梅雨の雨降りの中を、待ち焦がれる奥様はやって来た。

 

梅雨の朱き蛇目(じゃの)()に妻が隠り来ぬ(惜命)

二階から見下ろしているのだろうか、足音ではなく、華やかな朱の蛇の目傘に気づいた。妻は傘を半分閉じて、玄関近くへつつっと速足で。

 

御降りやややはなやぎて見舞妻(酒中花)

元旦は雪か。お正月の晴れ着は憚りながらも、普段とは違う華やぎの服装で奥様は見舞いに来られた。その妻をうきうき迎えたことだろう。

 

 

波郷が妻を見る時、男としての思いが込み上げることもある。

 

見舞妻黒ストールの面包み(鶴)

見舞いに来た妻はおもいがけずも黒いストールを巻いている。妙に色っぽい。

 

吾妻来て立つ外套の胸を開きつつ(惜命)

やって来た妻は外套の釦を外しながら、腰かけもせずこちらを見ている。外套の下には華やかな女の装いがある。やるせない。

 

弾み歩む冬の真闇の妻の肩(惜命)

真闇なら何も見えない。心弾ませて歩くを察知したのは、体のどこかが触れているから。手を繋いでいるより、そのように歩く奥様の肩や腕が心地よく当たる、それも繰り返し。厚着をしていても、その下の肉体をリアルに感知している男、そして摺り寄る妻の意思。

 

妻の歩を猟犬のごと見つつ歩す(水中花)

二人して療養所の林でも散歩したのだろうか。小さな花に目を留める妻の後ろを歩きながら、むせかえる女の匂いをまるで獲物を追う猟犬のように追っている。しかし、今は結核という重いリード拘束されている身で、距離は詰めきれずに歩くのみ。

 

 

 

 

妻の髪なほ睡りをり初雀(小説新潮)

そっと触れてみた髪は女の匂いがする。でも妻は眠ったまま。そろそろ雀が鳴きだす早い朝のこと。

 

背に触れて妻が通りぬ冬籠(酒中花)

奥様はただ何気なく波郷の背に触れてしまったのだが、触れて来た女の気配にざわつく男心。冬籠は彼の閉ざされた境遇の象徴。

 

 

牡丹雪その夜の妻のにほふかな(雨覆)

春になって少し暮らしやすくなるころ、夜に大粒の雪。音もなく降り積む雪に、野性の恋心が動き出した。奥様もフェロモン全開に。

 

栗垂れたり纔に妻の肩を抱く(惜命・角川文庫版)

わずかに控えめにそっと妻の肩を抱く、しかしその衣服の下には成熟した女性がいる。奥様は遠慮がちの波郷を振り返った、無言でほほ笑みながら。

 

菖蒲湯の湯が顎打てり妻入りきて(酒中花)

背中を流しに入って来て、そのまま湯に浸かった妻が浴槽の湯を揺らした。

 

 

 

叫びもする。

蚊の声や妻恋子恋妻恋し(雨覆)

気負いが勝って俳句としては好みではないが、馬酔木に復帰するかしないかの頃の作。

 

妻恋へり裸木に星咲き出でて(惜命)

入院中、消灯時間ともなればますます妻が恋しい。「裸」と書いた文字を見るだけでも、男心は高ぶってしまうのだ。絶対安静の療養は苦しみでもある。

 

でもとにかく、女房には世話になりっぱなし。

初明りまだしき尿妻起こす(現代俳句)