わたしが変われば、世界が変わる・・・かも。

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自分を幸せに、家族を幸せに。

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私の娘は普通ではありません。

でもふと思うのは、普通って何?って思うんです。

 

私自身も普通ではありません。

夫も普通ではありません。

きっと黒柳徹子さんも長嶋さんも普通ではないと思うんです。

 

 

 

春になった。

私たち家族はまだまだ春を実感できないけれど、

取り合えず、春が来た。

 

昨年末、

家族離散状態になった。

〇〇家、活動休止宣言をし、実際そうなり、

私と娘は、実家のある九州へ発った。

 

九州での生活は困難やトラブルの連続だった。

娘がおかしくなった。

暴れるようになった。

癇癪が何倍もすごくなった。

地元の公立の幼稚園で不登校になり、園から脱走したり、

先生に反抗したり、逃げだしたりし、不登校になった。

 

実家に居られなくなり、

ビジネスホテルに住んだり、

長期滞在の古民家に一カ月くらい暮らしたり。

 

教育センターという施設にお世話になった。

児童精神科というところを受診した。

 

結果、発達検査要ということに。

 

私が働くことを前提とした地元での生活は

事実上、難しいということに。

 

家族3人緊急に話合い、

やはり家族3人で生活することがベストだということになった。

 

夫は都内で単身生活していたので、とりあえず、

そこに行ったが、そこは3人では住めないようなところだったので、

再度引越し。

 

なんとか、娘の入学式に間に合うようにと決めた部屋。

 

入学式では、

娘は屋上に逃げ出した。

数人がかりで連れ戻すも、戻らない。

 

戻ったはいいが、

机の上に立ったり、うろちょろ歩き回ったり。

 

入学式後、登校したのは1回きり。

 

外は桜の花びらが待っている。

私たちの家族に春が来るのを待っている。

私は、自分自身、親が不仲で、

父親が、働かず、アル中、ギャンブル、借金、暴力と、

なんとかの総合商社のような男だった。

母は、罵り合ってもいたが、夜遅くに帰宅する父親の為に、

これは、何のためだったのか、機嫌を損ねないために気を使ってそうしていたのか、

本心からそうしてあげたいと思っていてしていたのか、不明だけど、

甲斐甲斐しく夜食や晩酌の準備をしていた。

それが、なんか気持ち悪かった。

 

お金も入れてもらえず、殴られてまでも、借金をどんどん増やされてまでも、

何で一緒に居たいんだ、何もメリットはない。

早く離婚してほしかった。

元々お金をくれてないのだから、生活の為ではないはずだ。

却って楽になるのではないか?と思っていた。

 

私は毎日夜になるのが怖かった。

また、あいつが暴れだすんじゃないのか?と。

超ド田舎の我が家は、何かあって叫んでも周りに集落がない。

殺される、と思って怯えて暮らした思春期だった。

 

世の中では、

母親が、私が我慢してでも子供の為に離婚は思いとどまる的な考えは、

糞くらえと思ってきた。

実際に自分がそうだったから。

母が殴られないようにと父親に機嫌を取ってきたのは、苦痛と屈辱と惨めさしかなかったから。

平和を求めていた。

更に言うなら、子供の為に離婚してくれと思っていた。

 

さて、自分が母親になって、

自分を含め、まわりの小さい子を持つ母親たちを見ても、

そーんなに幸せそうな人っていなかった。

私がそんなだから、まわりの人間もそうなんだろうけど。

 

ハラワタのグツグツ煮えたぎる思いを抱えて、夫のことが原因で、

イライラし、時にはそのとばっちりが子供にまで及ぶ。

そして、いつも眉間に皺を寄せ笑顔なんて、殆どない母親。

そう、私はそんな母親だ。

自分の中ではもうどうしようも出来ないのだ。

 

そんなら、いっそのこと、貧乏になっても、

夫と離婚して子供と平和に暮らして行った方が、母親が笑顔の方が、子供だって

うれしいに決まってると、そう思っていた。

子供の為に我慢して離婚をしないなんて、そんなの子供のせいにしているのではないか、

と思っていた。

 

今日の夕食後、何年か振りに三人で床に座った。

娘たっての希望だ。

三人でカルタがしたいと。

娘はいつもにもまして饒舌だ。

合計三回。

その後寝床に入った娘は、布団を抜け出し、手紙を書くと言って数分後帰ってきた。

 

