ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを
ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
【鑑賞】
雪を掬い取る段になって、その作業の前で賢治は落ち着きを示す。
先ずはありがたうと死の淵に立つトシに感謝をささげる、けなげな妹に。
健気とはトシの強さを敬う言葉であろう。賢治は一緒に育つ間そしてその後もトシの強さを知っていたのだ。
しかし、何に対する強さだろう?兄妹にしか分からない世界がある故の言葉だ。
直後にわたくしもまっすぐにすすんでいくからとトシを安心させる決心を示している。
いったいこの兄妹に何があったのだろう?
そして、あの繰り返しが置かれる。
あめゆじゅとてちてけんじゃ
賢治をまがったてっぽうだまのやうにのように走らせた台詞の繰り返しはここで終わる。
賢治の取り戻した冷静はさらに質を上げて、トシを見つめる。
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだにあるトシは意識朦朧としながら、他の誰にでもなく兄であるわたくしに頼んだ。
二人は幼いころから、物理的なせかいを語り合い、相転移についても賢治の話をわくわくしながらトシは聞いたことだろう。その回顧が語られる中に、ふたきれのみかげせきざいが唐突に出て来る。この数行の回顧から想像すると、この石に腰かけて二人は話し込むことが好きだった。思い出の詰まった石に今、みぞれはさびしくたまってゐる。寂しくなのだ、もうそこに腰かけることはないのだから。
賢治は取り乱したままその石にあぶなくたち、人に触れられていない新しい雪を松のえだから頂戴する。
トシが大事にしてきたその陶椀を使うのも今日が最後と覚悟をしている。
Ora Orade Shitori egumo
原稿の乱雑に消された言葉は『おらおらでしとりえぐも』と読もう。
推敲後にローマ字表記へ修正された理由はなんだろう?
独白を強調するための表現方法とも思えるが、私は兄妹二人は他者に読まれたくないことなど大切なことはローマ字を使ってやり取りをしていたのではないかと思う。
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
本来ならああだけでなく、前出のようにああとし子となるところだ。
しかし、ああとし子としてしまったら、一連の言葉の最後にけなげないもうとよと繰り返すところで、読者はその濃密な妖艶さにたじろいでしまうだろう。だから、あえてとし子は書かなかった。
とにかく、再びああと嘆かざるを得ないほどの悲しみに囚われながら、あの閉ざされた病室を外から見ると、不憫な妹に相応しくないほどそこは暗く陰気なのだ。
薄暗い中に横たわるトシは強くそしてやさしくあをじろく燃えてゐる。はげしいはげしい熱やあえぎの妹トシは燃えてゐる、まもなく燃え尽きるようとしながら。
妹トシ
(続く)


