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みんなのブログ

みんな楽しく!
意識の使い方、物事のとらえ方などに視点を置き
論理的思考、感覚、超感覚を交えて
時事、歴史、科学、スピリチュアル、宇宙の法則、目に見えない存在など、現時点、認識できている限りのことをお話します。
投稿主は理学部卒です。

 

 

 

↑前回記事の続きになります。

まだお読みでない場合は、前回記事をお読みいただいてからの方が、流れが掴みやすいかと思います。


前回の記事では、
・能登半島地震をどうとらえるか?
・僕が実際に被災したら、どう感じるか?
について、書かせていただきました。


僕が実際に被災したら、
・家族や友人がいなくなっても、全財産(というほど財産もありませんが)を失っても、目の前の状況をすべて受け入れる
・今、この肉体が、命があることに感謝する
・今、目の前にあるもの(水、食料、寝泊りできる場所があること)に感謝する
・支援に動いてくださっている全ての方、被災者に一瞬でも気を向けてくださった全ての方に感謝する
と思います。


どうして、そのように思うのか?思えるのか?といいますと
お金や物、人などに対する執着が薄れつつあるからです。


執着=固定観念=思い込み=洗脳と表現しても、いいかもしれないです。


例えば、次のような欲求があまりありません。

○高級住宅・高級マンションを購入して住みたい

○高級車、高級家具家電、ブランド品、コレクターアイテムなどで身の回りを埋め尽くしたい

 

○6億円欲しい

 (数千万~1億円くらいなら欲しいかも・・・え??)

 

  →そういう大金を手にしたら、みんなが喜ぶようなこと、みんなの波動が爆上がりすることに使いたいなあと思います。

 

  →例えば、地元のちびっこ、小学生を全員ディズニーランドに1日無料招待するとか。

   もちろん、希望しない人には、無理強いしないです。

  

  →でも、できたら、不登校の子たちも、みんな笑顔になれるようなことをしたいなあ。

   犬、猫、イルカなど動物とのふれあいとか?

 

  →まあ、必要なアイディアや資金や人は、必要なタイミングで現れますね、きっと。

  

  →とか、あとは、知的障害者の方がみんな楽しめるような、、ディズニーでもいいですし、そういうものを企画するとか。

   知的障害者の支援をしている法人を支援するようなこととか。

   彼女ら、彼らは肉体をまとった天使なので。

   子どもも同じですね。

 

   そんなようなことでしょかね。

   今、個人的に思ってるのは。

 

  →みんなの波動を上げて、地場の波動も上げて、地球の波動も上げることに使いたいなあと思います。


○政治家、有名人、芸能人、経営者などに人脈を広げたい

○美人な愛人・恋人を囲いたい

○社会的に認められて、多くの人から称賛・評価を受けたい

○この人がいなくなったら生きていけない

○親しい家族や友人とは、ずっと一緒でなければならない


こういった欲求があまりありません。


経験として一度経験してみても面白いかも?と思うものはありますが、
「実は密かに、そうなりたいと思っている」
「できることなら、そうなりたい」
「もしそうなった暁には、その状態を死ぬまで維持し続けたい」
という気持ちは無く

「そうならなくて、全然構わない。」
「面白いかも?と思ったことを一度経験したら、もう次の日には、その状態から脱してもいい。」
という感覚です。


上に列挙したような状態になったとき、
・自分がどういう感情になるか?
・自分の中にどのような感覚が湧くのか?
ということには興味があります。


が、それらの状態になること(例えば、6億円を手にすること)そのものに対しては、実現した姿を想像してみても、あまりワクワク感や楽しさを感じないのです。

・・・ということは、おそらく、それらの状態になっても、あまりポジティブな感情は沸いてこないのかなあとも思っています。



これは、
「豊かさとは、お金や物、状況、人に左右されるものではなく、自分の感情そのものであり、自分の内にあるもの」
だということが、何となく分かって来たからなのかなと感じています。


言い換えれば
『物事や行動の判断基準』
が変化したからだと思います。

『物事や行動の判断基準』=『価値観』
が変わったと表現してもいいかもしれません。



具体的には、

・自分が得をするかどうか
・自分が損をしないかどうか
・他人から良く思われるかどうか
・他人から悪く思われないかどうか
・周囲からの助言や提案、誘い
・「付き合い」
・「周りもみんなそうしてるから」という同じでいることの安心感
・売上の多さ、規模の大きさ
・支持している人の数
・口コミサイトやSNSの評価数
・その道の権威・専門家の発言内容

