今日はさいたまにも雪雲が近づいているらしく、どんよりとした厚い雲の下は寒い。

ウォーキングの道すがらアメジストセージがまだ咲いていた。サルビアの仲間らしいが、南国の花だったはず。

 

アメジストセージ褪せたり雪催

 

ではかな留め俳句の最後は前に置かれた名詞で、ざっと書き並べる。

《名詞》

芥川龍之介佛大暑かな 昭和二年七月二十四日 61 

春麻布永坂布屋(ぬのや)太兵衛かな  71

花人のおかる勘平をどるかな 76

ながあめのあがりし燈篭流しかな 86 

かはせみのひらめけるとき冬木かな 168

縁さきのたゞちに南瓜(かぼちゃ)畠かな 274

人のうへやがてわがうへほたるかな 429

ふる雨のおのづから春夕かな454

鎌倉は光明寺遅ざくらかな 458 

蜜柑むく爪のいかさま苦爪(くづめ)かな 479

世のそしり人のあざけり野分かな 480

やゝひくき枕かたしく寒さかな 511 

冬薔薇に名づけて眞珠日和かな 516 

ふるさとの春の北風つよきかな 576

牡蠣船にもちこむわかればなしかな 589 

白ぎくと黄菊のまさり劣りかな 614 

天神の崖の下みち無月かな 645

ゆく年の水にうつる灯ばかりかな 650

一ト猪口は一ト猪口と秋ふかきかな 674 

櫻餅うき世にみれんあればかな 697

秋しぐれいつもの親子すゞめかな 713 

薄暮、微雨、而して薔薇しろきかな 740

いろは假名四十七文字寒さかな 751

またの名のたぬきづか春ふかきかな 863 

 

 

冒頭二句は不思議な俳句。

61は前書きの日付から36歳服毒自殺の日とはわかるが、悲嘆の度合いが強すぎて言葉にならないのかと共感もできるし、子規の「日本派」写生句とは異質な系統に居た万太郎らしいと言えば言える。しかし次の71となると、麻布十番の蕎麦屋だからってどうしてよいのやら。

 

花人のおかる勘平をどるかな 76

仮名手本忠臣蔵のいわば暗い話の中で、架空の人物二人を登場させて華やかな場面を演出上演した(自分と同じ稼業の)劇作家への共感の意思表示と捉えよう。花人から一気呵成にをどるかなと詠嘆した。

 

かはせみのひらめけるとき冬木かな 168

「とき」はたまに見かけるが、広島や卵食ふ時口ひらく西東三鬼の分かりやすさと比べると、夏から冬へ転じる強引さが理解を難しくしている。なぜなら俳句は本来季語通して四季を遊ぶゲームだから。

 

人のうへやがてわがうへほたるかな 429

蛍が飛んできたとさらっと読む。しかし、深読みして例えば「災難」を頭上に落とせば切れている。俳句ならこっそり「ひねる」かもしれない。

 

鎌倉は光明寺遅ざくらかな 458 

名詞を置くかな留め句には句跨りも目立つが、その直前に「ただちに」「名づけて」等事情が示されて分かりやすいものもある。

季語遅桜+かなと典型的な安定感だが、「鎌倉の光明寺の遅桜」ではなく「鎌倉と言えば光明寺」と言い切って、遅桜はどこに咲いているか陳述していない。体言や連体形を詠むあるいは読む醍醐味はこの隠し事にある。

 

世のそしり人のあざけり野分かな 480

「そしり」「あざけり」は名詞だが、上五中七を一語と見做して切れている。

 

牡蠣船にもちこむわかればなしかな 589 

川縁に停泊する牡蠣船で別れ話とはさすが、酒色におぼれた万太郎らしくて艶やかな句。

「もちこむ」は連体形で切れないひと塊。牡蠣舟に小松菜を持ち込んだら何とか言うはず。 

  

ゆく年の水にうつる灯ばかりかな 650

「ばかりかな」とは面白い。他に風鈴の空は荒星ばかりかな芝不器男があった。

意味的には茶の花のちるばかりちらしておく種田山頭火の「ばかり」は少し異なり、「今にも散りそうな花は、そのまま」か。

柴垣の溶けんばかりに陽炎へり清崎敏郎では程度は最高度に達する。

 

櫻餅うき世にみれんあればかな 697

「かな」は終助詞で、体言か連用形に付くとしたものだが、ここでは「あれば」と「ラ変動詞已然形+接続助詞ば」にくっつけて、隅田川の長命寺桜餅を食い行こうと女を誘ってにやにやしている。「あれば」の後ろに「一緒に行かないかい、心中は嫌だけどね」と芝居がかって口説いている。それも大げさに詠嘆してみせながら。

 

薄暮、微雨、而して薔薇しろきかな 740

読点の羅列ではっとさせながら、而してと敢えて言うことでその風景から薔薇の白き有り様を浮き立たせる。絵画的で面白いが、久保田万太郎に備わる色気がない。「白き」の後ろには今宵とでもして、白塗りの芸者の元へ急ぐ姿を想像しよう。

 

いろは假名四十七文字寒さかな 751

近頃の歳末にはあまり見かけないが、忠臣蔵は国民的人気があった。四十七文字は四十七士を指しているのだろうが、「寒さかな」と言われても感覚的にピンと来ない。下五の前で切れているが、言葉足らず。

 

と調べてみたが、重量級の「かな」の前ではぶつ切り感が否めないので、句跨りを除けばより慎重であるべきかも。

 

 

ではお口直し

いつもの神社の手入れされた庭には丸裸で寒々しい山茶花。

 

山茶花をたつた一輪残す杜

 

山茶花に溢れる色香

 

山茶花に再び逢はむとは言はじ