2) 遅速の意味は『遅い速い』ではあるけれど、単に並列に置かれているワケではない。
遅し(遅い)とは
鶉食つて月の出遅き丸子宿 斎藤夏風
おそく来て若者一人さくら鍋 深見けん二
時間的な遅さ、のろさを言う。
速し(速い)とは
五月雨をあつめて早し最上川 松尾芭蕉
紅葉には少し早しと谷下る 細見綾子
迅し迅速の他に時間的な前を言う。
両者を合成すると、遅速(おそはや)は『ちそく』と音読みされて、
蓬萌えおほばこの葉も遅速なく 中村汀女
遅速ある紅葉の翳り嵐山 小出秋光 のように何かを比較して使われ、それを競うニュアンスが含まれる。この時には後ろにあるなしが付くようだ。
また遅早も(おそはやも)と訓読されて副詞に使われれば、「遅くとも早くとも」とか「遅かれ早かれ」となる。俳句の例は見つからなかったので万葉集から。
遅速も汝をこそ待ため向つ嶺の椎の小枝の逢ひは違はじ 三四九三
遅かろうと早かろうとお前だけを待つよ、向こうの山の椎の小枝が交わるのと同じく必ず逢える。
小枝の;故夜堤能こやでの こえだを「こやで」と訛った。万葉集にはお国言葉が交じって楽しいし、採録した家持(だけじゃないけど)のお手柄。
このようなヒストリーを持つ言葉を蕪村は『遅速を愛す』と使っているので、競争心よりもっと穏やかな気分だろう。では遅速の意味するところは何だろうか?
(ご近所の枝垂れ梅)
二もとの梅に遅速を愛す哉は前書に草菴(そうあん)つまり草庵とあり、この言葉で蕪村は方丈記を意識していると読む者へ知らせている。方丈記は「ゆく河の流れは絶えずして」の冒頭から「無常」示唆するが、この頃蕪村はなにやら儚んでいたらしい。
蕪村が座右に置いていた藤原公任編の和漢朗詠集は、「我が君は千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」も入集しているが、多くの人に愛唱されたようだ。
以下に引用する朗詠集内の漢詩文を書いた平安中期の文人慶滋保胤(よししげのやすたね)の手になる『池亭記』は、鴨長明の『方丈記』にも影響を与えている。
東岸西岸之柳 遅速不同
南枝北枝之梅 開落已異
春生逐地形
東岸西岸の柳 遅速同じからず
南枝北枝の梅 開落既に異なり
春の生まることは地形に逐ふ
とある。
柳は川の流れや吹く風によって、東西の岸辺で柳の緑成す日に遅速あり、梅は南北によって開花落花の時期が異なる。このように生えた場所それぞれで違うけれど、必ず春はやって来るのだ。
梅には開落にずれがあると詠っているだけで、遅速は柳の話である。
蕪村が和漢朗詠集をお好きだったことは俳句からもわかる。
句465梶の葉を朗詠集のしをり哉
前書に七夕とあり、七夕には梶の葉に和歌を書き星に手向けた。
また蕪村には
句612鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉
の傑作の他に、いろいろとたぶんお客の注文等に沿って職人的に作句している。
句325花いばら故郷の路に似たる哉
前書にかの東皐にのぼればとあり、その東の岡である。
陶淵明「帰去来ノ辞」より;東皐ニ登ッテ以ッテ舒ニ嘯キ、清流ニ臨ンデ詩ヲ賦ス
句588釣り上げし鱸の巨口玉や吐
蘇東坡「後赤壁賦」より;巨口細鱗、状、松江ノ鱸ノ如シ
句834玉霰漂母が鍋をみだれうつ
漂母;洗濯をする老婆。中国の故事に、漢の武将である韓信がまだ貧しかったころ、漂母が見かねて食事を出した。その鍋。
(つづく)