与謝蕪村の数詞 その2(五)

俳句の並び順は句集、蕪村遺稿(岩波文庫)から制作年次に従っていますが、これに漏れていた句は蕪村句集(角川ソフィア文庫)から拾ってその前に置くこととしました。この後も同じ。

 

では、五六騎の句から始めたので、単独の数として五から列記しますね。

 

栗飯や根来法師の五器折敷(をしき) 栗  五器;蓋付大椀 折敷;縁付き盆

 

 

こがらしや何に世わたる家五軒 凩 五月雨や大河を前に家二軒の先駆的な作

凩吹きすさぶ小さな集落に、豊かでない家が身を寄せ合うように五軒建っている。

そこには当然人が住んでいるのだけれど、田畑も定かでないし、どうやって暮らしを維持しているのだろう。

 

みのむしのしぐれや五分の智恵袋 時雨 一寸の虫にも五分の魂のもじり

 

鮓の石に五更の鐘のひゞきかな 鮓 五更;夜明け近い午前3~5時

 

乾鮭の骨にひゞくや五夜のかね 乾鮭 五夜;一夜を甲乙丙丁戊に分けた五番目

乾燥させた鮭の骨のような我が老骨に、夜明け近くの鐘の音が殊更響く夜であったなぁ、と。

老いとは老いてみなければ分からぬものなのだよ。

 

 

 

(たがえ)すや五石の(ぞく)のあるじ(かお)       

粟は文字通り「あわ」でもあるけれど、ここでは穀物(収穫物)で、高々五石しか無さそうな畑を必死に耕している、自分こそがこの畑の主であるよと、誇り高く。珍しい斜め感あり。

 

口切や五山衆なんどほのめきて 口切  

口切とは晩春に摘んでおいた新茶の封を切ることで、冬の季語。五山(ござん)(しゅ);五山は京都五山か鎌倉五山かどちらかの禅僧だが、お茶は夢窓国師なので京都天竜寺か。お茶の袋を開けたら、新鮮な香りに誘われて五山衆などが浮かび上がってきた。

 

 

 

 

しづしづと五徳据ゑけり薬喰   五徳       薬喰くすりぐい;寒中滋養の為に獣を食う事

静々とするのは、仏教が殺生を嫌っていたので、生き物を殺して肉を食うことに躊躇していたからで、薬と称して食用とした。猪を山鯨と隠語で言ったり

 

 

面白いので 以下に薬喰の蕪村例句を二句。

打ちかけの妻もこもれり薬喰 

打掛を纏うような上流婦人もこそこそしている、薬喰のためにね。

 

くすり喰ひ人に語るな鹿ヶ谷 鹿ヶ谷は後白河近臣の俊寛が平家打倒の密議をした所なので「人に語るな」と掛けた。ただ平安時代は鹿は食料としても問題なかったし、武士登場の時代には狩猟が 軍事訓練の一環だったので、もりもり食べたはず。

 

蕪村の時代は米を大量に食べることで生を繋いでいたので、たまに食べる獣肉は身に沁み込んだことだろうな。

 

(せき)(こう)へ五百目もどすとしのくれ 年の暮 五百目;銀一貫の半分 石公は黄石公のこと

衣がへ人も五尺のからだかな   更衣       ほとゝぎす啼くや五尺のあやめ草:芭蕉

 

1;五は 五月雨 皐月雨 五月五日などと用いた句も有りますが、掲載しませんでした。

2;五の句が少し残ったので、次回に。