今回検討する助詞はその機能において大きく六種類に分けられている。

すなわち格助詞、接続助詞、副助詞、終助詞、係助詞と間投助詞である。

 

テーマの「かな」は終助詞であり、「ぞ」も同じ。また「もがな」「もがも」の「な」「も」も感動の終助詞である。

「や」は「よ」と同じく間投助詞として感動を伝えるが、時に疑問の係助詞や終助詞としても働く。

 

これらは俳句では詠嘆として使い込まれ理解しやすいが、例えば親しみのある「の」は概ね格助詞として機能する。しかし、その他に並列を示す「の」は、例えば「なんのかんの」では「何の」の「の」は格助詞であり、並列としては「赤だの黄色だの」のように「~だの」と使われる場合が多い気がする。

 

 

命無き枝とも見ゆるや梅一輪

 

 

では久保田万太郎俳句集岩波文庫から、かな留め下五の直前の助詞を書き出すが大量なので二回に分ける。

 

(助詞1・格助詞)

 

《格助詞》「の」

灰ふかく立てし火箸の夜長かな 13

まのあたりみちくる汐の寒さかな 20

藥効いてきている鵙の高音かな 66

飲めるだけのめたるころのおでんかな 200

草笛を吹いて神田の生まれかな 209 

ひぐらしに十七年の月日かな 219

焼けあとのまだそのまゝの師走かな 231

西鶴忌うき世の月のひかりかな 253

うらゝかにめがねのつるのほそきかな 287

草の尖(さき)さはる小春の障子かな 305

月も露も涼しきとはのわかれかな 473 

 梅雨を病むひとへに旅の疲れかな 538 

人には逢つてみるものゝ浴衣かな 632 

 

最後のこの句632は特殊で、「ものゝ」は形式名詞「もの」+格助詞「の」で、連体形に付いて逆接確定を示している。句意は逢ってはみるけれど「まずいな」浴衣だよ、すげぇだろとなる。ぬけぬけと恋人とじゃれている。

品詞の勉強としては、「もの」の前の「みる」は上一段活用の連体形である。

 

また鵙の高音かな66から旅の疲れかな538まで修飾関係が明快な場合がほとんだが、冒頭二句の「の」はその例外である。

 

灰ふかく立てし火箸の夜長かな 13

まのあたりみちくる汐の寒さかな 20

「火箸の夜長」も「汐の寒さ」も、ここだけ取り出すと意味をなさない。本来なら「に」としたかったのではないかと想像する。ただ弱いとはいえ切字である「に」を使うとかな留めの迫力とぶつかってしまうので、それを避けるためにさらに弱い「の」とした。

試しに末尾の「かな」を取り去って、「灰ふかく立てし火箸の夜長」「まのあたりみちくる汐の寒さ」としてみると、この「の」は最強切字「や」と置き換えることができる。つまり、「の」は切字として働いている。

 

このように多様な「の」ではあるが、順次句中の切れを考えてみる。

藥効いてきている鵙の高音かな 66

薬が効いている事と鵙の声とは直接に関係がないので、中七の真ん中で切れる。つまり、かな留め俳句も上にひと塊とはいかないことがある。

 

飲めるだけのめたるころのおでんかな 200

上五から下五まですっきりひと塊。

 

草笛を吹いて神田の生まれかな 209 

草笛を吹くのは「神田生まれ」だけじゃないが、草笛と神田の記憶が作者の中では繋がっていると解釈してひと塊。

 

ひぐらしに十七年の月日かな 219

「に」は切字である。

 

焼けあとのまだそのまゝの師走かな 231

ひと塊。

 

西鶴忌うき世の月のひかりかな 253

季語西鶴忌が看板に放り込まれているが、作者が劇作家であることを念頭に置いて、「つきのひかり」には控えていただく。陰暦八月十日になにかしら悩むうちに、月を見上げることになったのだ。

俳句的には持論である自閉傾向の「けり」を使って『西鶴忌うき世の月のひかりけり』とすれば、気づかなかった月の光にはっとした気分が強調される。

 

うらゝかにめがねのつるのほそきかな 287

切字「に」が快適。

 

草の尖(さき)さはる小春の障子かな 305

ひと塊。

 

月も露も涼しきとはのわかれかな 473 

「とはのわかれ」はワンタームで、「涼しき」に修飾されている。ひと塊。

ただし、「月」「露」「涼し」とヘビー級の季語を並べるヤケクソは、女と別れた取り乱しに因すると笑い飛ばす。

ならば、またしても僭越ながら書き添えますが、「わかれ」を対象化せずに、『月も露も涼しくとはにわかれけり』と自閉的に「わかれ」を抱きしめていたい。ただし、ここでは「涼しく」の修飾関係が問題だ。

 

梅雨を病むひとへに旅の疲れかな 538 

「梅雨を病む」は「梅雨に病む」と同義として、ひと塊。

 

 

早咲の梅の俯き加減かな

 

 

《格助詞》「を」「に」「と」

海も雪にまみるゝ波をあぐるかな 182 

南京の月枯園にたかきかな 235

秋くさを下げしわが手にさす日かな 273

正直の後手に後手にと寒きかな 449

鯉幟牡丹ばたけにとほきかな 460

大風の夜のあさがほにあけしかな 476

名園のこの荒レみよとあやめかな 743  

また道の芒のなかとなりしかな 873  

 

ではいくつか興味深い句を取り出してみる。

正直の後手に後手にと寒きかな 449

「と」は引用の格助詞で、「正直の後手に後手に」が何を意味するのか分からないが、なにか思いつめて寒々とした境地になったのだろう。「寒き」は形容詞の連体形。

 

名園のこの荒レみよとあやめかな 743  

この「と」も引用だが、「みよ」と言ったのが自分ではないとすると、「いづれ菖蒲か杜若」のあやめのような素敵な女性がいわくありげに仰ったかも。

 

また道の芒のなかとなりしかな 873

この「と」はある種の意外性を示しており、「ふと気が付いたら」道路わきの芒の茂みに迷い込んでいた、以前にもこんなことがあったけどと笑いながら人に告げている。恋人への暗喩だとしたら我が意を得たりってとこ。「と」はいわば変化の結果を示しているので切れない。

 

大風の夜のあさがほにあけしかな 476

格助詞「に」の切字機能は俳句の醍醐味であるが、使いこなしは容易ではない。

 

 

ノースポールの花びらに冬終る

 

次回助詞の続き