石田波郷は奥様をいたわり、やさしく愛している。しかし、時には激情の波に溺れかけることも。

 

元日の夜の妻の手のかなしさよ(惜命)

元日も夜になって賑わいも一段落するころ、二人きりになったら、押えていた感情が沸き起こる。しかし、「接するな」と医師に命じられていればどうにもならない。明日は姫初めというのに、妻に申し訳ないと詫びている。

 

梅雨来し妻足を拭へるかなしさよ(惜命)

愛おしいのだ、自分のためにこまごまと世話を焼いてくれる妻が。見舞いに来る途中降られた雨に濡れて光る足、見つめる波郷の心は荒海のごとく。

 

 

翠菊や妻の願はきくばかり(雨覆) 

ダメと言わないことだけが、今の自分にできる目一杯の表現なのだ。

 

 

我が居ぬことが妻の憩ひや梅莟む(鶴) 

入院して自宅を空ければ、面倒が減って少しは妻の安らぎになるかもしれない。いよいよ梅は蕾になって、穏やかな季節がやってくる。

 

妻のみが働く如し薔薇芽立つ(春嵐)

入院生活はつらいが自宅で療養すれば、それは妻の負担で成り立つことになる。妻の為にも頑張れる限りはがんばらねば。眼前の紅い小さな薔薇の芽もやがて大きく咲くだろう。

 

妻にのみ憤りをり返り梅雨 春嵐

優しくしたいのに、なぜかきつく当たってしまう。他所ではいい顔をして、妻には切れる、申し訳ない。明けたはずの梅雨に憂鬱な雨がまた続く。

 

 

菖蒲湯に永浸る妻何足るや(月曜)

帰宅したある夜、ふと妻の長風呂に気づいた。菖蒲湯であるにしても、長すぎなくなくない?自分の退院帰宅が寛ぎをもたらしたのなら嬉しいのだけれど。

 

汗拭いて汗拭いて妻も老いしかな(酒中花)

寝汗を奥様が拭いていらっしゃるのだろうか。着替えをさせたり、寝具ももしかしたら取り換えるし、奥様の息も切れる。一晩のことではなく、幾夜も続いたかもしれない。

 

跼まりて枯野の夫婦わが病めば(現代俳句) 

華やぎの消えた枯野を、背を屈ませながら夫婦して歩いている。自分が治らぬ病を得てしまったせいで。

 

しかし、奥様は苦ではないと仰ったのだろう。

妻とふたり枯野の月にかくれなし(現代俳句)

 

 

妻とわれ二人子を呼ぶ息白く(愛媛新聞)

 

 

枇杷啜る妻を見てをり共に生きん 

病人の世話を焼きながら、時には楽しそうに枇杷をすすり疲れを見せない妻に、しみじみと感謝している。