≪母-2≫

 

 

遥かなる伊予の国幾年会はぬ母を思ふは

なみだしてうちむらさきをむくごとし(雨覆)  

『うちむらさき」四国名産ざぼん

 

蝶燕母も来給ふ死に得んや(雨覆)

波郷は手術前に、遠路はるばるお母さまにお見舞いいただいたのだろう。ありがたくて、どうして死ぬことができようか。『蝶燕』とは「ムラサキツバメ」のことで、西国に多いシジミ蝶の仲間。11月ごろまでは成虫が見られるそうだ。季語「蝶」とすると時期的に無理があるかも。

 

年越や几の上に母の銭(雨覆) 

机の上にはお見舞いに頂いたか、母親から頂く久しぶりの銭。

 

橙に貝殻虫母は老いしかな(雨覆)

活動量も減り、目も悪くなり、それが老いと言うものだ。橙は波郷の実家に植わっていたらしく、少年の日々に遊んだ無花果の木と同様に、ふる里を暗示するかの感あり。

 

 

 

母来れば沓脱石に蟻出でぬ(惜命)

「惜命」昭和25年刊。妹たちも波郷を頼って上京して来るので、母親も時折上京されたようだ。

 

頬白の咽喉母のこゑ専らなり(惜命)

『頬白の咽喉』とは鳴き声か?

 

https://www.youtube.com/watch?v=7A_m4KmVh-4&t=46s

 

 

彼岸花父の病を母嗣ぎき(春嵐) 

「春嵐」昭和32年刊。母上も同じご病気らしい。

 

病む母が倦みゐむ枯野なつかしき(春嵐)

ご病気の母上は力なく弱っているだろう、母の居るふる里を思い浮かべると、幼いころに遊んだ野は枯野となって懐かしくもある。

 

石蕗に蝶茶の花に虻母寧し(鶴) 

石蕗・蝶・茶の花・虻と並べて、なんだか自由奔放にご機嫌さん、お母さまの体調宜し。

 

母病めり橙の花を雀こぼれ(春嵐)

「こぼる零る」は自動詞。「散り落ちる」ようなイメージだけど、雀が遊んで橙の花を散らしたでは無理がある。

こぼれてはこぼれては群れ春雀  河野 真 群れからはみ出す意味のようだ。

 

病母の妹どちも老ひ集ひて

かなしくて馬鈴薯を掘りさざめくも(春嵐) 

『母の妹どち』叔母さんたち。集まってじっとしているのも辛いので、馬鈴薯掘りを口実に畑へ出て、喋るでもなくざわついている。

 

病母睡て茶の花散れり炉の中に(酒中花)

病臥して、うつらうつらとされている。

 

 

危機を脱せし折の亡母の言葉ゆくりなくも思ひ出でければ

死なざりしかばはづかしと石蕗の母(酒中花) 

集まってもらったのに、死に損なって恥ずかしいと母。『しか』は「き」の已然形。

 

母の眼の裡にわが居り石蕗の花(酒中花)

閉じた瞼の裏には自分がいる、こんなにも案じてやって来たのだから。臨終の場面とすると迫力あり過ぎなので、違うだろう。