昨日の夕方は富士山が見えて、夏とはすっかり違う景色がやって来ました。

雲に太陽が反射して南寄りの空に二つ目の太陽ができて美しかった.

 

では拙句の釈明(もがき)と言い訳

 

斑鳩へ嫁ぎし吾子や柿簾 

 

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺の斑鳩は、古代の政権を争い激しく殺戮を繰り返した土地です。そのような歴史ある町に娘を嫁がせた親心を俳句に込めました。婚家や地域に上手く溶け込めただろうか。我が家は今年も柿を吊るし終えたけれど、今頃は娘は初夜の鐘を聞きながら御所柿を食べているのだろうか。図は橘寺

 

廃屋に日の溢るるや柿たわわ

この村も人が減り始めて打ち捨てられる家屋敷も増えてきたようだ。通りすぎるだけの私には、人の気配がない中では秋の明るい日差しがなおさら眩しい。そして庭には枝も折れよとばかりに収穫されない柿が実っている。

実景は日々のウォーキングコース途中にある廃院となった歯科医院です。

 

 

行きずりも縁の内とや柿膾 

 

次の約束はしない恋だとしても、ひと度交わればそれも前世の因縁(縁えにし)なのではないだろうか。

帰り道馴染みの小料理屋に立ち寄って気だるいビールを飲み、ひと時の恋の余韻をまさぐりながら、柿なますの甘味に微かな後悔を癒している。

『とや』を使った理由は、『や』で強く切ってしまうと不道徳の誹りを免れ得ないかなと危惧したからで、軽い疑問を付与して内容をぼかしたつもりです。文法的には格助詞『と』に係助詞『や』が付いたので、その意味では今回のテーマの間投詞『や』とは異なってしまいました。

 

以上。

悠人さん ごくろうさまでした、ありがとうございました。