黄葉期市電の網を黄ばめたる(馬酔木)」

 

10 「~や~終止形」「~や~連体留め」「~や~よ」「~や~は~ばや」その他

 

栃の葉や古雪を描き捧げらる(風切) 

『捧げ未然形+らる助動詞終止形』で、誰からかは不明だが「らる」は受身。

「や」の前には季語を置くことが多いが、『栃の葉』が季語ではないので、『古雪』が季語らしい。ただそうすると、「絵の中の古雪」とは微妙なことになる。

古雪もいまは暮れゆく水芭蕉 水原秋櫻子

秋櫻子は『古雪』を軽く扱って『水芭蕉』を季語としている。

なので、波郷は『古雪』にも季語の思いは無く、「栃の花」を夏、「栃の実」を秋として、「栃の葉」を「春」の意図のもとに使ったのではないかな。

栃咲くやまぬかれ難き女の身(雨覆)

『栃の花』と言わずに『咲く』が「夏」を暗示する。

 

蚊帳干すや秋のトマトは臥して熟るゝ(馬酔木)

『蚊帳』も『トマト』も夏なのに、『秋のトマト』と一気に秋へ連れ出される。そうなると、『蚊帳干す』とは使い終わった蚊帳を片付けるために「干す」のかと秋か。「~や~連体形」は普通は疑問・反語の意味なので、その影をひきずるかもしれない。

 

青梅や怠りて子に蔑さるる(酒中花) なみさるる

「~や~連体形」では、「青梅」に詠嘆しながらも、どこかアンニュイな反語のニュアンスがある。苦笑いをする波郷か。

 

 

(昭和9年らしい↑)

黄葉期市電の網を黄ばめたる(馬酔木)  

問題作。「ばむ」は接尾語で四段活用する。まづは以下に活用と例句を。

≪未然形≫

黄ばまずに散口のたつ紅葉哉 田川鳳朗

『散口のたつ』とは、「散り始めが見える」という事か。

≪連用形≫

若葉して水白く麦黄(きば)ミたり 与謝蕪村 

(山々は)若葉の季節、(山を下る)川は清々しく白く、(里の)畑は実りの黄色。陰陽五行説の青白黄を詠み込んだか。

黄ばみたる引揚名簿曝しけり 石塚婦み女

「たり」にの前では連用形『黄ばみ』となる。

常くらき臭木の葉より黄ばみけり  百合山羽公

天離る百合の下葉のうち黄ばみ  太田鴻村

『けり』にも同じ連用形、句末を流す時も連用形。

≪終止形≫

書架の上のマルメロ黄ばむ昨日よりも(春嵐)

噴水の燦たり樹々はいま黄ばむ(鶴の眼)

噴煙の燦たり樹々はいま黄ばむ と季重なりを避けて手直しがあるかもしれないが、石田波郷全句集には見当たらず。

≪連体形≫

人伝のごとくに枇杷の黄ばむかな 青山丈

≪已然形≫

一枝一枝撓め黄ばめりかりんの実 右城暮石

完了「り」の前では已然形『黄ばめり』となる。

梅の実の黄ばめるを食ふわが妻と 山口誓子

胴ぬきの黄ばめる絹や土用干 石川桂郎

『黄ばめる』は「黄ばめ+完了り連体形る」で、『黄ばめるを』は「黄ばんだ(梅の実)を」となり、『黄ばめる絹』はそのまま絹を修飾する。

≪命令形≫

「黄ばめ(よ)」は見つからず。

≪撥音便≫

整列兵のように黄ばんで開拓史書 伊丹公子

浮氷寝藁いよいよ黄ばんだり  波多野爽波

『黄ばみて』は『きばんで』、『黄ばみたり』は『黄ばんだり』と「て」が濁った。

きみにふれたことばの端が黄ばんでゆく 伊藤利恵

『黄ばん』の音便形ではこの句が一番好き、今風とでも言いますか。これを俳句とするかしないかで意見は分かれそうだけど。

≪名詞化≫

霜にこげし松の黄ばみや寒の明け 室生犀星

 

 

ちょっと脱線だが、例えば「ちりばむ」

「塵ばむ」は「塵+接尾語ばむ」の四段活用する。俳句の使用例は見つからなかったが、「たり」が付けば「塵ばみたり」となる。

「鏤む」は他動詞マ行下二段活用、「鏤めたり」である。

垂れ髪を雪にちりばめ卒業す 西東三鬼

瞳に夢を鏤めたるや卒業子 面白くないな

ちなみに「~ばむ」

1.「こばむ(拒む)」は他動詞四段活用で「拒みたり」である。

駅柵は泡立草を拒みたり 山口誓子

2.「せばむ(狭む)」は他動詞下二段活用で「狭めたり」である。

月下にて流氷湾をせばめたり 有働亨

 

という事で、「黄ばめ」は「黄ばむ」の已然形と分かった。連用形を要求する「たり」の前では「黄ばみ+たり」としないと文法的には変調だ。

黄葉期市電の網の黄ばみたる』とするか、

黄葉期や市電の網の黄ばみたる』と「や」を切字を入れるか。

黄葉期市電の網の黄ばめるや』と句末に「や」を置くか。あるいは

黄葉期市電の網を黄ばましむ』と「を」を残すのも可能だが、こうすると「期」をなんとかしたくなる。

 

 

悼中村鶴子夫人、三月六日病床に訃報をきゝて

鶴引くや翔たぬ鶴あるかなしさよ(中村鶴子句集) 

大波寄せる荒海のようなリズム。「~や~よ」は珍しい。

 

蔓ばらや児のゐる家は目覚ばや(酒中花以後) 

願望の終助詞「ばや」は切字ではないが、「~や~は~ばや」と抱字が入っていることで安定した。意味は「目覚めたいものだ」となる。句集酒中花以後はあき子さんによって編まれた遺句集なので、『児のゐる家』とはご子息かお嬢さんのお宅で、お孫さんがいらっしゃるのかもしれない。

「目覚む」は「(朝に)目が覚める」ではなく、「(目が覚めるような)新鮮な思いがする」意味かもしれない。

 

雪柳ふゞくごとくに今や咳く(惜命) 

下五『今や』は「今+間投詞や」が副詞化したもので、切字の「や」ではない。意味は「今まさに」である。

『雪柳』は春、『ふゞく』は冬、『咳く』も冬だが、『ふぶくごとく』と薄め、『せく』と読ませて「咳」「しはぶく」から遠ざけて季語感を減じているので、季語は『雪柳』として読む。