・高次元存在からのメッセージ

といったことを基準に判断するのではなく、、

・自分が心地よいかどうか
・自分がワクワク感や楽しさを感じるかどうか
・自分がしっくりくるかどうか

を基準に判断することへとシフトしたからだと思います。


客観的判断ではなく、主観的判断をするようにしたからだと思います。


あるいは、
○外からの刺激によって、物事を判断するのではなく
○内から湧き上がる感情・感覚に従って判断する
と言い換えた方が分かりやすいかもしれません。


もちろん、家族や友人は大切な存在ですし、一緒にいるときは、その時間を大いに楽しみます。



また、
・惹かれた衣服がたまたまハイブランドだった
・偶然知り合って意気投合した人がたまたま有名人だった
などのことは、もしかしたら(今後)あるかもしれませんが、それは、内なる声(魂)の赴くまま行動した結果として、そうなっただけで、

「ハイブランドを身に着けると、自分がレベルアップした気がするし、周りから一目置かれるから買った。」

「有名人と仲良くなれば、自分に箔が付くし、人脈も広がるし、自慢できるから、お近づきになった。」

ということではないです。


「興味があったので、やってみたけど、触れてみたけど、自分には合わなかった」
ということももちろんありますが、それはそれで一つの学びです。



これとは逆に、どれだけ口コミが良いものであろうと、多くの人から支持されているものであろうと、自分の気が進まないものには、一切見向きもしません。

 

 

もしかしたら、人によっては、僕に対して

「あなたとは、違う世界線を生きてるんですね」

と感じるかもしれません。


例を挙げさせていただきますと、僕は
・大流行した映画、ドラマ、歌などを知らない
・超有名な俳優、有名人を知らない
・基本、(西洋医学をベースにした)医者に行かない
などです。



以前、体調を崩したときも
「病院には行った?医者に診てもらった方がいいよ」
と周囲から言われましたが、病院には行きませんでした。

「病気を治すために、医者に診てもらったほうがいい」
という必要性を感じなかったからです。

今後も、自分の中で納得感や必要性を感じない限り、病気になっても病院に行くことはありません。
(逆に、感じた際は行きます。)


身体が本来、宿している「自然治癒能力」を信頼し、

・発熱も、身体の浄化のために必要があって起きているので、解熱剤は飲まない

・せきや鼻水などの風邪の症状も、浄化のために必要があって起きているので、風邪薬も原則、飲まない

といった、あるがまま委ねるというのが、病と健康に対する基本的な僕の考え方です。


ただし、痛み止めについては、痛みがひどい場合は、必要に応じて、処方するのはありかなあとも思っています。

そのあたりは、そのときどきで、必要性を感じたままに行動、ですね。

それで、大抵の風邪、体調不良は完治します。



はたから見たら、
「頑固な人間」
「非科学的で迷信を信じる人間」
と映ることもあるかもしれませんが、そう見られても一向に構わないとも思っています。


自分の内なる声(魂の声)に耳を傾け続けた結果、そうなったといった感じでしょか。



今の社会常識に照らしたら、相当な変わり者だと思います。

でも、いいんです。

新しい地球は、それくらいに、今までの価値観にも常識にも縛られない大きく意識をシフトさせた人たち(と人類以外の存在たち、あらゆる生き物、無機物、目に見えない存在も含めすべて)によって、共同創造される愛と調和に満ちた星なんですから。




例えばですが、自分のことを
「自分は、腰痛持ち」
と思っていると、実際にその通りの症状がずっと維持されることになり、自分が無意識のうちに思い描いている自分像どおりの姿になります。


ギックリ腰などで、たまたま腰を痛めた人がいたとしても、自分のことを
「本来の自分は、健康体」
「だから、この腰痛も一時的なものに過ぎず、必ず治る」
と思っていれば、、心底そう信じていれば、腰痛はやがて治ります。


このように、病や健康についても、個人個人の
固定観念=思い込み=洗脳
によるところが大きいです。

「プラセボ効果」という科学的な見地からも、そう示されています。


「風邪薬を飲めば、たちどころに風邪は治るけど、飲まなければ、いつまでも長引く」
と心底思っている方は、風邪薬を飲まれた方が、実際の治りも早いでしょう。


ですので、病の対処法、健康維持については、現段階では、
お一人お一人が感じるがまま、考えたとおりに、
判断・行動されるのがいいのかなと思います。



心、身体、病、健康、医療、食などに対するあらゆる
固定観念=思い込み=洗脳
が外れれば、究極、病気や体調不良にならなくなり、そういった概念自体が存在しなくなると思います。



また、先ほどの話に戻りますが、一般的には、
「物事の判断は、自分の主観ではなく、客観的に見て行うほうがよい。」
とされていますが、それも、
固定観念=思い込み=洗脳
の一種なのかなと思っています。


ただ、これも、

・「固定観念=思い込み」の外し度合い

によって、個人差があると思いますので、一人一人、個別具体的に、
・主観的判断と客観的判断の使い分け
・「外からの刺激による判断」と「内から湧く感覚による判断」の使い分け
をしていただければいいのかなと思います。


ちょっと抽象的で分かりにくいと思いますので、僕の例ですが、具体例を挙げさせていただきます。

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●主観的判断をしているもの
●「内から湧く感覚による判断」をしているもの

○何を食べる?
 →そのときどきで、食べたい物!

