渡邊千枝子さん

ヒヤシンス今日はむらさき声のみして(酒中花以後)

珍しくも紫色のヒヤシンスを見舞いにお持ちになったが、なにやら一声掛けてさっさと帰ってしまった。メタファーとしての紫でもあるまい。

 

渡邊千枝子1925-?は馬酔木同人、編集にも携わった。

うつし身の逢ふ日なからむ賀状書く 渡邊千枝子

この先お会いすることはなかろうと思いつつも、年賀状を書いている。

 

亡き人は海歩み来よさくらどき 渡邊千枝子

年齢から戦争との関係はあいまいだが、さくらに曳かれて戦死された人を思った。

 

  

大野世思子さん

諸葛菜窓塞ぐかに活けくれぬ(酒中花)

単調な病室に、華やかに活けてくだすった。病室の窓はかなり広いのだが、それを塞ぐほどに。

 

村の子の面輪似通ふ開帳寺 大野世思子

御開帳の意味は分からずとも、子供たちはお祭り気分で寺にやって来た。彼らの顔を見ると、なんだかよく似ている。書かれてはいないが、村ごとに体つきも似るものだ。

 

 

澤田しげ子さん来

癒えて来よと難波蘆ずしを賜はりぬ(馬酔木)  

この蘆鮨とはどのようなものなのだろう。鮒寿司のような熟れ鮓を言っているのか。柿の葉鮨は製造後3日は持ちそうなので、こちらの可能性もある。しかし、難波と限定だし。

「元気になったら遊びに来てね」と旅に誘われた、難波に行かねば。

 

澤田しげ子 馬酔木同人≪及川貞 ・杉山岳陽・ 林翔 ・ 殿村莵絲子・ 馬場移公子・澤田しげ子・ 石田あき子・渡邊千枝子 ≫な感じで。

一葉忌  澤田しげ子 が、十一月号はわかったけど年度不明の馬酔木に掲載されている。

 

ためらひつ我が物ばかり買初に 澤田しげ子

子供や家族のものに行かないところが、立派。

 

菜園に咲く毒草のとりかぶと  澤田しげ子

思わせぶりな句だが、何事もあるまい。

 

はまなすや湖に影ゆく親仔馬 澤田しげ子

人が乗らない馬二頭を思い浮かべた。

 

≪コラム1≫

今朝は図書館で杉田久女に没入して評伝を読んだので、石田波郷は停滞したが、反動として秋櫻子の言っていることがよく分かった。

昭和6年馬酔木十月号のいわばホトトギス離脱宣言では、俳句結社は『宗教に対する盲信のようなもの』ではなく『作者の集団』であるべきとの主張だった。当時は句集を出す時には虚子選の句ばかりを集め、その上で虚子から序を頂くのが慣例であった。秋櫻子はそれを外してしまった。杉田久女は虚子に疎まれても序を欲しがり句集を出せなかった。久女は昭和7年にホトトギス同人となったが、昭和11年には草城、禅寺洞と久女の3人が『同人削除』となった。前二者はご本人たちがそれぞれ異端を自覚していたが、久女には青天の霹靂であった。不憫な久女は実質的には昭和14年で俳句作家を終了している。

 

≪コラム2・石田波郷の推敲の跡≫

読み手を意識してもあるだろうが、波郷といえども後から手を入れているようだ。

 

るゐるゐと蟇交み手術延びてをり(惜命)

蟇交むるゐるゐとして瞳を泛べ(小説新潮)

『手術延びてをり』で気が散るが、俳句としてはこっちが好み。累々の修飾関係が『蟇』から『瞳』へと変更になった。

 

 

明治節乙女の体操胸隆く(鶴の眼)

明治節乙女の干し物路地高く(馬酔木)

うら若き女性が何を干したかは秘密だが、明治節を祝う国旗に負けぬ高さに翻っている。

 

天地に妻が薪割る春の暮(惜命)

天地に妻が薪割る春の雁(定本石田波郷全句集)

春の雁は帰りそこなった雁だ。いくばくかの不安と共に仲間を見送った。