丗を超えたら百まで見当たらず。

では 大きな数を。

 

100

 

(はう)百里雨雲よせぬぼたむ哉      

百里四方の広大な世界で、色事を寄せ付けずに牡丹だけが凛と咲いている。例の安永6年の作で、娘の離婚が影響しているか。

蕪村は牡丹がお好きで、『牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片』の傑作があるし、

『虹を吐いてひらかんとする牡丹哉』『閻王の口や牡丹を吐かんとす』と拘りもある。

 

 

霜百里舟中(しゅうちゅう)に我月を領ス      

舟からは見渡す世界は霜が降りて銀世界。天には冴え切った金色の月が出ている、その月を私は独占しているのだ。

前句と共に百里は広々した空間の代名詞なのかも。

 

()百日(ひゃくにち)墨もゆがまぬこゝろかな  

夏は百日間を堂に籠って修行するのだけど、避暑でもあったか。この間は虫も活発に動くので、うっかり殺生の禁を犯してしまうかもしれないので、お籠行はそれを避ける意味もあったか。

夜半亭を承継した時期の作とすると、ゆがまぬこゝろは ある種の決意表明かも。

 

百日の鯉切尽きて鱸かな          

百日の鯉(徒然草)は嫌味だったが、ここから料理人への讃歌へと飛躍させた。

ぜんぜん面白くないけど。

 

 

 

村百戸菊なき門も見えぬ哉      

村中の家々に菊がある、秋の不老長寿の仙境。春は桃の桃源郷。

 

水鳥や百姓ながら弓矢取          

水鳥の羽音に驚いて敗走した平家から、空想して武士となった百姓の心細さを詠った。

 

麦蒔きや百まで生きる(かほ)ばかり            

そろそろ寒くなって来た麦蒔きのころに、そのお百姓さんの顔をみれば、みんな百歳まで生きるような立派な面構えだ。

 

鶯や野中の墓の竹百棹

野原の墓には竹が百本もあって藪を作っている。そのどこかでホーホケキョと鳴き声がするよ。

寒月や枯木の中の竹三竿 では三竿だったが墓は百本の中に。

絶筆三句は有名なしら梅にあくる夜ばかりとなりにけり冬鶯むかし王維が垣根哉 うぐひすや何ごそつかす藪の霜で、二つの鶯は地啼きの冬の鶯。蕪村は鶯がお好きだったのかも。

天明三年1783旧暦十二月二十五日没。

 

1000

 

 

白雨(ゆふだち)や筆もかはかず一千言      

前書に双林寺独吟千句とあるが、一人百韻を十巻などと蕪村はなさったのでしょうか。

意味的には独吟百句とだ~っと読むイメージが 夕立と重なっているのだろう。

 

朝霧や村千軒の市の音

大きな村を覆い尽くす朝霧の下から、朝市の賑わいが聞こえて来る。

山椒大夫伝説の港町由良の繁盛「由良千軒」を踏む。

 

3000

 

 

ところてん逆しまに銀河三千尺

ところてんはすごいよ、銀河三千尺を突き出したものだからね

飛流直下ス三千尺 疑フラクハ是レ銀河ノ九天ヨリ落ツルカト 李白

 

1,000,000かも 

 

(冬の月ですけど気分は出てるかな)

 

月見ればなみだに砕く千々の玉            

月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど 大江千里 古今集

千々は無秩序に数の多い様

 

鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな・五六升芋煮る坊の月見かな などをシリーズ冒頭で示しましたが、この確定しない数こそ趣があって面白い。次回にはこれを集めて、最終回とします。