障子あけて置く海も暮れきる

防府の阿弥陀寺に行って来た。寺に着いたのは午後4時頃だったので、人気は無かった。放哉は『海も暮れきる』だが、11月も中旬になると寺の日暮れはあっという間だった。どんどん暗くなる山寺の足元悪い参道を下山するには、灯を準備すべきと思いしらされた。なかなか良い経験をした。

 

阿弥陀寺に入るにはこの整った石段から仁王門を潜ぐって行く。夕日が当たって門は輝いていた。東の空は青く、光はまだたっぷりに思えたのだが。

 

息を弾ませながら本堂に到着する頃にも青空は在ったし、山には橙色に夕日が当たっていた。山寺なので、様々なお堂や鐘楼は山中に散っていて、ここからまた歩き出さねばならないのだけれど。

 

鐘楼の向こうから、木々を抜けて夕日が見えた。山中のお堂を巡ったが、山頂近くの開山堂と滝にはたどり着けなかった。万一遭難したら、お寺の人から面倒なジジィと嫌われそうだったから。

 

仁王門へ下る途中で振り返ると、周りが整えられているからか、暗がりに山門は浮かんで見えた。

 

門前にやって来る終バスの時刻表は入山前に確かめていたけれど、そこに人っ子一人見かけず、無音の中にどんどん闇が深くなって本能的に怖かった。

 

 

さて、「尾崎放哉著荻原井泉水編「俳句集大空」を底本とする「放哉」日本図書センター本を読んでいるので、「須磨寺にて小浜にて京都にて」「小豆島にて」と並び、俳句は「層雲」収録順に配置されていると考えて不都合は無いとしよう。

 

「小豆島にて」の最後は

春の山のうしろから煙が出だした

である。辞世の句より絶句と呼ぶべきかもしれないが、この後には何も無い。

この句の直前には

すつかり病人になつて柳の糸が吹かれる

その前には

婆さんが寒夜の針箱おいて去んでる

やせたからだを窓に置き船の汽笛

一つの湯呑を置いてむせてゐる

以上五句がどのように井泉水の元へ届いたかは知らないが、とても静謐な心持を想像させる。

 

で、

咳をしても一人

は、「放哉」p.85~p.120までの216句中の130番めp.104に登場する。「小豆島にて」の句の2/3辺り。

 

「須磨寺にて」では

秋風のお堂で顔が一つ p.41 と「一」の初出、同じページに

わが顔をぶらさげてあやまりにゆく p.41 があるが、「一人」ではなく「顔」が一つである。

 

曇り日の落葉掃ききれぬ一人である p.48

ここでようやく放哉の「一人」が現れるが、まだ「無力な一人」ではない。

 

「須磨寺にて」の「小浜にて」では

一人分の米白々と洗ひあげたる p.70 と、単なる数詞「一人」である。

 

「小豆島にて」

すさまじく蚊がなく夜の痩せたからだが一つ p.88 

小豆島に移って、弱り始めた体を実感するようになって、「一つ」は漠然とした死を前にする自己を指すようになった。

 

海風に筒抜けられて居るいつも一人 p.91

ここへ来て、孤独に気付いた。シャンソン「♪孤独と二人連れ」には妙な呑気さがあるが、そんな他人事感もまだ漂う。『いつも』には余裕さえある。

 

月夜風ある一人咳して p.101

掘立小屋のような住いの障子を開け放って月を見ているのか? 風に冷やされた体は咳き込まずにはいられなかった。放哉はこの時は誰かに助けて欲しかったのだ、甘い。助けて欲しい反動に「一人」が口をついた。

 

咳をしても一人 p.104

しかし、頼っても「誰も」来やしない、仕送りも期待できない。何もない部屋に、辛辣な咳が響くだけ。その音を放哉自身が聞くだけの暮し。

 

墓地からもどつて来ても一人  p.106

墓地へは法事の後片付けか、仕事で行ったのだろう。お疲れさまと声をかけてくれる人も居ない。

ここで不憫な奴と思ってやったが、次には

恋心四十にして穂芒 p.106

なんと丸い月が出たよ窓 p.106

じゃぁ浮かれてろ、勝手にしろ。

 

よい処へ乞食が来た p.108

ふざけた事を言う。

 

そんなワケで、「咳をしても一人」には「月夜風ある一人咳して」が念頭にあった気がする。しかし、推敲の結果とも思えず通過点の気配さえあるのは、「墓地からもどつて来ても一人」が続くからである。核心的な思いは本人に訊いてみなければわからないけれど。

注;句集「放哉」には索引がないので、何かのために後ろに記した。