君や蝶我や荘子が夢心 芭蕉 を鑑賞する

パソコンを使い、例句等を引っ張っているので長い、無理なさらないように。

 

1)先ずは用いられている言葉に就いて

 列挙の間投助詞なので、君と我とが並立されている。

田や麦や中にも夏のほととぎす 芭蕉  田の青、麦の黄色、その美しい空間に夏のホトトギス。夏告げ鳥を置いてご当地ヨイショの句。

 

君 貴人を敬う言葉で、ここでは人称代名詞としては使われていない。遊女も君と呼ばれるのでそっちかも。

一家に遊女もねたり萩と月

市振の関(現在の新潟県糸魚川市市振)に到着した夜の事、宿の襖越しに隣で寝ていた2人の遊女の話が聞こえてきたとか。

しかし、奥の細道は紀行文の体裁をとっているが、芭蕉の脚色による意図的な作文なので、実際はむにゃむにゃよくワカラン。

で、翌朝二人の遊女が同行を願ってきたのだけれど、単に一夜の隣部屋の人が頼むはずもない。

なのに冷たくも「神のご加護を」とか言い捨てて同意しなかった。

その若干の憐憫の情が句となり、曾良が書き留めた。

今日ではこの辺りは松尾芭蕉の虚構とされているが、私は「買った」事実はあると考えている。

 

 荘子(孔子の高弟である曾子(そうし)と混乱しないように、日本ではそうじと読むことが多い。)の胡蝶の夢

落語 どなたかの枕に とあるサラリーマンの話があって面白い。

主人公は疲れ切ってお医者さんに行くのですが、「どうしましたか?」と聞かれて仔細を話し出します。

「実は、一日中働いて家に帰りやっと寝床に横になると夢を見てしまうんです」と。先生は「夢は誰でも見るもんです」と応じますが、彼は「ですけど先生!」と語ります。「寝入った途端に朝起きる夢なんです。今寝たばかりなのに起きて支度をして会社へ行き、一日中働くんです。そして疲れて帰宅して、やっと寝床に入ると夢が終わって目が覚めるんです。すると朝ですから支度をして会社に行き、帰宅して寝ます。するとまた途端に朝なんです、もうくたくたです」と大変な人生になっちまったワケです。

 

一睡のてふてふとなり遠くまで 大井戸辿

 

我 俳句はもちろん発句俳諧も我は基本的に使わない。しかし、芭蕉は何かの時に必要あって使っている。

 

朝顔に我は飯食う男哉

其角の草の戸に我は蓼食ふ蛍哉(虚栗)に誘発されたもので、好き勝手に暮らしている放蕩者其角に対して、私は朝は早起きして食事をしと堅気な暮らしをしているからおまえもしっかりしろと本心から諭した。

そしてこの十二年後の芭蕉の臨終の際には其角が看取ったのでした。

 

塚も動け我が泣く声は秋の風

奥の細道で、初めて会うはずの優秀な俳人が亡くなっていたことを嘆いている。

心の底からの悲嘆が芭蕉をしてと言わせしめたのだ。芭蕉より八歳若い一笑享年35歳。

これは初七日の追善句会で詠んだ句で、

塚(墓)よわが慟哭に震えよと。

 

夢心 夢心には二つの意味があって、一つは夢見心地、一つは発心ともいうべき心。

旅心に二つの意味があるように。 

 

旅に病んで夢は枯野をかけ廻ると病の床で作る時に、「なをかけ廻る夢心」を弟子の支考にこっちはどうかと問うている。

此夜深更におよひて介抱に侍りける呑舟をめされ、硯のおとからからと聞えけれハ、いかなる消息にやと思ふに、

病中吟  

旅に病て夢ハ枯野をかけ廻る  翁

其後支考をめして、なをかけ廻る夢心といふ句つくりあり。いつれをかと申されけるに、其五文字ハいかに承り候半と申さは、いとむつかしき御事に侍らんと思ひて、此句なにゝかおとり候半と答へけるなり。いかなる微妙の五文字か侍らん。今ハほいなし。

 

君や蝶我や荘子が夢心に使われている夢心も同じ意味で使われている。上五が不明なのは同じく残念だけれど、季語をはめ込むのに「枯野」にこだわる必要はないし、むしろ 夏草やなおかけ廻る夢心 とかいかがでしょ?

 

2)次に芭蕉の哲学

古典で育った芭蕉がそこから逃れ出ようとして旅に身を投じた。

(奥の細道部分)

国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。

夏草や兵どもが夢の跡

卯の花に兼房見ゆる白毛かな 曾良

 

七宝(しっぽう)散りうせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚のくさむらとなるべきを、四面新たに囲みて、甍(いらか)を覆ひて風雨をしのぐ。

しばらく千歳の記念とはなれり。

五月雨の降り残してや光堂

 

杜甫 春望

国破山河在 白春草木深

感時花濺涙 恨別鳥驚心

 

烽火連三月 家書抵万金

白頭掻更短 渾欲不勝簪

五言絶句、便宜上このように書いた。

 

杜甫 夜

露下天高秋氣青 空山獨夜旅魂驚

疎燈自照孤帆宿 新月猶懸雙杵鳴

南菊再逢人臥病 北書不至雁無情

歩簷倚杖看牛斗 銀漢遥應接鳳城

七言律詩

あらうみや佐渡に横たふ天の川 

銀漢とはあま(銀)のかわ(漢)

 

このころ芭蕉は宇宙に強い関心を示している。

不易流行そして別れ。これが最晩年の芭蕉の人生観であり、哲学であり、表現者としての根本であった。

 

3)鑑賞 君や蝶我や荘子が夢心

荘子の蝶を理解し実践する(遊女の又は貴人の)域に達した人もいるでしょうが、私はまだまだ憧れている段階です。

人生ってね、流転、留まらず、空っぽなんだよね。

今逢っていても明日は別れてしまう。逢おうとして逢う機会が訪れない人もいる。

そしてそれが普通なのだ。

 

追記;タオは老子の思想、しかし老子の実在を疑う向きもある。

荘子は老子の中から政治性を排除した程度にしか個人的には考えたことがない。

怨みに報いるに徳を以ってす 老子の言葉だが、蒋介石が日本への国家賠償請求を放棄する際にも使われた。