加藤楸邨は中村草田男とともに石田波郷の同士と言える。
明治38年1905年生まれ、平成5年 1993年没。楸邨は波郷の8歳上、草田男の4歳下。
加藤楸邨大人かつて共に遊びし木曾蘭(アララギ)の檜笠を呉れる
病室に懸けて春立つ檜笠(松濤)
先輩を敬って「加藤楸邨大人」とした。お土産用ならお飾りだが、この檜笠は実用品なのだろうか?傘には「同行二人」と書いて泣かせたりはしないだろうな。
東品川
楸邨ありや祭の中を跼み行く(雨覆)
楸邨は居るかなと、祭の賑わいをかき分けながら進んだ。都合も聞かずに訪ねるほどの親しい仲と思える。跼み行く(こごみゆく)とは身を屈めながら、「ごめんなすって」と言う感じだろう。
一人静に跼めば寄りぬ老園丁 石田あき子
奥様の跼む姿の方が美しいが、楸邨を訪ねたこの日の波郷は若かった。
石田あき子さんの俳句を読むうちに、すっかりファンになっちゃって。
鰯雲ひとに告ぐべきことならず 加藤楸邨
寄物陳思に拘るワケじゃないが、ここ迄モノから離れるのは勇気が要る。失敗すると標語になっちゃうし、思い付きでならいくらでもだらだら書けるし。
内容的には、俳句に露悪・独白は魅力的ではあるし、読み手をはっとさせる働きもある。
「ひとに告ぐべきこと」が普遍性を獲得している本句は成功例としよう。
木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ 加藤楸邨
昭和23年病臥の作で、病状の一進一退を「いそぐなよいそぐなよ」とリフレインで示した。散り続ける木の葉を見上げながら、自分自身へ言いきかせてもいる。その意味で内なる叫びである。
花しどみ五十の草田男若々し(惜命)
ひと回り上なのに、しどみの真っ赤な花の如くに若々しい。草田男は奥さん大好きで健康的だから、発散するオーラもバリバリなのだな。
蜩や草田男を訪ふ病波郷(雨覆)
卑屈なわけでもないだろうが、無病草田男を病む波郷が訪ねた。この言い回しが通じるような洒落の分かる人なのかな、お互いに。
草田男氏夫人と共に見舞ひ給ふ 二句
驟雨を伴れ来し病まざる草田男その夫人(惜命)
驟雨過の松の点滴浴びゆくや(惜命)
「病まざる草田男」といつも眩しく映っている。その奥様ならきっと彼女も。
一雨降って晴れ間が見える頃にはお二人はお帰りになった。雨上がりの松はさぞやキラキラと美しかったろう。自分はと言えば、キラキラと光る点滴瓶へと急ぎ向かうのだよ。
某日
草田男過労西日の椅子にタゴりつつ(鶴)
彼とて疲れる時もある。うたたねの真っ最中。「タゴる」とはタゴールの瞑想から坐睡の意味だそうだ。死語だね。
草田男の秋日曜の胸白き(雨覆)
涼しくなり始めているのに、草田男は胸をはだける服装をしている。元気溌剌。これが草田男流の見舞いの作法なのであろう。波郷は今日も圧倒された。
手毬唄草田男立子継ぎ合ひて(読売新聞江東版)
星野立子1903-1984は虚子の二女で、草田男と歳は近い。「継ぎ合ひて」とは、「誘い合わせて」でいいのかな。
昔、女子はゴム鞠をつきながら歌の最後に、その鞠をスカートの中に隠すように収納した。男児は鞠つきを遊ばなかったので、手毬唄は未知の世界でよくワカラン。
草田男は愛妻家
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る 中村草田男
あまりにあからさまで、色気も薄れ、文句の言いようがない。せかせかと急ぎ足だったのだろう。
石川桂郎の「妻が来て湯をわかしをり昼寝覚」と比べると、エロスというか言わば文芸性に乏しい。その分、俳句の切れ味は宜しい。
妻二タ夜あらず二タ夜の天の川 中村草田男
不在の二夜は空を見続けていた。眩しいほどの天の川に、出会いを叶える彦星と織姫とを見出して寂しさを募らせている。ここでもエロくはないが、切迫感はある。
虹に謝す妻よりほかに女知らず 中村草田男
虹は幸運のシンボルか。この妻と出会えて本当に良かったとぬけぬけと言い放つ。ある種の露悪趣味なのだろうが、何か不始末の後始末ならそれも愉快だ。
曼殊沙華落暉も蘂をひろげけり 中村草田男
草田男はホトトギスの人。真っ赤な曼殊沙華は蘂を精一杯広げている。沈みだした太陽も放射状に光線の蘂を広げている。だからなんだと苦情もあるだろう。
蚯蚓なくあたりへこごみ歩きする 中村草田男
「あたりへ」とは心象風景だろうか。それに、背を向けてこごみ歩きをしているのは誰だ? 自分はそこから遠く、こごみ歩く人を見ているとでも。
句中に切が無いので飛躍が無い。数は少ないが、ある。
手の薔薇に蜂来れば我王の如し 中村草田男
白鳥といふ一巨花を水に置く 中村草田男
上野図書館
草田男斌雄頭上黄葉も寄り合へり(馬酔木)
図書館集合!で、なにか打ち合わせや準備があったのなら、ちょっといい感じ。
中島斌雄1908-1988
馬酔木に投句していたようだが、一時中断した後1946年「麦」創刊。波郷とはあまり接点がないようだ。
稲架の棒芯まで雨を吸ふ頃ぞ 中島斌雄
稲扱の済んだ田に残る稲架の棒が、やがて片付けられてしまうまで野ざらしになっている。折から秋の長雨で景色は曇っている、絵画の様で好きな句。
雲秋意琴を売らんと横抱きに 中島斌雄
雲に秋の愁いを感じている。女房の琴ならちゃんと許可を取ったのか聞きたださねば。
多摩近く星多きわが露台かな 中島斌雄
「近く」「多き」と鑑賞しずらい一句。