Academic Groove

=真の学問の場、

最先端の学問の場に漂う

「わくわくするほどの面白さ」、

「どきどきするほど楽しい雰囲気」。

学問の魅力を表す造語。


 発想したことの出発点にはそもそも新鮮な「わくわく」が宿っている。この感覚はきっと、多くの人たち、特にこれから学問を志そうという若者たちに届くに違いない。本書はあらゆる学問のGrooveを研究者たちが楽しそうに語っている。渋滞学、死生学、障害学、ケミカルバイオロジー研究、宇宙測地学など世の中にはたくさんの学問があった。切ってみると想像もしない色が出てくるフルーツのように学問は切ってみると面白い「らしい」。

しゅん

 階層格差が広がっているという。所得格差が広がり、そのために学力格差が広がり、結果、階層格差が固定化し、流動性を失っている。あるいは「希望格差」も拡大している。今日本は、「中流社会」から「下流社会」へと確実に変容しているのだ。

 本書は、数多くのアンケート調査により、今日本に起きている下流化を分析している。その結果、「下流」と呼ばれる階層の人たちは、コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、など総じて人生への意欲が低いとまとめている。アンケートの総数が少ないことが少し気になるが、性別、年齢、地域など細かな項目で調査を行っており、興味深い内容であった。

 一つのアンケート結果。「どのチャンネルをよく見るか?」

 上流はNHK、下流はフジテレビ。

説得力はないが、少し頷ける。このように、あらゆる角度から、階層をとらえている。

しゅん

 強盗殺人をした兄、剛志。服役中の兄から月に1度弟の直貴のもとに手紙が届く。しかし、強盗殺人の弟というレッテルを張られた直貴は、夢や恋人、仕事、幸せが次々に奪われていく。それでも、兄との縁を切れない…。加害者の家族を描いた作品です。(あかね)

ルソーは、実践されるべき教育として、「自然の教育」を挙げている。ここで言う自然は、“人間の本生を意味する概念”であり、自然の教育とは、“人間の本生を育てる教育”である。そのため、彼の教育思想は、消極的・消極教育説で、子どもを統制したり必要以上に子どもに介入するのではなく、子どもの活動や発達を見守り、尊重するということを親や教師に求めている。また、ルソーは“子どもの発見者”と言われ、子どもを子どもとして観ることを主張し、子どもの自由を尊重する教育思想の起源となった。(あかね)

 「フリースクール」の大きな特徴は、常に子どもが主体であることを重視し、子ども自身で自由に教育をつくりだすという点にある。しかし、フリースクールの定義はあいまいであり、そのあり方は様々である。この本は、日本のフリースクール団体である東京シューレによって執筆され、フリースクールの生まれた背景、世界のフリースクールなどについてわかりやすく説明し、そして東京シューレのこれまでの発展、活動、プログラム、日々の様子などを具体的に紹介している。

 好きな時間に、自分のやりたいことを自分で決めて実行し、子どもたちの話し合いによって自治を行う。参加するもしないも本人の自由であり、やるときはすべてをゼロからつくる。自分が通ってきた学校との大きな差異にかなりの驚きを感じつつも、関心が高まった。

「ゆとり教育は子どものためによくない」「頭の柔らかい内に英語や音楽に精通させれば、将来困らない」などと、早期教育はある種のブームとなって日本に蔓延しているが、謝った早期教育は、子どもが本当に学ばなければならない生きる力の獲得にはつながらないことが述べられている。
 まず本の第一章で、早期教育の根拠とされる意見をあげて、科学的根拠も含めた上で、それにひとつひとつ反対をしていき、その後派生的な問題へと進むため、非常に説得力があり、引き込まれた。
育児不安や子どもと地域の関わり、障害児教育についても述べられていたが、総じて考えたことは、子どもは私たちの考える以上にめざましい発達能力や社会性を持ち、それを阻害しないような適切な距離、いわゆる“good enough mother”と言われるような関係になることを考えるべきだと思った。

尚とく
本書では現代のしつけの問題を見直すために、教育問題・現代的な家族問題がどのようにしつけに関連しているかを書いている。少年犯罪が多発すると家庭のしつけが悪くなったといわれがちである。しかし、家庭と関わる環境の変化は著しく、一概には結論づけられない。アンケート調査より、しつけの向上、家庭における子どもへの関心が向上しているとも考えられる。各時代において家庭の中の子どもに対するウエイトの違いに驚いた。教育されるべきは子どもか、親か。これからの日本のしつけはどのように変容していくのだろうと思った。(こってぃ)

 子ども達とのコミュニケーションがうまくいかない、大人同士で自分の気持ちを表現する方法がわからない・・・これはここ10年程の間に、カウンセラーなどに訴えられるようになってきている相談事である。少し前まで、学校入学以前の段階から知識を身につける前準備として、「相手や自分に起こる感情を感じ取る力」というものが家庭内で培われていた。兄弟げんかをしたり、親族の集まりなどで見知らぬ人と会話したりすることによって、幼いながらも自分なりの人間関係を構築していく必要性があったのだ。しかし、他の社会問題でも繰り返されているように、地域あるいは家族間ですらその関係性が希薄になっていると言われている。前述の「力」を身に付ける場は否応無しに学校に求められているのだ。


本書では、学校や企業においてカウンセリングの研修等を開催している著者が、様々な人間関係を取り上げながら、そこに現れる気持ちのやり取りの受け止め方を具体的な方法として記述している。

子どもの気持ちは一面からは決して把握できない、ということは頭では分かっている。大人に至っては自ら意図的に覆い隠そうとする。ではどのように対応していくのかということは難しい。本書はそのヒントになりうる一冊だと思う。

てつろ


 主人公ワタナべ、直子、そしてワタナベと同じ大学の緑。普通の人とは少し違った世界にいるような登場人物たちの心の在り方や変化などが面白く、そして悲しくもあります。この本の紹介とても難しいです・・・しかし㊤よりもより読者を引き込んでいく㊦は、続きがどうなるのか気になってどんどん読んでいけるということは言えます。次はぜひなっちゃんに読んでいただきたい!!(あかね)
 主人公ワタナベは、スピーカーから流れてくる「ノルウェイの森」を聞き、18年前の1969年の出来事を思い出す。そしてワタナべの自殺した親友キズキの恋人直子とした約束を守るために、薄らいだ記憶を文章にしていく・・・そこにはとても不思議な人間関係や環境があり、今の世界とはかけ離れているように感じる。…でも、とても引き寄せられる面白い本です。(あかね)