さっき見つけた、その手紙には、

「パパへ、

きょうはたくさんあそんでくれてありがとう」

ですって。

 

夫は、ずっとずっと携帯のゲームを自室に引きこもってやっている。

ほんの数分、一緒に遊んだことが、娘には、たくさん だったのだ。

 

泣けてきた。

娘は父親に愛されたかったんだ、と思った。

まだ5歳の心のなかでずっとずっと思ってきたのだろう。

もう、申し訳なくて申し訳なくて、どうしていいのかわからない。

私は、私自身が娘を愛しきれていないのではないかと、いつも不安だった。

ギリギリの精神状態の中で、娘ときちんと向き合えていないし、酷いことも言ったりもするし、

要求に応えてあげれていない。

自分の事を棚に上げてだけれど、夫は娘のことを愛しているのかというのが、いつも疑問だった。

娘もそうだったのだ。

 

父親に愛されたいという気持ちがあの手紙には現れていた。

娘は時々夫に手紙を書いているが、夫はその手紙をポンと、その辺に置きっぱなしにする。

自分の夫ながら、なんというか、 悲しくなる。当の娘はもっと悲しいだろう。

ごめんよ、娘。

 

 

全て私の責任だ。

妊娠が分かった時からでも、夫をなんとか、教育するべきだった。

私自身が大した人間じゃないからと遠慮してきたけれど、

巷にいう、夫操縦法みたいな、ことすべきだった。

給料は渡すように、家族は協力するように、子供は大事にするように、みたいな。

 

話逸れたけど、

調停にて、話が着くようだったら、今すぐにでも離婚したかった。

新しく、娘と人生をやり直したかった。

夢みたいな話をすれば、BIGにでも当選したら、

夜逃げのように逃げようとさえ思っていた。

私が笑顔で幸せではないと、娘を幸せにすることなんて、出来ないと思っていたから。

 

ただ、さっきの手紙見たら、あぁ、私は間違っていたのかなぁと思わされた。

やっとひらがなを覚えた娘。

今日は、の「は」を「わ」と書き間違えている位、やっと書ける程度の文字。

そんな拙い字ででも、父親に、気持ちを伝えたかったのだ、愛してほしい、との飢えがあったのだと。

 

嫌な言葉回しを使えば、私が我慢し調整して、夫がもっと娘を愛しているように娘に感じれるように、そういう環境を、我慢して我慢して努力して作り出してあげることが、娘の幸せなのかもしれないと、思ってしまったのだ。

 

 

