季語に早乙女(そうとめ・五月女・植女)があるが、さおとめの「さ」は何かと考えた。

とりあえず、接頭語であることは間違いないので、何か意味があるのだろう。

例えば捧げるは捧げ持つの意味だが、「さ+さげる」で提げるに「さ」が付いた。言葉を探していくと、このニュアンスをずっと引きずる感じだった。

 

唐突だが、宇佐神宮の佐(さ)は冶金に繋がると考えていたが、もしかしたら上記「さ」にも関係するかもしれない。

 

道鏡の宇佐八幡や五月晴れ

 

で、早乙女は俳句的には田植をする女つまり紺絣に手甲、脚絆、紅襷の姿で、これはテレビでしばしば見せてくれるのでステレオタイプ的に記憶している。

 

しかし、なぜ乙女に「さ」が付くのか?

乙女「をとめ」は未婚の娘で、泊めてくれる女ではない。

 

結論を書いてしまえば、「さ」は神の暗示である。

田植に関わる神様は春に山から下りて秋に山へ帰るワケだが、「さ」はこの田の神・稲穂の穀霊を暗示している。

つまり、田植は里に下りた田の神「さ」がもたらす苗を使わせていただくのだ。

早男(さおとこ)は田植をする男である。季語田主は田植を指揮する人のこと。

 

田主の捲り上げたる白き脛

 

季語早苗「さ+なえ」は苗代から本田へ移すころの稲の苗で、早苗を季語玉苗と呼ぶのは玉が接頭語として神事や高貴な物事を褒めたたえるから。

 

早苗が「さ+苗」なら五月は「さ+月」、田植えの時期。それをする女性が早乙女「さ+をとめ」で、早乙女は単に田植えをする女性ではない。田植は集落の命がけの神事であって、その神に奉仕する女性が早乙女なのだ。腰巻やらに興奮してはケシカラン。

 

一列のリズム正しき田植笠

 

 

季語五月雨は「さ+みだれ」で「みだれ」は「水+垂れ」らしい。田植えに恵みの雨だ。季語早苗月はそのまんま。

 

季語「さ+くら」は田植関連の農事を始める合図の花で、「くら」は磐座の「くら」で神の御座所。つまり山から下りて来た神がまずはお立ち寄りになる場所が桜である。

 

傾城は後の世かけて花見かな 蕪村

 

【Copilot】

「傾城は後の世かけて花見かな」という句は、日本の歌人、藤原定家(ふじわらのさだいえ)によって詠まれたものです。この句は、美しい女性後世にも美しさを保ち花見の風景を楽しむことを表現しています。傾城とは、美しい都市や美しい女性を指す言葉であり、その美しさが長く続くことを讃えています。

: 藤原定家『新古今和歌集』巻第十六句番号 3669

これが学生のレポートなら即アウト。アンダーライン部を書き直してもらおう。

参考;万葉集第15巻3669番歌

多妣尓安礼杼 欲流波火等毛之 乎流和礼乎 也未尓也伊毛我 古非都追安流良牟

旅にあれど夜は火灯し居る我れを闇にや妹が恋ひつつあるらむ

 

 

そんなワケで、これほどの「さ」であるから、早乙女は田植の神事の奉仕役であり、巫女(ふじょ)もどき役を担った。

 

その他、

季語早苗饗(さなぶり)は「さのぼり」とも読まれるが、田植えの終りに田の神を送る祭で、季語田植仕舞と同じ。早苗饗を早苗振りは当て字で「振り」は混乱を招く。

ちなみに田植の始めの日や儀式は「さおり」とか「さびらき」と言うが、「さ+降り」は神が乗り移るの意味かも。

 

ついでにさいたま市の浦和駅近くの「さなぶり」は日本酒に特化したバーである。

酒の「さ」もこれかも。「け」は物の怪の「け」?

 

「さなぶり」は日本酒のバー五月闇