12月26日は思い立って埼玉県立歴史と民俗の博物館に行ってきた。

コロナ禍の最中には1年半ほど改修工事とかで閉館していたので、どんなことになっているかとワクワク出かけたが目に見える変化はなかった。

 

特別展では埼玉県出土の縄文土器が整理されて並べられていた。

 

人気無き博物館や年の暮

 

見入った土器にはいくつかあったけれど、東関東特有の形状の土器は興味深かった。口縁部に突起が付いていて対称性を崩している。日常使いよりも祭祀用だったのかも。とても美しい土器だが、縄文中期のものらしいのでざっと7000年前の作品だろうか。

 

縄文の土器に渦巻く北颪

 

次の土器の下半分は典型的な縄目の跡だけど、なにやら記号化した渦巻が貼り付けられている。この渦巻を見る限りはモチーフは蛇と思えないが、下部と上部とで模様を違えているのはただの煮炊き用ではなかったからか?

 

ひび割れの土器片繋ぐ指寒し

 

こっちは神との交流のための酒でも注いだかな。こんなに可愛い土瓶から酒が注がれたら、神様もさぞやうれしかろうな。

 

縄文の土瓶よ神に注ぐ新酒

 

他に刺激されたのは土器の内側の焦げているもので、水様のものを煮炊きしても焦げ痕は付かないはずだから、内部に直接火を置いたのではないか?獣肉などを焼く薪とか燃えやすい枯草枯木などへ焼き石を放り込んだとか。

土器外側の下部に煤が付着していないのはここを土中に埋めたからだろうけど、ようく見ると底には煤が見える。例えば使用直後とか保管とかでは土器を積み重ねたかな。

煤の姿が異様でこれも日用品とは思えなかったけど、どうなんだろ。

 

縄文の猟人ジビエの調理跡

 

 

常設展には稲荷山鉄剣(模造)を見に何度も来ているけれど、今回もじっくり鑑賞してきた。遠くの江田船山古墳の鉄剣(模造)も並べられているので、両者が同じ嘘つきとは到底思えず象嵌の文字を信じ込んでいる。どちらも墳墓は前方後円墳だろう。埼玉県のこの古墳群が6世紀とすると、朝鮮半島に出現する前方後円墳の5世紀末ころより後になる。同心円状に波紋が広がるように、文化は伝搬するのだな。

 

銘文にある『獲加多支鹵ワカタケル』から雄略天皇は実在したと認定されている。

写真はうまく撮れなかったので、この一言は裏側の赤文字を逆転すれば解説文は読める。

タケルは猛るで軍事力の強大な王だったのだろう。

 

 

国宝の鉄剣錆ぶや冬銀河

 

 

常設展のこの土偶は複製ではあるけれど、左腕前腕部が欠損している。これは二次的に失われたのではなくて、製作当初から意図されたものであろう。つまり、左腕を病んだり怪我をした人の平癒祈願と考えられる。大きな目も目立つが、これはトラコーマ眼疾だったのではないか。土偶には眼部への細工が良く出現する。

また顔の丸い縁取りはその目的のためにお面を被らせた可能性がある。他の土偶にも同様の思想性が見いだされる。

などと持論を展開してみたけど、今のところ不都合は無い。

 

寒見舞博物館の話でも

 

美しかったのは弥生時代の壺で、形も色もハイレベル。権力に仕えるような専門職が居たに違いない。淡々と彫られた紋様がまたプロっぽい。

 

冬帽子朱の残りたる弥生土器

 

 

古くない展示品には俳人川村碩布(かわむらせきふ)の句集が出ていた。門人が師の十三回忌(安政二年1855)に編集したそうだ。

 

枯菊や十三回忌の発句集

 

加舎白雄が弟子の川村碩布を埼玉の毛呂山に訪ねた時の連句集もあったが、図案化されているワケでもないのに文字が読めなくて残念だった。ぼんやり眺めていると、どうやら連歌ではないような気はしたけど。

 

行く年や江戸の句集の読めぬ文字

 

今年も残り僅かの一日を縄文時代を中心に、じんわりと歴史的遺物を眺めた。

博物館を出ると冬の日は間もなく暮れそうだった。

 

縄文の暮しを辿る冬入日