湯へ入る赤子故郷の蓋にされ (葉末2)

湯屋で抱いた赤ん坊で股間を隠すなどと健康的で微笑ましい。

故郷の蓋ってぇ言い回しが粋じゃぁねえか。

 

若比丘尼させに帰るをけなるがり(末三14オ1)

けなるがる;(異なりがる)羨ましく思うこと、か?

 

弘法は是が好きだと阿弥陀言ひ(三二3)

 

弘法大師は男色を開いたとされるが、造像的には智拳印を取ることは少ない。

寺が題材だとやっかみ等微妙な感情が入る。

 

 

背に腹は替えられねへとどら和尚(三四32)

『背に腹は代えられぬ』からおかま掘ってるワケで。

どらは放蕩の意味。

 

このように俚言(りげん)を踏むバレ句も多い。

  

我が身くじって人のしたさを知れ(二八24)

『我が身(つね)って人の痛さを知れ』 

爆笑いたしましたでござるでげす。

 

 

茶にかづけ呼んで(むしろ)を破るなり(三二29)

六十の筵破り;老年になっての女遊びってこと 六十歳は今じゃ普通に現役

かづく;かこつける 筵は隠語かと調べたが不明。

 

老いを題材にしたものも多い

 

目は眼鏡歯は入歯にて間に合へど(三八21)

老衰は、目・歯・まらから忍び寄る。

さて 間に合はねぇものは どうしたもんでがしょ?

 

さるにても隠居無念とひねくらせ (最破礼一47)

久々の機会に倅は言うことを聞かないが、『煙草吸っちくらぁ』とか言いながら、何とかひねくり入れようと必死なのだ。

 

谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな 金子兜太 

有名なこの句は、黒葭や中の奧処の夕じめり等の連作「古代胯間抄十一句」のなかの一句で 思いっきりのバレ句。

鯉が滝や浅瀬で身をくねらせると、背が円くなってぬらりと光りやがる。

老いとは斯くの如き有り様で、この句をお上品に解しようとするのは誤りなのだ。

 

その最中に取り乱さずに句を詠む兜太はエライ。

 

ついでに

去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子

ワケワカラン丸太棒を写生の虚子が掲げるはずがない。

昭和二十五年の句だそうだから、老境達観されているのだろう。

 

除夜の(じん)(ばり)去年入れて今年抜き(葉末15)

腎張はタフな好き者。大晦日だからって遠慮するこたぁねえよね。

って、そんなこたぁ虚子先生はとうよりご存じ。

 

おまけ

去年今年貫く記念館の夢   稲畑廣太郎(虚子の曾孫) 

これは半世紀を挟んで詠まれた。

まさか棒の如きものを陳列神格化する意図はないだろうが。

 

(饅頭沙華)