやかな 柿の葉

お山のぼりくだり何かおとしたやうな 四国遍路

推量で確信がない時に「な」を使うようだが、第四句「しめやかな」は確信的で、後ろに「うつくしさ」とかを補って読むか。

 

「に」となれば親しいが、果たして山頭火の意図はつかめない。

寒空とほく夢がちぎれてとぶやうに 一草庵

「寒空とほく夢がちぎれてとんだやうな」とでもしそうなものだが。

 

9.伸びあがり伸びあがり大根大根

ぐんぐん伸び出す大根、収穫期の近づく喜びにあふれている。山頭火はリフレインが面白い。

13.風をききつつ冷飯をかみつつ

上掲の両句のような繰り返しが山頭火は得意なので、「山頭火遺稿集三八九集」の最後に別稿で整理することにしょう。

 

(続く)