ジャスコ の創業は古く1758年三重県四日市市 の大物・小物物商「岡田屋」開業に遡ります。
1969年フタギ、シロと3社で共同仕入機構「ジャスコ」を設立します。ジャスコ(JUSCO)とは、Japan United Stores Co.の略。同年に東北の有力チェーン6社と東北ジャスコを設立。翌年社名を岡田屋からジャスコに変更しました。
そして21世紀を迎え、2001年8月に社名を「イオン 」へ一新。イオンはラテン語で永遠を意味します。新生イオンの最大の特徴が事業持株会社制です。総合スーパー「ジャスコ」と中心に、ショッピングセンター事業、衣料品、ドラッグストア、コンビニ・ミニストップ などの企業群でイオングループを形成しています。
- 鈴木 孝之
- イオングループの大変革―新たなる流通の覇者
県庁所在地の人口比率が高い高知県 、県人口81万人に対し高知市は32万人、39,5パーセントを占めます。高知県は、東西に半円を描くように広がり、東の甲浦から西の宿毛までの距離は200キロに及びます。東側には鉄道がなく、高速道路網も未整備なためクルマで5時間はかかる距離。そこに小都市が点在します。高知市の次に大きいのは南国市ですが、それでも5万人です。高知県は四国内の他県と比べ産業の発達が遅れています。これは京都や大阪からみると、瀬戸内海を渡り、さらに四国山地を越えたところに位置する事情があるからです。商業・工業すべてにおいて高知県は遠いところにあります。ただ、こうした高知県の閉鎖性が坂本竜馬のような英雄や独自の文化を生んだかもしれません。
「人の三井」といわれる三井グループと対比されるのが「組織」の三菱グループ 。三菱グループは、明治時代の初め、創業者・岩崎弥太郎の海運会社「九十九商会」(日本郵船の前身)に始まります。その理念は「三菱は国家と共に歩む」という壮大なもの。とくに三菱重工業、三菱電機、三菱化学を中心に重厚長大産業に強く、日本の高度経済成長時代を担っていきました。
スリーダイヤモンドは岩崎家の家紋と出身地の土佐藩主・山内家の家紋の三ツ柏とを組み合わせたものです。
三菱グループは、東京千代田区丸の内に各社の本社が集結していて、一帯は三菱村とも呼ばれています。丸の内の大家は三菱地所でもあります。
日本全国では、今日61回目の原爆の日を迎える長崎 には三菱重工業の長崎造船所や三菱電機長崎製作所などがあります。
- 長崎市, 葉 祥明
- あの夏の日
鉄道以前に日本の産業のインフラをつくったのが道路。平安、鎌倉、室町と時代を経るにつれ人々の往来で街道が生まれ、江戸時代には東海道(江戸から京都)、中山道(江戸、信州から京都)、日光街道(江戸から日光)、甲州街道(江戸から下諏訪)、奥州街道(江戸から白河)の5街道を中心に整備されました。(中山道の信州の妻籠 、馬籠 などは現在人気の観光地としとなっています。)
現在は、日本の道路は約122万キロあり、高速自動車道と一般国道、主要地方道、一般都道府県道、市町村道に分かれています。一般国道というのは国道○号線などと呼ばれ、現在約500路線。国道1号線は東京から大阪市までで、一番長いのは東京から青森市までの国道4号線で742キロあります。江戸時代の街道に変わり、明治、大正、昭和と国道網の発達が鉄道と共に産業の基盤になりました。
現在、主要幹線道路沿いには大型ショッピングセンターや大型スーパー、安売り量販店、ホームセンター、パワーセンターといった流通業が、また、ファーストフード、ファミリーレストランなど外食産業があります。銀行や消費者金融のATMも幹線道路沿いに多く、これらが昔からある自動車販売会社、ガソリンスタンド、パチンコ店などとリンクして複合的な展開を見せています。
- 児玉 幸多
- 保存版 古写真で見る街道と宿場町
日本で最初に高速道路が走ったのは1963年で、名神高速道路の一部として滋賀県栗東町(現在栗東市 )と兵庫県尼崎市 の間、71キロです。このとき栗東町周辺にインターチェンジがつくられ、栗東町周辺が急速に発達することになります。
現在、栗東町にはコンピュータ関連や機械・金属などの工場が集積するとともに、競馬トレーニングセンターがあることでも有名です。
また、東隣の野洲町(現在野洲市 )には日本IBM の工場・研究所があり、西隣の草津市にも松下電器産業のエアコン工場などがあり、一帯にはコンピュータや電機、機械関係の工場が多くなっています。高速道路の発達が産業をもたらしました典型といえます。
- 芦谷 有香
- 栗東厩舎探訪記 (2)
- 芦谷 有香
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