加藤周一著『科学と文学』の中で、宮沢賢治永訣の朝(部分)を引用して『方言の繰り返しが一種の情緒的反応を我々の中に生みだす』と語られています。ここが宮沢賢治を読んでみようかなと思う起点です。

 

永訣の朝は賢治の妹トシの臨終の場面です。

 

科学と文学』は講演のテープ起こしなので、あめゆじゆとてちてけんじやと紹介されていますが、このあめゆじゅとてちてけんじゃとどちらか判断がつかず、花巻の宮沢賢治記念館に出向いたことがあります。

 

その際にはメーリングリストの友人でリアルでは初対面のご夫妻に案内していただき、大いに助かりました。

帰りには有名な大畑屋さんに寄って、もり蕎麦と玉子綴じ蕎麦とを二つ食べました。器は少し小さめで、江戸文化の名残を感じました。もちろん美味しかった。

お付き合いくださったご夫妻から帰りがけには一升瓶の地酒も頂き、大いなるご接待には家内ともども感謝いたしております。

 

その賢治記念館では方言で朗読した賢治の詩を試聴しましたが、ゆじゆゆじゅか、けんじやけんじゃかはっきりとは確認できず残念でした。日本人の古代の母音は8種類だそうで、方言はその残響の中にあるのかも。

結局CDは購入しませんでしたが、永訣の朝の手書き原稿の写真版を買いました。

永訣の朝 1  宮沢賢治

けふのうちに

とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ

みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

うすあかくいっさう陰惨な雲から

みぞれはびちょびちょふってくる

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

青い(じゅん)(さい)のもやうのついた

これらふたつのかけた(たう)(わん)

おまへがたべるあめゆきをとらうとして

わたくしはまがったてっぽうだまのやうに

このくらいみぞれのなかに飛びだした

(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

(さう)(えん)いろの暗い雲から

みぞれはびちょびちょ沈んでくる

ああとし子

死ぬといふいまごろになって

わたくしをいっしゃうあかるくするために

こんなさっぱりした雪のひとわんを

おまへはわたくしにたのんだのだ        

 

【鑑賞】

死期が迫り、妹トシもそれを知って病臥している。

けふのうちに、つまり事態は切迫している。医師を呼びに人を行かせている間のことかもしれないし、そんな気がする。

 

トシが臥せっている部屋は当時の風習から間仕切りや屏風などで暗く保たれている。

そこから外を見ると、霙が降る日なのにへんにあかるい。詩人はこんな時でも観察眼を維持している。

 

賢治はそのような枕もとでトシの言葉を聞いた。

あめゆじゅとてちてけんじゃ

 

いやもしかしたら現実には聞いていないかもしれない。

ただ詩人宮沢賢治の心は聞いたから庭へ飛び出したのだ。

 

相対的にほの明るく見える雲は却って陰惨さを強めている。賢治の目にはそう見える。

そして二度目の繰り返し

あめゆじゅとてちてけんじゃ

 

ここで場面転回して、器の話になる。

これらふたつのかけた(たう)(わん)である。

これらとは何事だろう?あめゆじゅを入れる器を賢治は食器棚のある台所などに取りに走ったのではなく、病室のどこかにあるいはお薬を置くお盆の中に見つけた。この器はトシが持ち込んでいたものと私は考えています。これらと言ったのは既にそこにあったからなのだ。

さらにふたつのとあることから、これらの陶椀は幼いころ二人のお揃いの器だったに違いない。

そしてかけたそれはそのまま捨てられず残されていた。トシが大切に保管していたのかもしれない。

それらをトシは生の証、思い出として持ち込んでいた。

 

トシの言葉を聞いた賢治は脱兎のごとく、気が急いてまっすぐには走れないほど駆け出した、までるでまがったてっぽうだまのやうに。

 

第一部の最後の展開の前に 三度目の繰り返し

あめゆじゅとてちてけんじゃ

 

ここに来てはもはや賢治にしてああとし子と慟哭しかない。

わたくしをいっしゃうあかるくするために、つまりこの世を離れる今になってさえ トシは自分を気遣っていると賢治は叫ぶ。

 

さっぱりした雪のひとわんと慟哭は視点を変えて続く。雪と言っても霙である。まもなく個体は融けて相を変えて水と成り、やがて気体となってきれいさっぱり消えてしまうだろう。そんなものをトシよお前は私に頼むのかと。

 

そして賢治はひとわんと言い切る。あめゆじゅを取りに走った時、ふたつのかけた(たう)(わん)を持っていたはず。

つまり賢治はこの世での最後の食事を共に摂ろうとしたのだった。

末期の水とは考えてはいないところに深く打たれる。

(続く)