五月二日の荷風葬の夜、銀座卯浪にて傘雨宗匠に遭ふ
水洟の酔ひか嘆きか若布和(酒中花)
この句の他に波郷は荷風を語っていない。仔細に点検すればあるかもしれないが、それは伝記作家に委ねよう。
若いころ永井荷風の「アメリカ物語」にはびっくりさせられた。「墨東綺譚」はよくわからず歳が行ってから再読した。まるきりの作り話なのか、事実に沿っているのか、不思議な話。「断腸亭日乗」はおぞましくて、好きじゃない。
荷風は実生活でも教授職を追われたりいろいろややこしい人だったらしく、結果的に戯作者として生きようと腹を括った人なので、波郷は近づきたくなかったようでもある。荷風がなぜ読み捨てられる「戯作」へ傾斜したか内面的なことは不明だが、彼の小説は久保田万太郎によって戯曲化され、舞台にかけられてもいる。ともかく荷風は一流作家として文化勲章を受章し、日本芸術院会員にもなった。その荷風のいくつかの俳句を波郷と比べてみよう。
正月や宵寝の町を風のこゑ 永井荷風
暫の顔にも似たりかざり海老 永井荷風 「暫しばらく」は歌舞伎十八番の一つ。
波郷の正月は荷風と比べて真に異質な世界。
すでに元朝隣人が吸ふ酸素音(酒中花)
元日の夜の注射も了りけり(酒中花以後)
二人が親しくなるはずがない。
紅梅に雪のふる日や茶のけいこ 永井荷風
白梅やゆしまの柳まだ枯れず(村山)
紅梅は波郷の俳句に登場しない。白は包帯や、看護師や、病床の色だからか。
夕方や吹くともなしに竹の秋 永井荷風
竹の秋菜園繁りそめにけり(風切)
荷風にはひらりと体をかわす気配があるが、波郷はまっすぐだ。
石菖や窓から見える柳ばし 永井荷風
波郷には石菖の句も柳橋の句も見つからなかった。
蝙蝠や昼も灯ともす楽屋口 永井荷風
蝙蝠に稽古囃子のはじめかな(酒中花)
荷風にある魅力的な猥雑感は波郷には無い。病が彼をそこに追いやった。
梅雨の晴れ間にさわやかに晴れた。
※深川へ納め詣や冬の星 武原はん 虚子のお弟子さんだが、その枠には収まらない女性。
五月空病臥船室にゐるごとし(松濤)
波郷はたまさかの晴れの日にも病み臥し、丸窓一つの狭い空間に閉じ込められているかの如くに。無理に窓を開ければ、圧倒的な海があるのみ。従うしかない。
鯊釣の見返る空や本願寺 永井荷風
焼跡に鯊釣りゐたり憂かりけり(雨覆)
荷風のいる築地の明るい生命力に対して、波郷のハゼ釣りのなんと陰気なことか。
かくれ住む門に目立つや葉鶏頭 永井荷風
葉鶏頭われら貧しき者ら病む(酒中花以後)
赤々しく華々しい葉鶏頭の前でも、貧と病とに憑りつかれている不幸。喀血の赤か。
寒き夜や物読みなるる膝の上 永井荷風
「寒き夜」は波郷は詠わない。何故なら日常的過ぎるからだろう。
駅頭なほ白衣の人あり
寒き喜捨為て来し心悔に似たり(春嵐)
荷風の寒さはいわば即物であるの対して、波郷の寒さは内なる寒さ。自分は戦争に行って業病を持ち帰り、傷痍軍人は戦地に片足置いてきた。
湯帰りや灯ともしころの雪もよひ 永井荷風
雪平の底の火あかし雪催ひ(酒中花)
荷風は湯帰り、ともる灯は馴染みの店か。ちらつく雪の気配にさえ心躍る。
波郷はお粥でも炊いているのだろうか。ちらちら見える火の赤さに、外の冷え込みを思浮かべている。
寝て起きぬ戸をこそ繰るやしづり雪 永井荷風
細雪妻に言葉を待たれをり(雨覆)
しづり雪だから、雨戸を開けたら庇から雪が落ちたのだろう。寝ぼけ眼で起き出したら、「外は雪だ」とびっくりした。波郷にしづり雪の句はないが、途切れがちな言葉を細雪に象徴させた。
降る雪や毛糸ゆたかに阿部登世女(村山)
暖かな装いでやって来た句友?を労わる優しさ。
落残る赤き木の実や霜柱 永井荷風
霜柱踏む抵抗も年古りぬ(主婦と生活)
地表の下の氷色の霜柱に、樹上に残る赤と取り合わせて鮮烈な色彩がある。そしてその赤は「落ち残る」、つまりしぶとく生きているのだ。
波郷が足下の機械的な固さに気が向くのは、自分の存在のあやふやさによるか。
北向の庭にさす日や敷松葉 永井荷風
波郷に敷松葉の句は見当たらないので、
庭石の裾のしめりや敷松葉 高浜虚子
代打を虚子に頼んだが、波郷の暮しに料亭や宴会は無縁だったか。
荒庭や桐の実つゝく寒雀 永井荷風
熱き茶を飲んで用なし寒雀(風切)
自宅静養中の話なら、当方にもよくわかる。本日も検査と診察で一日を費やしたが、それらの無い日は茶も啜らんで、散歩している。
寒雀隠子遠し父母遠しとかの句も有るようだが、何事だろ?
日のあたる窓の障子や福寿草 永井荷風
福寿草髪あたたむる日ざしあり(愛媛新聞)
荷風はここでも徹底的に俳句を「外」で作る。波郷はそれを「内」へ引っ張り込む。