Blog句会「悠々自適」第百回ということで、いつものROM暮しから転じて参加させていただきました。

 

めでたくもたくさんの選が入り、望外の巻頭となりました句が

手水舎の龍に夏日の跳ねにけり です。

 

主宰さんの講評が出ましたのでリブログさせていただきます。

ありがとうございました。

 

句会へは三句出すのですが、この7月28日からの「勝手に俳句夏季合宿(個人単独)」で書き留めた約百句をベースにした三句でした。

合宿中は筋トレやウォーキング、サイクリングで代用する吟行を含めて、一日4時間を俳句に費やし計百句を十日で作る予定でしたが、打ち上げは立秋を過ぎてしまいました。

 

合宿中の百句は句帳代わりのブログに書き出しましたが、そこでは

龍の守る神社に夏日の濃かりけり としています。

しかし、夏の光が濃いのは当たり前だし、「龍の守る」の曖昧さがうざい。

見ている景色に気が入り過ぎるとこうなる。

 

 

自宅近くの氷川神社の手水舎の水の吹き出し口は、他社では龍や鳳凰など立派な形状のものも多い中で、単なる蛇口。

まぁそれはそれとして、周囲は開放され光溢れ、そこが好きなのです。

 

朝に参拝する人は手水舎に入っても、東からの朝日とその反射光を浴びることができます。

 

 

この光が龍(蛇口)に確かに跳ねたのですが、今思うときらきらと水が跳ねたのかもしれません。

水滴が光になった瞬間を見たのかな。

 

また、この神社は手水舎には龍は置かれていませんが、面白いことに拝殿の屋根には置かれています。

千木も鰹木も無いのに、水の神である龍は有るのです。

龍が天井壁画によく見られるのは火災予防延焼防止の意味合いですから、本社もその意図かなと理解しております。

 

 

「けり」は『夏の眩しい光が跳ねてきれいだったよ』と、誰に同意を求めるでもなく自閉的に感動する意味でした。