積水化学工業のハウス事業部が1960年に積水ハウス産業として分離独立しました。当初のプレハブは、在来工法より値段が高く、売れ行きは低調でした。1963年に社名を積水ハウス に変え、独身寮向けのデラックスタイプが「プレハブは安物」のイメージを一新し成功、高級化路線の追求により、1965年にそれまでの累積赤字を一掃します。

1975年から分譲マンションを各地に展開、そして神戸市の「六甲アイランドCITY 」の都市開発事業に参入しました。1995年1月の阪神大震災で同地区は被害を受け再開発に取り組みます。1984年発売の高級住宅「イズシリーズ」はプレハブ住宅のイメージを変えました。1991年1月期に業界初の売上1兆円を達成し業界トップとなります。

アズビー・ブラウン
ジャパニーズ・ドリーム・ハウス―The Japanese dream house

日本はロボット技術先進国。さまざまな企業や大学が将来を見据えたロボット開発を進めています。

例えば福岡県北九州市 には安川電機のロボット工場があります。安川電機 は多関節ロボットで世界シェア首位に立つ会社。ここ北九州市で1月に同社の「モートマンステーション」が稼動しました。「モートマン」は同社の製品ブランド。人間の動きに近づくようにとの夢が込められています。顧客ニーズにきめ細かく答えるための独自の生産手法を取り入れた戦略拠点がこのモートマンステーションです。

また、家庭向けロボットも進化していて数々の製品が登場しています。その中でも近藤科学 の自作キットなどは、従来と比べ機能強化され技術の進歩を感じさせてくれる製品として話題となっています。

松原 仁
鉄腕アトムは実現できるか?―ロボカップが切り拓く未来

花王 の歴史は、1887年にアメリカ製の化粧石鹸を扱う洋小間物商・長瀬商店を、東京・馬喰町(中央区 )に創業した時代にさかのぼります。1990年に、輸入化粧石鹸に対抗できる国産ブランド「花王石鹸」を発売します。

大正から昭和にかけ社名は幾度も変わりながら1954年、現在の花王株式会社となります。

1932年、日本人の洗髪習慣を大きく変えた「花王シャンプー」を発売。シャンプーという言葉はここから普及しました。

1987年には、洗剤「アタック」が洗剤史に残る大ヒット商品となりました。

石井 妙子
せっけんシャンプー快「髪」読本―家族の生活を守りましょう

街でみかけるファミリーレストラン。核家族化が進み、一人暮らしのシルバー世代の増加や女性の社会進出により人気の外食産業です。

すかいらーく の創業は、1962年に、東京の「ひばりが丘団地」(東久留米市 )に設立された食品スーパーことぶき食品に始まり、この地名から「すかいらーく(ひばり)」の社名が生まれました。当初わずか8坪、資本金100万円で、4人の兄弟が創業しました。創業の頃は、満州開拓団だった父が急死し、終戦前に一家はかろうじて帰国。「東京で店を持ち、商売を始めよう」と、兄弟は元手を貯め開業。店は団地の評判になり大繁盛になりました。

現在、低価格レストラン「ガスト 」や中華料理「バーミヤン 」、和食「夢庵 」などのブランドを展開。

城山 三郎
外食王の飢え

日本独自のエンターテインメントであるパチンコは、辺鄙な町でも見かけますが、国内で30兆円規模の市場です。実に余暇市場の3分の1を占める大きさです。

パチンコ機器大手の「平和 」が1991年に東証2部上場、1997年に東証1部に移ります。続いて「SANKYO 」が1995年に東証2部上場、1997年に東証1部に移ります。この2大メーカーの上場がパチンコ業界のイメージアップとなりました。

パチンコホールのトップ「ダイナム 」は、不況で市場縮小にもかかわらず売上・利益とも好調です。

東邦出版
懐かしい日本のパチンコ台―もう一度打ちたい名機102読本

1918年、創業者・野村徳七が大阪 に大阪野村銀行を設立、この銀行の証券部が1925年に分離・独立したのが野村證券 になります。一方の大阪野村銀行は、戦後の財閥解体に伴い野村の名称が使えず、大和銀行の社名(現りそな)となります。

野村證券は、創業時は公社債業務専門でしたが、1938年に株式業務に進出。戦後、1951年には、業界に先駆けて投資信託業務の大衆化路線を拡充します。

1955年、日本企業初のコンピュータを導入、1965年野村総合研究所 を設立、金融機関の総研づくりの先駆けとなりました。

梅林 貴久生
証券王〈上〉―野村証券を起ち上げた男
梅林 貴久生
証券王〈下〉―野村証券を起ち上げた男

「そのとき日本の道を走っていたクルマはわずか5、6万台」とは、ブリヂストン の創業者・石橋正二郎が地下足袋の製造・販売に成功した資金を、次の自動車タイヤに賭け、1931年にブリッヂストンタイヤを久留米市 に設立したときの回想です。

タイヤ事業とともに、1935年にはゴルフボールに進出。第2次大戦後の1946年には自転車に進出し、1949年、ブリヂストンサイクルを設立しました。1951年にブリヂストンに社名変更します。1952年、系列代理店第一号「タイヤセールス」を設立し販売網整備に向かい、翌年、売上高が100億円を突破し業界首位となりました。>>マーケット速報

浜島 裕英
世界最速のF1タイヤ―ブリヂストン・エンジニアの闘い

1872年、海軍病院医薬長福原有信が官を辞して、東京・銀座 に洋風調剤「資生堂薬局」を設立。これが資生堂 の始まりです。易経「万物資生」から名をとりました。当初、経営に苦労しましたが、1888年に日本初の練り歯磨き粉、1897年に化粧水などを発売して成長しました。

1915年に福原信三が経営を引き継ぎ、薬品から化粧品に転換、商標「花椿」を制定します。関東大震災で店舗、工場を焼失しますが再起し、1923年にチェインストア制度を採用。翌年、機関紙「資生堂月報」(現「花椿」)を創刊。1937年に愛用者組織「花椿会」を発足します。戦後、1949年に東京証券取引所に上場します。有望な中国市場に積極展開しています。>>マーケット速報

芦原 しの
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広島県福山市 、人口約38万人のこの市内にはNKKやシャープ、三菱電機などの工場があります。1998年に中核市に指定され、また、バラによる街づくりを推進しています。松永地区は下駄の産地で、福山市の最南端には景勝地、鞆の浦があります。鞆地区は港町の古い街並みが残ります。福山市を地図で見るとちょうど山陽地方の真ん中にあり、かつては備後地方の中心地で福山藩の城下町として栄えました。運輸業の福山通運 、紳士小売業の青山商事 の本社がここ福山市にあります。

青山 五郎
非常識の発想