ある事実を多方面から見ることによって、捉え方は様々である。ってことを伝えてくれる作品。
映像化されているのでイメージしやすい。

でも、母親の子どもへの愛情があまり伝わってこなかった。(そこに焦点を当てていないのかもしれないけど。)あらすじは以下の通り。

「我が子を校内で亡くした女性教師が、終業式のHRで犯人である少年を指し示す。ひとつの事件をモノローグ形式で「級友」「犯人」「犯人の家族」から、それぞれ語らせ真相に迫る。選考委員全員を唸らせた新人離れした圧倒的な筆力と、伏線が鏤められた緻密な構成力は、デビュー作とは思えぬ完成度である。」(アマゾンのあらすじより)

とにかく、事実を多方面から見る必要性を感じました。そういうことを感じる意味で読んでほしいかも。

こってぃ
地方病院が抱える問題。医師不足。これは日本各地で起こっている本当に深刻な問題をとらえている。
休みなく働き(40時間勤務等当たりまえ!)、目の前にいる患者さんを見ることで精一杯。福利厚生なんてくそくらえ!これが日本の医療の現状である。
最先端医療?そんなものを勉強している時間があったら、目の前で苦しんでいる人に点滴うつのが先だろ!こんな感じ。
もちろん、そんな医師にも家族がいる。隣人がいる。読みやすい形で、ほのぼのと伝えてくれる。しかし、その先には厳しい医療の現状が潜んでいる。

医師不足といわれる状況が、自分の興味のあるへき地の状況と似ているように感じました。
嵐の桜井翔、宮崎あおい出演の映画あり。見たい!

こってぃ
一人暮らしをしていると、ふと実家に帰りたくなる時がある。なにをしたいわけでもなく、なんとなく実家に帰りたくなる。実家にいけば、何かが変われるような、戻れるような、そんな気がするときがある。もちろん、実家がいつもなんでも受け入れてくれるような場所ではないけれど。
家族に完璧な形があるのなら、それはいつをさすのだろう。みんなが一緒に暮らしていたとき?子どもが生まれたばかり?家族には主役となる自分がいる。もちろん、優劣ではなく、受け取る問題として。そんな主役がいなくなった家族。
大きな世界から見たら、小さな家族の小さな問題かもしれない。それでも、当人にとっては大問題。家族って何だろう?答えはないかもしれない。それでも、いてくれて良かったなって思える一冊。
淡々としているから、少し読みづらいかもしれない。

抽象的な感想ばかりでごめんなさい。

こってぃ
ヤッさんには宝物が2つある。愛妻の美佐子、息子のアキラ。どんなことがあっても、2人の幸せを願っていた。不器用で頑固なヤッさんなりの精一杯の人生を懸けて、家族を守ろうとしていた。しかし、そんな家族に突如、悲劇が訪れる。
アキラへの愛の強さのあまり、時に暴走してしまうヤッさん。ひたむきに我が子の幸せを願う父親の姿が、私たちに大切なものを守る責任と愛を教えてくれる。
堤真一主演でドラマ化もされた。

「古い」親父の姿が描かれています。『小さき者へ』の父親像とはまったく違う。それでも同じ父親。時代や環境が違っても、親が子供に思うことは同じなのかな?親になっていないからわからないけど、親っていいなって思えました。

こってぃ
「小さき者へ」
「俊介へ どこへ行ったんだ。おまえは。」
不登校となった息子へ父親からの手紙をもとに描かれているこの作品。
息子の気持ちがわからない、俺が悪かったのか、どうすればいい、何をすればいい…。父親として、夫として、家族として、社会人として、人間として、息子に対してどう向き合うかを考えあぐねる父親の姿が痛々しく描かれている。作中にはビートルズのCDをめぐる、俺と父親(俊介の祖父)との関係もでてくる。かつては自分も息子として、思春期を生きる若者として悩み苦しむ時があった。いつから、そういった気持ちをわすれてしまったのだろうか。そんな父親が息子と向き合うためにとった行動とは? 表題作の他にも、全6編の家族と父親の物語が収録されている。

こってぃ
 さくらにとって、あこがれの存在は植物であった――
 主人公さくらはとある事件をきっかけとして、親友である梨利と絶縁状態になってしまった。将来を不安に思い、グループからも外れ、不安な気持ちがつのり、唯一の心の支えは智さんであった。智さんとは、何を話す訳でもないが、一緒にいると落ち着けると思える関係だった。そんな彼女は「植物がうらやましい」と考えた。植物は「食べたり動いたり争ったり、学んだりする必要もなく、ただ水を吸い上げて光合成するだけの、シンプルな機能」を持つものである。自分に関わるすべてのことがいやになった彼女にとって、その潔さがなによりもうらやましく思えたのだ。
 しかし、梨利に好意を寄せている勝田が二人を仲直りさせようと介入してきた。はじめは、勝田を避けていたさくらであるが、勝田に智さんの存在を知られてしまったことで事態は変わった。勝田は智さんの危うさに気付いてしまったからである。そんな中で起こる放火事件、梨利の売春疑惑。彼女たちが出す答えとは何か、不安しか見えない世の中に救いはあるのか、植物のままでいいのか――。
 思春期の心の不安定さは誰もが経験することであろう。自分の表現したい気持ちが表現できずに苛立ちが増すあの気持ち。そうした気持ちを筆者は言葉にしてくれている。だからこそ、一つ一つの言葉が痛々しく心に突き刺さってくる。誰もが誰かによりかかり、支えてもらいたいと願いながら、そして同時に、誰かを支えようと必死に生きている。「前を向いて、将来を見据えて進め。」と大人は言う。しかし、前とはどこか、将来はあるのか、そんな不安の中で生きていかなくてはいけない時がある。先の見えない中、どこかに答えがあると信じて進む少女たち。その姿に、植物にはできない行動力と問題を解決する力が人間にはあると教えられた。植物のままじゃ、得られないものがきっとある。   

