鶴同人の石塚友二は横光利一に師事して小説を書いていたので、横光を波郷に紹介したところ二人は懇意な間柄となったそうだ。石田波郷は大物の懐に飛び込むのがうまいのかも。

 

横光利一の掌の茶の花後しらず(現代俳句)

可憐な花を手のひらに載せている横光利一に、「後知らず」とは何事だろう。

横光の戦時下文学界での微妙な活躍に、違和感があったのか。

 

戦時下の文学界が容易に翼賛報国へなだれ込んだことに比せば、波郷はやや落ち着いていた印象を受ける。

 

(大東亜文学者会)

鳰鳥の皇居をぞ先づ拝したれ(鶴) 

已然形「たれ」と結んだのは波郷の苛立ちか。

 

開戦から敗戦そして戦後の様々な分野の動きは興味深いが、翻って今日の日本は戦前か? 

まぁそれは別の話として、波郷に横光忌を季語と捉えての句作も多い。

 

病み臥して被く蒲団や横光忌(酒中花) 

寂しさに被る蒲団は顔を埋めたら息が苦しかろうに。

 

横光忌枯草の座を賜はりぬ(酒中花) 

  水原先生再び

  巨き掌をわれに賜ひぬ白菖蒲 (酒中花以後)

  主治医より賜りし酒や年の暮 (村山)

等々、波郷が「賜ふ・賜る」と最大限の敬意を示すのは、恩師秋櫻子か主治医に対する時と思われるが、この横光忌では誰がくださったのだろう。体調の良い年末となり、急遽句会を開いたとすれば、それを「枯草の座」と呼んだか?

註;この村山は村山古郷で、1955年に鶴同人になった人。

 

横光忌黙契いよいよ頑に(惜命)

黙契とあればもしかして、周囲の人間と齟齬を生じたか。

 

横光忌十へ遠きわが(よはひ) (現代俳句)

二人は一回り以上離れているし、なにがどうしたかワカラン。わざわざのルビも意味ありか。

 

鳥飛んで松籟の上や横光忌(酒中花)          

調子を崩してまで敢えて「や」と使う理由は何だろうか?

 

満目の松に病む身ぞ横光忌(酒中花)

清瀬の療養所は常緑の松林に囲まれているから、明日は大晦日という日の視界に溢れる緑に対して、自分は病みて臥している。

 

山鳩は松に籠りぬ横光忌(酒中花)

療養所周囲の林や森には多くの鳩が住みついているらしい。

 

双鳩に雪の枝ひしとさし交はす(酒中花)

鳩過ぎて糞が天降りぬ雪後にして(酒中花)

鳩の羽音も焚火の爆づる音もせず(酒中花) 

 

師の齢過ぎし弟子らや横光忌(酒中花以後)

弟子らは波郷と友二か。

 

帯挿しに病みて反る手や横光忌(酒中花以後)

帯挿しは、根付などぶら下げるモノを帯に維持する箆ヘラ。

 

横光忌訃をききし日も病床に(酒中花以後)

横光利一は昭和22年1947年12月30日に没した。酒中花以後は昭和45年なので、20年以上も前の日の事を思い出している そして自分は今日も、病床に居る。

 

横光利一とどんな風な付き合いだったのか、興味が尽きない。