わたしが変われば、世界が変わる・・・かも。 -2ページ目

わたしが変われば、世界が変わる・・・かも。

自分を幸せに、家族を幸せに。

今日は、運動会だった。

初っ端、かけっこで、一位じゃなかったという理由で、

娘は泣き続け、しかも、しくしく処のはなしじゃない、わんわん泣いて、

親子競技中も泣き、先生から一番元気いいと褒められたお遊戯でも不貞腐れ、

記念の集合写真は拒否という、終始一貫した態度で、終わった運動会。

 

なんという負けず嫌い。

娘よ、そんなに悔しいなら、まずフォームを正せ。

 

ママいっぱいのあの独特の空気の中、空気となった母も泣きたかったぞ。

娘と二人、平穏なでも楽しい生活を手に入れるために。

頑張ろうと思う。


決心。

子供の送り迎え時に同級生の親御さんと一緒になる。

数名の団体になるんだけど。


私は、挨拶っていうのは、世の中の人間関係の中で、基本中の基本、最初の一歩だと昔から考えていた。


死ぬほど嫌いな人にだって、まずは挨拶。

普通の気持ちの人にだって、まずは挨拶。

とっても好意を抱いてる人にだって、まずは挨拶。


挨拶が出来ない人は、人としてどうかなぁ~と思っているのだ。

はて、これは間違いだったのか。


先にいらしてたお母さま方二名。

話に夢中。

私は、朝の挨拶をするのだけど、

しーん。

始めの時は、アレっ聞こえてないのかな?と娘と話し、もう一度、

おはようございます。

しーん。


ちょっと衝撃だった。

この方たちの中では、そうなんだって。


いつもじゃない。

我が家だ一番乗りの時は、普通に挨拶は交わされる。

子供たちが近所で遊ぶ時も、普通に結構色々と会話をする。

まぁ、まぁ仲良くして頂いているとと思っていたのに、

そういうことがあるのだ。


今朝もそうだった。

もう分かっていたから、

軽く、おはようございますと、言って、前を通り過ぎ、娘と二人遊びながら、

またその方々のお子さんたちと話しながら、バスを待った。


バスが行ってしまった後は、普通に会話をしたりする。

変な感じ、とても違和感あるなぁ。


でも、私は私。自分のものさしで生きていこうと決めたから、

気にしない。ただ、何か嫌な感じという気持ちは大切にしよう。


と、自分では割り切ったものの、

娘から『ママは○○ちゃんのママ達とお話ししてていいんだよ』って

言われて、娘にいらん心配させたかなと、ちょっと気になった。


私の生活のし辛さは、どこから来るのかと考えてみた。


娘の育てにくさは、娘が発達障害なのではないか?との疑問から始まったけれども、調べれば調べるほど、それは、私自身に当てはまることが多く発見された。


一時おさまっていたその症状は、娘の出産~成長するにつれ、目立ってきた。


外出時、ガスを切ったか、窓を閉めたかが不安になり、何度も何度も確かめに靴を脱ぐ。

家の中の事は、納得できても、エレベーターになかなか乗れない。

何度も何度もカギをかけたかを確認に戻る。


なかなか外出できない。

外出先でも気になってしまう。


ただ、不安で心配なら、強迫性障害とでもなるのかもしれないが、実際に失敗したことが

多々あって、そのことによって、心配になるのだ。


子供を幼稚園に迎えに行かなければならないのに、家の鍵がみつからない。

2時間近く探した結果、ゴミ箱に捨てていた。

何度かゴミ箱の中も確認したのだけれど、時間内に見つけ出すことが、出来ずに幼稚園側には迷惑をかけてしまった。


家の鍵はかけ忘れも多かった。

ガスのかけっぱなしも数度。


窓の閉め忘れはたびたび。

娘の登園道具の忘れ物も多い。


こういう性格(おっちょこちょい)だから、とてもとても気に付けているつもりだ。

だけど、それだけ人一倍気をつけているつもりなのに、

やってしまう。


やってしまった後、どうなるか、どんな気持ちになるか、わかりますか?