 →栄養バランスやカロリー計算などは気にせず、必須栄養素を多く含む食材であっても、「これは食べない方がいいな」と感じるものは食べない。


○何をする?
 →面白そうなこと!楽しいこと!

 →必要性を感じるものをやる。仕事、家事、挨拶など。
 →それらも、楽しむ。

 →必要性も面白さも感じないことは、最初からやらない。
 →目先の損得勘定、義務感、義理(※)、付き合いなどでは動かない。

※義理も、正と負の両面がある言葉かなあと感じています。

 →詳細な計画も立てない。

 →本ブログも、文章のかたちで、自分を表現することが楽しくてやっています。


○誰とする?
 →一緒にいたい人と!


○どこに行く?
 →そのときどきで、行きたいと感じるところ!


○どのサイト・動画を見る?
 →そのときそのときの気分で、見たいもの!
など




●客観的判断をしているもの
●「外からの刺激による判断」をしているもの

○信号、道路標識

○電車やバスの時刻表

○天気予報
 →傘を持っていくかどうかなど

 →天気の予測が正確にできる人、または天候を操れる人?には、天気予報は不要


○予想気温
 →コートは何着てく?

 →日中の最高気温が分かる人には予想気温は不要


○エアコンの温度設定
 →何℃に設定する?


○カーナビ
 →どっちに行けば目的地に着く?

 →ナビに頼らなくとも、目的地を思い浮かべたうえで、心の赴くまま・イメージが湧くままに進めば、そこに辿り着ける人には、ナビは不要

 →自動運転の実用化や瞬間移動装置・能力の発露により、ナビが不要になるかも


○分量
 →調理、カップ麺に入れるお湯
など
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パッと思い付いた限りでは、こんな感じですが、
・主観と客観の違い

・「外からの刺激」と「内から湧く感覚」の違い
が何となくでもお分かりいただけたでしょうか?


・大きな判断は、主観・内から湧く感覚で行い
・小さな判断は、客観・外からの刺激で行う
といった感じでしょか。

 

 

 

・執着を手放し

・固定観念を壊し

・思い込みを外し

・自己洗脳を解けば解くほど

外からの刺激に左右されない自分になります。

 

そうなればなるほど、自分の内なる声(魂の声)が聞き取りやすくなり

自分の認識・意識も広がっていき

・本来の自由な存在

に戻って行けると感じています。

 

 

これらのことも、スピリチュアルで言われる

・感情の統合、意識の統合

・超感覚・サイキック能力・神通力の発現

などに繋がっている大事な要素の一つだと感じています。

 

 

ので、ピンと来た項目などがありましたら、そこはご自身に取り入れていただければいいのかな、と思います。



そして、繰り返しになりますが、
以上のことは、個人的に感じていることを書かせていただいているもので

「これが真実」

だと押し付けるものではありません。


ご覧くださっているあなたにとっての正解とは
・あなたが感じたこと
・あなたが思ったこと
・あなたが判断し、決めたこと
になります。



こちらのブログを読んで
「こいつは頭が変」
とお感じになられたら、それはあなたにとって正しいことです。


一方、
「書かれていることにも一理ある」
とお感じになられたら、それもあなたにとって正しいことです。

 

 

 

1万人の人がいたら

1万通りの正しさがあり

そのすべてが、その人その人にとって正しいことです。

 

そこで

「お前、それは間違ってるよ」

「正しいのは、これだから」

とやってしまいがちになるので、世界から争いや対立、分断がなくならないのでしょう。

 

 

・誤りなんてない

・全員が正しい

・なぜ正しいと言えるのかというと、全員が人生を通じて、自分にとって必要な魂の学びを経験している真っ最中だから

・戦争も破壊も犯罪も、そこに関わる人は、加害者も被害者も、みんな自分にとって必要な学びをしている

・あるのは、お互いの違いだけ

・だから、その違いを無理に正そうとしたり、まして誰かを裁き、排除したりする必要なんてない

という認識を持つ人が増えると、この世界から争いも対立もなくなるでしょう。

 

このことも、話し出すと長引いてしまいますので、また機会がありましたら、記事にしてアップさせていただきたいと思います。

 



・あなたに降りてきた直感、閃き
・感じた違和感
・インスピレーション
を信頼していただいて大丈夫です。


感じるがままに、ご自身の意識を使いこなし、判断し、行動なさってオールOKです。


あなたの中の違和感を炙り出し、直感・閃きを降ろすきっかけとして、本ブログがその一助となりましたら幸いです。


ここまでお読みくださってありがとうございます!