若い頃波郷が慕った人物に久保田万太郎がいる。
万太郎は傘雨と号する俳人であり、さらに名だたる小説家、劇作家なのだ。俳句は粋で艶っぽい。。
五月二日の荷風葬の夜、銀座卯浪にて傘雨宗匠に遭ふ
水洟の酔ひか嘆きか若布和(酒中花)
なんとなく鼻がぐずる。葬儀の後でははしゃげないし、同じ葬儀帰りと思われる久保田万太郎と出っくわして、緊張感Max.
若布和の暗緑色に下ろし生姜の黄が生々しい。
荷風は1959昭和34年4月30日亡くなられたので、その通夜帰りかも。
河豚ちりや背ら過ぎしは万太郎(月曜)
この店も卯浪かも。
酔果ての嘆き執る手も薄暑かな(酒中花)
わさわざ薄暑を使ったのは、あるいは万太郎のこの句を思い浮かべたか。
はんけちのたしなみきよき薄暑かな 久保田万太郎
五月六日久保田万太郎逝く
すぐ消えし訃報のテレビ蕗苦し(酒中花)
万太郎は昭和38年5月6日に没した。この頃にはテレビはかなり普及しているので、時代としてそれも詠みこんだ。蕗の苦みは精神的なショックに増したのだ。
万太郎逝きて卯の花腐しかな(酒中花)
「卯の花腐し」のこの時期になると、久保田万太郎を思い出す。
さす傘も卯の花腐しもちおもり 久保田万太郎
「持ち重り」は手に持つものがだんだん重くなることで、卯の花腐しの状況では、普段はなんともない傘さえ重くなってくるよと、万太郎調だ。
波を追ふ波いそがしき二月かな 久保田万太郎
寄せては返す波に春めくころ。二月は過ぎるのが早く、なにかと気忙しい。
春麻布永坂布屋太兵衛かな 久保田万太郎
ちょっと痺れる俳句。布屋太兵衛は麻布の蕎麦屋の創業者なのだが、漢字ずくめの俳句には春と書き込まれているだけなのに、なぜか思いっきり春の気分になる。
いつだったか店に寄って蕎麦を待つまでの酒のつまみに焼き海苔を頼んだら、大きな木箱に炭を隠し置いて、その上の段に焼き海苔が鎮座してきた。勉強になった。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
長々生きてきて、真夏のような日盛りはもう必要がない。寄鍋なら箸も迷うだろうが、ふつふつ煮える豆腐を掬うだけだから、何かを選択する必要がない。何かを選べば何かは選ばないことになるのが、人生ってもんだ。
ひぐらしや煮ものがはりの泥鰌鍋 久保田万太郎
数へ日となりたるおでん煮ゆるかな 久保田万太郎
泥鰌鍋にしろ、おでんにしろ、万太郎は悠然と食べている。こんな風な豊かな人生でありたい。
浅草にうつりて蚊帳のわかれかな 久保田万太郎
神田川祭の中をながれけり 久保田万太郎
万太郎が詠みこむ地名はそれだけで粋に感じられるから不思議。
きのふより根津の祭の残暑かな 久保田万太郎
根津は谷中の隣だから、川はないな。川風が吹かない分、残暑は厳しいかも。祭は九月。
夏足袋やいのちひろひしたいこもち 久保田万太郎
幇間芸も今日的には目立たない。噺家さんから聞かされたり、真似事を見せられたりするのみ。
この太鼓持ちさんは大病をされたのだろうか、無理をする商売でしょうから。
朝顔を見にしのゝめの人通り 久保田万太郎
朝顔で市が立つってことが驚きだし、朝早くに出向けばもう人が出ている。江戸文化だ。
夏痩せやほのぼの酔へる指の先 久保田万太郎
夏バテしても酒は飲む。人類の鏡的生き様。
夏場所やひかへぶとんの水あさぎ 久保田万太郎
両国国技館も隅田川。関取の座る座布団が水あさぎってのも鯔背じゃねぇか。
短夜のあけゆく水の匂かな 久保田万太郎
万太郎には戯曲『短夜』があるそうだが、手に取るところまでは追及できず。ただ、浅草駒形の商家が舞台だそうで、隅田川の水の匂か。どんな芝居か見てみたい。
草市の買物つつみあまりけり 久保田万太郎
草市はお盆に飾る草花、飾り物などの市。
石田波郷には
草市や雨こぼれては更けまさり
がある。