椎若葉東京に来て吾に会はぬか(風切)

この句が松山に存命の古郷に当てたものなら、感動の極みだ。仮にすでに鬼籍に入られていたとしても、その古郷への思いならそれもいい。松山から東京へは簡単に移動できる時代ではないし、椎若葉の初夏の溌溂とした気分が波郷にあったのだろう。そして、自分を東京へ馬酔木へ押し出してくれた、師匠でもある恩人に今の自分を見せたかった。

 

さてその恩師の古郷忌は季語として認知されていないので、句中に季語を入れることもおおい。

 

九月五日

古郷忌は人にはいはず日暮れぬ(鶴の眼)

前書を付けて命日を示し、季語は省いた。

 

九月五日病中

古郷忌や生きゐて遠き人の上(馬酔木)

 

栗に鳩亡師古郷の日なりけり(馬酔木)

個人的な思い出だろうか。馬酔木に出す時には、さすがに季語はきっちりしている。

 

古郷忌の颱風に吹かれつゝ昼餉(馬酔木) 

朝顔や旅を戻りて古郷の忌(風切)

忌日に間に合うように帰宅されたのかも。

 

熱さめてをり古郷忌の虫の中(雨覆)

熱が下がって意識も戻った。古郷忌は清明な意識でいられた。

 

古郷忌や朝顔籬に隠れ臥し(春嵐)

灯蛾うちて古郷忌の夜の終の客(春嵐)

なかなか帰らない客が共に古郷を偲んでくれる客だといいが。

 

古郷忌の風あそばすも古簾(春嵐) 

古郷忌や几かいだく独活のかげ(酒中花)

「かい」は接頭語「掻き」の音便か?

 

古郷忌や増えきはまりし法師蝉(酒中花)

供養の心にはノイズにしか聞こえなかったのかも。そして圧倒的な生命の噴出に驚いた。

 

古郷忌の櫟まく蛾もくれはてぬ(酒中花) 

「巻く」なら、櫟を取り囲む蛾なんだが。

 

古郷忌やすがれ朝顔大切に(酒中花以後) 

盛りを過ぎた朝顔ではあるけれど、無碍には扱えない。今日は恩師古郷の忌だ。

 

古郷忌の杖とゞめけり大藜(鶴の眼)

「藜(あかざ)」は杖にできる

 

 

やがて共通了解として、古郷忌は連衆に受け入れられたのかもしれない。以下季語の見当たらない句を。

椎や竹雨の古郷忌はなやかに(風切)

「椎の秋」「竹の春」では無理があるし。

 

ひとり鳴らす古郷忌の夜の含嗽水(酒中花) 

馬酔木に共に参加した古郷はすでに居ない。その片割れとしての「ひとり」。

 病床にひとり豆撒く声もなし(鶴) 節分の日に見舞いに来た奥様が帰った後の寂しさの「ひとり」。

 女ひとり汗噴くに任せゐる刻あり(資生堂チェーンストア誌) インディペンデントな女性が読者。

 

古郷忌の病患を襲ぎ臥せるかも(惜命)

古郷忌の病室の花何々ぞ(酒中花以後)

古郷忌や終の栖は草の中(南風)

子と対ひ居り古郷忌の病室に(鶴)

子は親を理解しない。

 

我が個室古郷忌の暗に浮かべるも(鶴)

個室ならやっぱり一人きり。

 

そして、波郷は恩人の忌日が過ぎた後にも、なお指折り数えたりしたことがあった。

芙蓉の翳古郷忌幾日過ぎにけむ(春嵐) 「けむ」は過去の推量

 

忌日が多いのは波郷に付き纏う死への思いからか。並べて読むとちょっと滅入る。