国語科の授業で書評を書いたので、それをそのまま載せます。
この作品は私の教育実習の大切な思い出の一冊です。

こってぃ
 主人公の少年のジョバンニは、漁に出たきり帰ってこない父親と病気で家から出られない母親を持つ。ジョバンニは家計を支えるために姉とともに働いているが、父親がいないために周りの友達からいつもいじめられていた。しかし、小さいころからの親友であるカムパネルラだけはそれに心を痛めていた。
 祭りの日、ジョバンニは母親のために牛乳を買いにいく。しかし牛乳をもらうことができなかった挙句友達からもいじめられてしまう。落ち込んで丘で星を見上げていると、彼は空から不思議な声を聞く。そして、ふと寝てしてしまい目覚めたときには彼は銀河鉄道に乗っていた。さらに列車の中にはカムパネルラがいた。ジョバンニは驚きながらもカムパネルラと旅をすることになった。列車が進む中で、2人はいろいろな人と出会い、別れていく。そして最後にはカムパネルラの姿も消えてしまう。
 ジョバンニはカムパネルラがどこに向かっていたのかを知ることになる。



 先日国語の授業で少し話題があがったので、久々に読みました。載せたものはほとんど序盤のあらすじですが、やはり結末を存分に味わってほしいので。といっても今更という感じはありますが…。





尚トク

サッカー日本代表キャプテン、長谷部選手の著著。日本代表として、サッカー選手として、人として、彼がどう生きていくのかが丁寧に書かれています。ストイックな気持ちがストレートな言葉で表現されていて、なんだか少し眩しいものでした。
彼の言葉で気になったものをあげてみます。
1つ目は「組織の穴を埋める」(本文、94頁)という言葉。既存の組織の中でどう生きていくのかを考え、生き抜いていくための術が語られていました。クリエイティブになれずとも、プロフェッショナルであれということを感じました。これは、自分の生き方に通じるものがあるなと思いました。
2つ目は「さぼっていたら、運なんて来るわけがない。それにただがむしゃらに頑張っても運が来るとは限らない。」(本文、110頁)という言葉。人一倍努力を重ね、自らに厳しい(本人は普通だと思っているが)長谷部だからこそ、この言葉の本意が伝わるように思う。私はこの言葉をもとに「実力も運のうち」という言葉を考えた。これは高校生のときに読んだ雑誌に書かれていた。(おそらく芸人さんの言葉だったような…)実力があるから運を呼び寄せることができるという考えである。むしろ、実力がなければ運など寄っても来ない。長谷部の努力と成果から言葉の裏付けをもらったように感じた。

この本の副題に「勝利をたぐり寄せる」とあります。そもそも、勝利とは何だろうと考えました。サッカー選手である彼にとっては、毎日が戦いなのでしょう。それでは、私たちのの毎日もそうなのだろうか。そうであるべきなのでしょうか。彼は挑むべきもの=サッカーが明確に捉えられています。今の私には、毎日毎日、何かに戦いを挑んで生きていくことの重みはまだまだ理解できません。挑むべき何かがわからなければ、勝ち負けを求められません。自分のやるべきこと、やりたいことがはっきりと自覚しているからこそ、できる56の習慣のように思いました。まだまだ、私はその段階にはたどり着けていないようです。

流行りにのって、とりあえず読んでみました。(笑)

こってぃ
レストラン「アリアケ」を営む夫婦が殺害された。残された三兄妹。3人で共謀し、詐欺師として生きていた。あることから両親を殺した犯人らしき人物と遭遇する。
ドラマ化もされた作品で、今回文庫化されていました。読みやすくて、600頁がすぐでした。題材は重いけど、内容はそんなに重さも感じませんでした。

久々の更新になっていますね!
久々なのに、そんなに思い入れが強くなくてすみません。(笑)
読書の秋なので、みなさん本を読みましょう^^

こってぃ

発達障害があるとして認定される子どもは増え、普通学級において発達障害児の割合は年々増加している。その子たちを障害児として教育をするのではなく、「ギフテッド」神様から天才的な能力を与えられた子どもとして教育を考える、新しい特別支援の在り方が書かれている。発達障害児は発達の凸凹があり、凸に関しては天才的である。良いところを認め、伸ばしていくことでよりよい教育がおこなうことができる。
こうした考えの背景には、現在の高校における発達障害をもった生徒の増加があげられる。今の日本の特別支援教育では、年齢が上がるにつれ支援が少なくなっている。そうではなく、社会に出てからも支援をうけながらも一人で生活できる仕組みをつくることが重要である。

私は実習で特別支援学校にいったこともあり、特別支援教育に興味を持った。実習を通して、本当に「ギフテッド」という言葉がぴったりだと思った。あの子たちが自分の力を発揮して生きていける社会になってほしいと思う。


こってぃ