今朝我家の梅が咲いた。蕾は花になった。

 

猫の来て素通りの庭梅の花

 

久保田万太郎の俳句から「かな」を学ぼうと読み始めたが、流寓抄以後のいわば絶唱に感動したので先ずはそれらの句を書いてみよう。

久保田万太郎俳句集岩波文庫で打たれている番号を引用する俳句に添付した。

 

 

今朝のウォーキングは風もなく平和だった。桜並木の上の土手の道は蛇行していて、ゆっくり歩いて行くとNHKの塔には春の気配がした。

 

春近し鉄塔鈍き日を弾き

 

 

さて久保田万太郎の晩年の恋は、本妻とは離婚できぬまま同棲相手(一子)に先に死なれてしまうことで終わる。その時の慟哭が句集にまとめて掲載されている。最初の妻の自死もあった。ご子息とは逆縁であった。そのような万太郎の収録された最後の四十句ほどを、本題とは離れるが掲載する。

 

一子の死をめぐりて(十句)

きさゝげのいかにも枯れて立てるかな 879

何か言へばすぐに涙の日短き 880

燭(しょく)ゆるゝときおもかげの寒さかな881

たましひの抜けしとはこれ、寒さかな 882

戒名のおぼえやすきも寒さかな 883

なまじよき日當りえたる寒さかな 884

何見ても影あぢきなき寒さかな 885

身に沁みてものの思へぬ寒さかな 886 

雨凍てゝ来るものつひに来しおもひ 887

死んでゆくものうらやまし冬ごもり 888 

 

寂しい寂しい、蝋燭の炎が揺れるたびに面影がちらつく、耐えられない寒さの中で。

せっかくの覚えやすい戒名にも覚えやすすぎると取り乱し、寒さに震えている。

一子の去ったこの世では、何もかもがあぢきない、だから寒い。

最後は俺も死にたかったと叫びつつ、家から出ることもなく寒さに耐えている。

草城のミヤコホテル十句と比べると、地の底から湧き上がるような凄みがある。

そしてこの十句の次に、わたくし的に至高の句が来る。

 

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 889

最愛の人を失いその失意の中でも生きて行かねばならぬ。日常的な湯豆腐も一人で食べねばならない。一子が生きていたら、手ごろな器に取り分けてくれたろう。それも叶わぬ夢となってしまった。うすあかりとは生きる手がかりの無い明日のことだ。

 

ここから句集の最後までわずかだけど、「かな」の句などを書き出す。

 

枝々にまつはる雪のきざしかな 890

鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな 892

ぐつぐつと煮える鍋に地獄を連想したのだろうか。

春の灯のまたゝき合ひてつきしかな 894

鉛筆を削りためたる日永かな 895

花冷のみつばのかくしわさびかな 896 一人“まるたか”にて小酌

前書にわざわざ一人と書かざるを得なかった。

花冷えの燗あつうせよ熱うせよ 897

「こんな酒は飲めねぇよ」と悲痛な叫びだ。

あぢきなき晝あぢきなく目刺焼け 901

一人作り食する昼飯の味気無さ。やもめならせいぜい目刺しを焼く程度でも、その準備をしながらあぢきなくとくり返し叫んでいる。そして何度繰り返してもあの豊かな日々は帰って来ないのだ。

遮莫(さもあらばあれ)焦げすぎし目刺かな 902 

どうにでもなれ、目刺しも焦げてしまった。一子はどこへ行ってしまったのだ…

 

と、辛い晩年になった。間もなく万太郎ご本人も亡くなってしまう。一子の脳出血から一年後のことである。

 

 

今朝は遠山は見えなかったが、荒川に注ぐ川には静かな時間があった。

 

川沿いをひとり歩けば冬深む

 

あと二か月で華やかになる道をせっせと汗ばみながら歩いた。なにしろトレーニングだから。

 

一人でもスキップの道冬日向

 

最後の鴻沼川では鴨が一羽遊んでいた。

ウォーキング路から垣間見える病院の食堂では、夜勤明けの看護師さんが一人遅い朝食を召し上がっていた。

 

川に浮く鴨よ自由はありがたき