助動詞を検討する前に句集に面白い句がある。
おもひでの町のだんだら日除かな 83
「だんだら」を《形容動詞》と考えていたが、使用例を調べたら
だんだらの日覆くだもの赤青黄 大野林火
があって、これだと《名詞》である。日覆は「ひおい」と3音で読むべきだろう。
また、ここでの「だんだら」は横縞が幾重にか重なった模様・図柄を言うのだが、大変な地震に見舞われた能登には漆職人さんから始まったとされる段駄羅 (だんだら)という言葉遊びがあるそうで、読売新聞2月1日朝刊に出ていた。時宜を得た論説であると個人的に密かに喜んでいる。
結局ワカランので久保田万太郎の好みに合わせて、「だんだら日除」を名詞の一単語と見做してしまおう。
今朝の梅は曇天に従うように静かに咲いていた。この静謐さが梅の真骨頂かも。
では久保田万太郎俳句集岩波文庫より、かな留め句の《助動詞》を検証する。
「し」
墓原のまばゆく晴れし蜻蛉かな 33
春の夜のすこしもつれし話かな 73
瀬の音をきゝつつ貼りし障子かな 92
おもふさまふりてあがりし祭かな 113
お十夜に穂の間に合ひし芒かな 509
はればれと馬市たちし花野かな 672
下五の前の「し」は過去を示す助動詞「き」の連体形である。回想の意味では「けり」と同じだが、「けり」と違って直接体験を示すのが「き」である。
「たる」
夏の月いま上がりたるばかりかな 59
戒名をことづかりたる夜寒かな 90
弾初にことし缺けたる一人かな 176
花人のぬぎちらしたる草履かな 292
ひやゝかにふたゝびえたるいのちかな 846
「たる」は「たり」の連体形で、「たり」は完了の「つ」の連用形「て」にラ変動詞「あり」がくっついて「てあり→たり」となった。状況の存続も示すが、接続は連用形を受ける。
また「たり」が体言や連体形に付くときは断定の助動詞である。
わらづかの點々たりや大晦日 377
梅一輪踏まれて大地の紋章たり 中村草田男
いろいろ悩む完了の「り」
さる方にさる人すめるおぼろかな 74
あたたかに灰をふるへる手もとかな 144
ありし夜のごとく灯れるおぼろかな 204
しみじみと日のさしぬける冬菜かな 260
ひまわりのたかだか咲ける憎さかな 475
蘆垣に日のさしぬける二日かな 514
壁にいま夜の魔ひそめるやもりかな 528
雁の音をよそにうたへる機嫌かな 615
さる方にさる人すめるおぼろかな 74
四段活用をおさらいすると、住まず住みたり住む住むとき住めば住め(よ)であり、「すめる」は「住む(四)」已然形「すめ」+完了の「り」の連体形「る」である。例に取り出した句だけでなく、上掲句は全部四段活用已然形に付いている。
意味的には、この句を恋歌と理解しているので、好きな人が住んでいる辺りを思い見やりながらその人を慕いつつ暮らす我が世界は手がかりの無い「おぼろげ」になっていると鑑賞した。連体形ではあるがやはり切れている。
「り」「る」は俳句においては文法的な誤りがしばしば見いだされるが、サ変・四段活用以外の動詞+「り」は無いので要注意の極みなのだ。例えば「食ぶ(たぶ)」をe音だからと「たべり」は誤りであり、むりやり「たぶれり」としてもアウト。
また未然形を受ける助動詞「る」は連体形「るる」だが、問題にしている「り」は見たように連体形は「る」である。同じく活用が上一段上二段下一段下二段の連体形は、「見る」「恋ふる」「蹴る」「出づる」の如く全部「る」となる。
その他の助動詞として
「如く」
雨車軸をながすが如く切子かな 150
「如し」の連用形なので修飾関係は無く、切れている。切子の紋様を歌っているとすると、妙なのだが。
「ぬ」
日盛の誰もあがらぬ二階かな 298
誰一人日本語知らぬ白夜かな 537
はらのたつほど波たゝぬ日永かな 723
「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形であり、「ざる」もある。
二句目「日本語の通じない国へ来たけど、そんなことよりなんと美しい白夜」とでも解釈し、三句目は「少しは気分転換になると思って荒々しい海を期待して来たのに、少しも波が立ってない。なんだこのまったりした日永は」とますます苛立っている。
この二句は一句目と違って切れている。
「す」
火をふいて灰まひたゝす餘寒かな 453
使役の「す」が「まひたつ」に付いたが、「まひ」は「舞ふ」でよいだろう。「す」は「まひたつ」の未然形「まひたゝ」についている終止形である。連体形なら「まひたゝする」となる。なのでこの句も下五の前で切れている。
では次回は多様な《助詞》を。
今朝は市役所に行って来た。冬の曇天は寒々しく、帰り道は遠かった。
市役所へ届きまゐらす冬の果