色々と、険しい。


県主催の、在宅ワーク講習会に行ってみる。もちろん無料。

幸せそうな主婦も、そうでなさそうな主婦も、皆仕事したいけど、出来ないという状況。

幸せそうな主婦は大変な思いしてなぜ働こうとするのかしら。


子供と電車乗り継いで、娘と20分かけて、ハローワークに行く。

炎天下だった。娘は鼻血を出してしまった。帽子はかぶせてあった。

タクシーに乗ればよかったか。申し訳ないことした。


9月から始まる求職者訓練を申し込むためにいったが、

何と門前払いだった。


私が希望する訓練は、例え訓練を受けたとしても、

私の年齢だと就職が出来ないからと、いう理由だった。


なんか、泣けてきた。


娘とうどん屋さんに寄って、タリーズの氷を食べさせた。

目の前にカラオケ屋さんがあって、娘が行ってみたいというので、連れて行った。

今、カラオケってものすごく安いんだ、驚いた。


おかあさんといっしょのぼよよん行進曲という歌を一緒に歌った。

ちょっと元気が出た。


道は険しい。

明日も仕事頑張ろう。



世間一般で、家族とは、家族の定義とは、どんなものなんだろう。

家族の数だけ、それぞれの形があるとは思うけれども。

それほど幸せではない家庭で育った私は、正直よくわからないのだ。
ただ、自分の生まれ育った家族を反面教師にしていたつもりだ。


改めて考えると、どうだろうか。

自分が思い描いていた家族像。

家族とは、
幸せな時も、楽しい時も、苦しく辛い時も、みんなで協力し助け合って生きていく集合体みたいなものと思ってました。

話し合って、分かち合って、労り合って。


我が家もそうだけど、

我が家だけでなく、結構思い悩んでいる家族はいる。

それでも一緒にいる理由ってなんだろう?って考えたら、

子供、母の立場の人たちは、お金の問題だったりする。


納得いかなくても、辛くて、悔しくても、

それでも、子供たちと母親が路頭に迷わないために、

どうにか折り合い就けて、我慢していくのだ。



今から思えば、学生時代から生きるのが難しかった。

それがなんなのか分からない。

多少発達障害の特性もあるのかもしれないけど。


心の中にある煮えたぎる情熱と、世間からの冷ややかな目、

取り巻く環境や、自分の不甲斐なさのギャップなどで、日々悶々としていたような気がする。


そんな10代20代。

その頃中の良かった親友が

『あなたには、この土地(地元)やもはや日本自体をもてあましてるのではないか?』と言われたことがある。


いやいや、私はそんな大層な人間ではない。

野望はあっても口ばかりで、何も実行に移せないような人間だ。



あれから彼此二十数年。

あの時と何も変わってない、どころか余計沈没気味だ。


ここ数年の座右の銘は『現世は諦めた、来世に期待!』だ。


そんな中、

前々から知ってはいたが、山下達郎の蒼氓を改めて聴いた。


『生き続けることの意味を  待ち望んでいたい』とある。


なんで、自分は生きているんだろう?

生き恥をさらしているのだろ?

死んでしまった誰かの代わりに私が死んだ方が良かったのではないか?と思い苦しんでいたのだけれど、

私が生きている意味、生かされていることの意味というのを、見つけ出すために生きている、生かされているのではないか、と思った。


死ぬ時までには分かるかな。


結果、先生は、はっきりと「あなたは、ADHDです!」とは言わず濁したが、というか、

私から詰め寄ったら、「そうですね・・・」ということだった。


自閉症、知的障害、アスペルガーの傾向はないとのことだったけど、

ADHDの傾向があるとのこと。

説明をしてくれていたけど、なんとなくぼーっとしてしまい、自分の不得意の箇所の説明などは、

良く覚えていない。


ただ、なんだそれ!と笑ってしまったのは、

『物を右から左に移す作業が得意』とのことだった。

そんなこと生かせる仕事あるの?と、落胆と驚きと、爆笑が私の頭を駆け巡った。


検査結果の報告書を頂こうかと思ったが、、5千円ほどするとのことで、

次回にしてもらった。

でもやっぱり、それがないと、分析できないかな。


先生に薬の説明を受けて安くて即効性のある方のクスリ、コンサータを処方してもらう。

昼前に飲むこと、そうしないと夜眠れなくなるらしい。

一番少ない要領からスタート。二週間分。


仕事はもう始めていたので、次回の仕事から早速の服用することにした。











今の仕事を始めた時、二カ月ほど前。

精神病院に行った。

 

前々から気になっていたADHDの専門外来だ。

たぶんそうだろうと思っていたから、早いとこ、薬を処方してもらい、

業務に支障をきたさないように、働きたかった。

 

ただ、検査やら診断やらカウンセリングやらで、すぐに薬がもらえるわけではなかった。

病院は、精神科というだけあって、心療内科とは違い、何というか、独特の雰囲気で

初めて行った時は帰りたくなった。

 

その時あたりの時期は、かなりガスの火を消し忘れというのが多かった。

あと、鍵のかけ忘れや、日時の勘違いなども。

焦ってしまって危険な行動も多かったので、仕事でのミスもそうだけど、

娘の命を守るということでも危なくなっていた時期だった。

 

先生の問診に、ウェイスⅢ?他知能テストなども行った。

あまりにも数字関係の検査に弱かったため、もう笑うしかなく、

臨床心理士の先生も、大丈夫、落ち込まないでください!って慰められてしまった。

 

3時間ほどのテストを終えて、あぁやっぱりなぁ~、

薬飲んで良くなるものなら、早く飲みたい、と思って帰った。



我が家の車は、残念ながら、なすび色だ。

ただ、運転免許を取った二十数年前からいつかは、ドラえもん色の車に乗ってみたいなぁと
思っていた。

一年ほど前にテレビで見かけたCM。
クラウンには興味はないけど、ヒュージャックマンの歌声が耳から離れず、
微妙なダンスが頭から離れない。

なすび色の車も、ドラえもん色にならないかしら。

歌詞調べてみると、私には甘すぎる歌詞だけど、
世界平和と考えてみると、じーんとくる。

ここ数年、私は世界平和について考えていて、
毎年の初詣のお祈りは、世界平和だ。

私には残された時間がない、ちっちゃいことで悩んでなんかいられないのだ。