死にたくなるんです。

わたしは、なんてダメなにんげんなんだって。


たったそれだけの事で、と思うかもしれないけれど、生まれてから物心ついてから40歳を過ぎようとしているこの時までに、毎日のように繰り返されるkの失敗は、死にたくなるほどのものなのだ。


頭の中が、いつも混雑しているんです。

娘が話しかけてきても、それは、私を惑わす雑音にしか聞こえず、眉間にしわを寄せて振り返る日々。


私が病院に行こうと決意したきっかけは、娘に申し訳ないという思いからです。

本当にごめんなさい。


私だけなら、もうきっと病院に行こうなんて思わず諦めてたと思う。

私はもう、今生を諦めました。そう、来世に期待します。


神様、どうか、娘だけは助けてあげてください。生きづらさを感じない、幸せを、生きている楽しさを

味わえるようにしてあげてください。と。


だから、私は、病院に行きます。

もらえるものなら、賛否のあるお薬をください。

もっと、ちゃんとしたいから。

暖かい部屋の中でのクリスマス

ツリーがあって、オレンジ色の光が揺れて。

愛に満ちている。


家族愛

家族愛って、なんだろう?

家族って、いがみ合うものなんじゃない?

それしかしらないから。


温かい言葉って何?

私に思い出せない。


子供の頃の自分を、慰めてあげたい気がする。


でも、私は決してアダルトチルドレンとか、インナーチャイルドがどうとか、ではない。

嫉妬が深い。

根深い。


なんなの、何であの人だけ、私にはないのに、

私は出来てないのに、私は幸せじゃないのに、

なぜ私にはない?

あんな人本当は心が腐っているのに、幸せなの

何であれを知ってるの、持ってるの、まわりの人に恵まれてるの?


私は日々こんな感情を持って過ごしています。


最低だ、

こんな人間には、幸せなんてやってこない。

ただ私は、幸せの形や、幸せの方法を知らない。

見本がなかった。

祖母も母も父もみんな幸せではなかった。

いがみ合って、傷つけあって、怒鳴って、暴れて暮らしていた。

人はみんな悪だという考え。

そして、お金がないという不幸から、お金を憎み、お金を持っている人を妬み、

お金に振り回されて、お金のないということは不幸だ。


私は、この負の連鎖を娘には引き継ぎたくない。


私は、どうすればいい?


パートを探しているが、

娘がいるので、時間的に制限されている部分があり、

なかなかやとってもらえない。

娘がいるから、ではない、土日に出勤出来なくても、私自身が有能ならば、

やとってもらえるはず。

私がダメな人間だからだ。

土日休みたいんです、10時から15時くらいまで、夏休み冬休みは出れない日があります、

こんなこと言っても、私が素晴らしい人間ならばきっと仕事を得ることが出来るはずなのに。


私なんて生きている価値がない。

娘に悪影響を与えるだけだ。

誰か、素晴らしい人に娘を育ててもらった方が、娘は幸せになるんじゃないか、と思う。




胸に収めていた、

でも、収めきれなくって、ダダ漏れになっていたこの感情。


全てを認めて、吐き出してからじゃなきゃ、スタート出来ないかもしれない。


わたしなんて、ダメな人間だ、

生きている価値なんてない人間なんだ。


娘に、ごめんなさい。


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四歳の娘が私に言った。


「意気地なし」


もう、これに尽きる。

これが私のすべてだ。

「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日。」




よく目にする、聞き覚えのある言葉。

もう、ほんとにその通りですとしかいいようがない。


私は、生きたいと思ってこの世を去った人たちの事を考えると、

あぁ、私なんてその人たちにに顔向けできない、生きていていいのだろうか?と、自分を責めてしまう。


私は、無能で、疫病神で、誰の為にもならない生きている価値のない人間なんだと思う。


死ねばいいんだって。

結婚する前までは、母が悲しむからと、なんとか我慢してきた。

自分を生きてなかったんだと思う。


戦争や、紛争、2011年の震災などで、亡くなった方のことを、ニュース新聞、その他の物で見聞きするたびに、ああ、私は何をやってるんだと、涙が零れてくる。

うそじゃなくて、本当だ。

今までは怖くて口に出すことは出来なかったけど、

この気持ちを表現しようと思った。


私は何も変わっていない、変わることが出来ない。


未来が光り輝いている若く人、これから皆に愛されて幸せに包まれている赤ちゃんたち、

そんな人たちも色んな原因で亡くなっていく。


死ぬのはその人たちでなくて、わたしなんじゃないのかって。

今週は娘のお遊戯会がある。


娘が家で、歌う合唱の歌を口ずさんでいた。

にじという歌。


とっても素敵な歌だった。

もったいぶってあんまり歌ってくれなかったけど。


気分がふさぎ込んでいた私の心に響いてきた。


くしゃみをしたら、わたしのココロも晴れるかな。

わたしも口ずさんでみた。


娘からは違う違うとダメ出しが。


「きみの気分も晴れて、きっと明日はいい天気」