石田波郷を通読してくると、青春時代の溌溂とした俳句で始まった後の兵役や闘病を縦糸に、家族、句友との交流を横糸に織りなす俳句世界があり、時には新興俳句のような挑戦も見られるが、常に実生活から詩を切り出している。

 

石田波郷は、『俳句とは境涯を詠ふものである。境涯とは何も悲劇的情緒の世界や隠遁の道ではない。また哀別離苦の詠嘆でもない。すでにある文学的劇的なものではなくて、日常の現実生活に徹しなくてはならない』(鶴・昭和十七年十一月号)と定義している。この主張に最も近い俳人は石橋辰之助であった。

 

 

石橋辰之助を夢みる

亡き友を夢みて仰ぐ露の鳥(酒中花・器)

『故石橋辰之助は私にもつとも近かつた先輩且つ友人だ。私が清瀬にゐる時、俄に栗粒結核で死んでしまつた。それだけに深夜一人憶ふ時その死が信じられないときがあつた。』(石田波郷)

 

石橋辰之助に

雪山の足跡誰も青き洞なす(俳句研究) うつろなす

辰之助追悼でなく生前に作ったものとして、彼への共感の表明として読みたいが、「足跡」とあるのでやはりその後の話か。

 

繭干すや農鳥岳にとはの雪 石橋辰之助

自給自足ではないにしろ、山に生き山に生涯を委ねた人だった。

 

 

石橋辰之助の訃をきく

頬に蠅つけ睡れる者は縁由なし(惜命・器)

1948年死去、40歳。同病ではあったが、彼は生き延びることができなかった。生にも死にも理由はない。

 

石橋辰之助未亡人

涙はふるまゝに冬日の未亡人(惜命)

涙の溢れるまま未亡人となった奥様に、冬日の薄い日差しが降りている。皆、押し黙ったまま。

 

石橋辰之助を憶ふ

故友亡きこと除夜時かけて肯ふも(春嵐・器)

「除夜時かけて」を「除夜の鐘を聞きながら」とすれば、古い友人がもう居ないことは除夜の鐘を聞きながら年も改まってようやく納得するけれど、本心では承知できないでゐる。

 

煙草火を消せよ雪嶺暁けんとす 石橋辰之助

冷え切った早暁、山は白い肌を見せつつ赤味を帯びてくる。明けきる前の神秘的な時間帯だ。これから始まる一日の労働を思えば、せめてこのひと時は煙草なんぞの下世話な灯は消しておくれ。

 

辰之助恋へばひしと恋しや蜥蜴交む(鶴)

蜥蜴がつるんでどうする気?と聞きたいが、当事者でなければワカラン。

波郷が「蜥蜴交む」を使った句には、

蜥蜴交む橡の木洩日賜りて(酒中花) 

蜥蜴交む揚羽はひとり舞ひ狂ひ(酒中花)

などあるが、「蜥蜴穴を出づ」と読み替えていいのかな?

 

 

石橋辰之助1909-1948 生まれ。22歳のと時馬酔木に参加し、1933年同人。プロレタリア俳句運動に励んだ。プロレタリア俳句は自由律俳句の一分野のように思っていたが、石橋辰之助を読む限りそうではない。反権力の政治的な思想性も想像されるが、天香1939創刊仲間であった西東三鬼、秋元不死男らとはそこで袂を分かったようだ。

 

編集同人は逮捕され、3号までで廃刊となった。治安維持法という恐ろしい法律があった時代。今も公安はなにかと活躍しているけれど、もっと露骨に弾圧した。

 

霧の夜のひとつ灯さげて牧舎出づ 石橋辰之助

昭和9年の句だが、石橋辰之助は上信国境神津牧場で働くプロレタリアートだった。労働と無関係な花鳥諷詠に遊ぶのではなく、その労働の中に詩を見出した。波郷の境涯俳句と相通じる世界である。

 

暁かけて牧場より駄馬にて軽井沢に牛乳を運ぶ

眞夜を立つ牧夫に霧の牧ひそか 石橋辰之助

牧人ゆえか為す句を高原俳句などと呼んだ人々が居るそうだが、カテゴライズのセンスのなんと悪きことか。女性の俳句を台所俳句と呼ぶような、ある種の蔑視、下等に置こうとする意図を感じる。

 

その中で、石田波郷とは共感しあうものがあった。しかし、生活空間が違い過ぎて日常空間ではあまり接触がなかったようである。戦後まもなく亡くなられたのもあって、彼が波郷を見舞った痕跡は見つからなかった。

 

 

石橋辰之助の俳句はなんど読んでも清々しい。

短夜の扉は雲海にひらかれぬ 石橋辰之助

「扉→開く」はつまらないが、雲海が早い朝を開く場所は、避暑地ではなく日常の労働の場。

岩を攀ぢ天の夏日の小ささよ 石橋辰之助 よづ上一段

険しい山々に囲まれる空は小さい。

雷鳥や雨に倦む日をまれに啼く 石橋辰之助

「を」は「の」と並んで俳句特有の使われ方をする助詞。「に」としたらぶちこわし。

秋の蠅吹けども立たず搏つほかなし 石橋辰之助

一応吹いて警告した、逃げて欲しかったけれど。

栗の花照れど曇れど水うまき 石橋辰之助

牧場の労働はきつい。都会暮らしにこの旨さはわかるまい。

谿ふかく秋日のあたる家ひとつ 石橋辰之助

谷を見下ろせば、人の気配のしない家。やがて夜の闇に飲み込まれてしまう。

父母の墓炎天の真只中に 石橋辰之助

父母の墓も山間にあるのだろう。仕事をしながら、通りすがるかもしれない。

 

追記;

藤井青咲君来

黙涼し牛飼君と真向かへば(酒中花)

神津牧場竹村監督邸

霧の草コリーとぬれて散策す(馬酔木)

麓人居訪問む道べに幟かげ(村山)

後になって、故石橋辰之助の句友を訪ねたようだ。