12月になると心がざわつくのは、本日26日は母の命日だし9日は父の命日だったからかな。

 

父母と行き来が難しくなってからはFAXを使って父母と句会を開いた。たまに家内も参加して四人の小さな会でね。

 

 

ふる里の妹の搗く餅届きけり

 

正月にはこんな気分を父は俳句にしていた。父の妹は今も92歳でますますお元気です。

上掲写真は絵的には古すぎだけど、嘗てお餅は女性も搗いていたんだとウィキペデイアで知った。

 

 

さて、母が下さった句帖には俳句季題集も付いているし、最後には句会の予定も書けるようにもなっている。

 

 

冬菫母の句帖の母の文字

 

その句帖の各頁には例句として同人の句が掲げられている。

 

ひょんな人と氷白玉食べしこと 山本佳子

いつ頃の作品か知らないけれど、気配が若いから五十代かも。

 

母と切磋琢磨し、ライバルであったかもしれない女性の句もここには掲載されている。

お二人のお名前は母からなんども聞かされた。

若いころは俳句に興味がなかったので聞き流していたけれど覚えているもんだな。

春深し蹴鞠の庭の門扉古り 成田芳枝

私には私の言葉青葡萄 沖山爽子

 

青葡萄を題材にしてこんな風にかとしびれている。沖山さんに一度会いたかったな。

 

同人誌なんぞに印刷されてそのまま埋もれてしまう俳句は致し方ないとして、風生歳時記には母の句は二句採られている。

 

酔覚めの水おく障子あけにけり  山本佳子

二日酔の父だろうな、呑兵衛だったのでこんな朝には母が薬缶に水を入れて枕元に置いていた。

 

 

あけたてのこの頃楽し沈丁花 山本佳子

若く清々しい。それにこれから俳句をがんばるぞみたいな決意さえ感ぜられる。

 

明治書院新選俳句歳時記

 

海を見るひとりぼっちの夏帽子 山本佳子

吟行仲間の後姿か。二泊三日の吟行の朝はいつも早起きして歩き回るとよく言っていた。その母が海辺へ出たら、すでにノートとペンを構える人を遠目に見たのだろうな。

 

 

その他彼女なりに出版の準備だったかもと想像するけれど、手書きの句帖には颯爽とした佳句が残されている。

 

春の風邪人嫌ひにはあらねども 山本佳子

おお、よく知る母の息遣いを生々しく感じる。メモ書きに若葉の鑑賞に載ったとある。

 

ある年の初句会第二位

屋台組む毛糸帽子のうす汚れ 山本佳子

母の還暦を過ぎるころらしい、、うす汚れに目が行ったか…

 

還暦の一歩うれしき春の雪 山本佳子

この後の20年間で、いよいよ彼女の俳句が熟して枯れて味わい深くなったのに、ここから先は私の稼業が忙しくなってほとんど書き残せなかった。掲載雑誌の山も今はもう手元に無い。

 

ということで、母の句はまたいつの日にかご案内いたします。