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i am so disappointed.

この夏において最高のエンターテインメントといえば、個人的にいまのところTwitterでやっていた「80年代アルバムベスト100」である。この企画の素晴らしさについてはブログ記事1本分ぐらいは余裕で書くことがあるのだが、とにかく主宰者のアイデアとガッツとユーモアのセンスには最大限の感謝と敬意を表したいところである。

 

簡単に説明すると、Twitterでこの企画を知った音楽ファンの中でぜひ参加したいと思った人達が80年代にリリースされたアルバムと曲からそれぞれベスト30のリストを作成して投票、主宰者がそれを集計してベスト100のリストにして、1枚ずつカウントダウンしていくという内容である。これがまた実に素晴らしいのだが、それについて書きはじめると本当にキリがないのでいまのところやめておくのだが、その最高の企画において、見事1位に選ばれたのがザ・スミスの1986年のアルバム「クイーン・イズ・デッド」である。

 

これには私も3位で投票した。個人的な思い入れ的には1位でもまったく問題はなかったのだが、個人的に80年代といえばポップの時代という印象があり、それでいていま現在のポップ・ミュージック界においてもインディー・ロックよりメインストリームのポップスの方が面白く思える。まあ、これはあくまで個人的な趣味や嗜好や感想に過ぎないのだが。それで、2021年において80年代のベストを決めるならばこういう視点を反映した方が良いのではないかとも思い、「クイーン・イズ・デッド」よりも上にプリンス「パープル・レイン」とマイケル・ジャクソン「スリラー」をランクインさせた。この判断には現在もまったく悔いはないのだが、それでも「クイーン・イズ・デッド」が1位に選ばれたことに不満はない。というか、むしろうれしい。

 

それはそうとして、この「クイーン・イズ・デッド」を私が買ったのは1986年のちょうどいまぐらいの時期だったのではないか、ということをふと思い出した。大学の前期は終わっていたのだが、夏休みの帰省はまだしていなかったので、おそらくいまぐらいだったのではないかと思われるのだ。それで、確か土曜日だったような気がする。その日は渋谷公会堂かどこかで松本伊代のコンサートがあって、私はファンだったので見に行ったのだが、その帰りにまだ宇田川町にあった頃のタワーレコードで「クイーン・イズ・デッド」をスティーヴ・ウィンウッドの「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ」と一緒に買った。特にザ・スミスの熱烈なファンだったというわけではなく、その頃に発売されていた買った方がよさそうな新譜としてである。アナログ盤のレコードで輸入盤だった。当時、もうCDプレイヤーは買って持っていたのだが、まだまだアナログレコードを買う割合も比較的多かったような気がする。当時のタワーレコードは基本的に輸入盤専門店だったので、国内盤は置いていなかったのではなかっただろうか。

 

旭川で高校生だった頃、「ロッキング・オン」を一字一句逃さず宗教のように読んでいたので、ザ・スミスのことは知っていたと思う。日曜日の夕方にNHK-FMで「リクエストコーナー」という番組が放送されていて、全米や全英のシングル・チャート上位にランクインした曲ならばだいたいノーカットでかかっていたのでひじょうに便利だった。これをカセットテープに録音、当時の言葉でいうところのエアチェックしたものをよく聴いていたのだが、アメリカでは売れていなかったもののイギリスのチャートには結構、入っていたザ・スミスの曲のいくつかもこれで初めて聴いたような気がする。

 

「ホワット・ディファレンス・ダズ・イット・メイク?」は、なんだかユニークなギターのロックだなと思った。当時はシンセポップ全盛だったり、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの時代だったりもしたので、こういうシンセサイザーを使っていないギターを主体としたロックがそれだけでも新鮮に感じられたのだが、その上、リズムがなんだかズンドコしていて面白いなとも思っていた。アズテック・カメラの「ハイ・ランド、ハード・レイン」を当麻町から通っていた友人が買って貸してくれたりしていたのだが、こういう現在でいうところのネオアコみたいなのもなんだか良いなと思いはじめ、トレイシー・ソーンなども気に入っていたのだが、そんな時にやはり「リクエストコーナー」でザ・スミスの「ヘヴン・ノウズ」や「ウィリアム」がかかり、サウンドはネオアコと後に呼ばれるようになる音楽などにも似ていて爽やかに感じられるのだが、ボーカルがけしてそうではない、というところが特徴のように思えた。しかも、このボーカリストがイギリスではカリスマ的な人気なのだというような情報も音楽雑誌から入ってきて、なるほどそうなのかという感じでは把握していたと思う。

 

85年の2月、受験のため上京しているぐらいの時期にアルバム「ミート・イズ・マーダー」が出ていたと思うのだが、「肉喰うな!」というコピーにはインパクトがあった。そして、86年に大学に入学し、小田急相模原に引越すのだが、イトーヨーカドーの向かい側辺りにレコードレンタル友&愛があって、ここでザ・スミスの「ザ・スミス」「ハットフル・オブ・ホロウ」「ミート・イズ・マーダー」を借りて聴いたのだった。「ザ・スミス」はデビュー・アルバムでだったが、当時のバンドの魅力をじゅうぶんには表現できていないのではないか、というような批評もあった。また、人気曲の「ジス・チャーミング・マン」がイギリス盤には収録されていなかったが、他の国でリリースされたのには収録されたりというようなこともあったような気がする。それで、「ハットフル・オブ・ホロウ」はアルバム未収録のシングル曲にラジオセッションの音源などを加えたコンピレーション・アルバムで、デビュー・アルバムよりもこっちの方が当時のバンドの勢いをより感じられる、というような説も有力だったように思える。人気曲の「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」が入っているのも良かった。そして、「肉喰うな!」でお馴染み「ミート・イズ・マーダー」はバンドのより多彩な音楽的魅力が堪能できる作品、という感じでもあったような気がする。

 

現在でこそザ・スミスの最高傑作といえば「クイーン・イズ・デッド」というのが一般教養化したようなところもあるが、ある時期まではデビュー・アルバムが代表作として紹介されることも少なくなかったように思える。「ローリング・ストーン」が発表した80年代アルバム・ベスト100は1979年にリリースされたザ・クラッシュ「ロンドン・コーリング」をアメリカでの発売は1980年だったからといって1位にしたことから物議をかもしたりもしたが、これにはザ・スミスの「クイーン・イズ・デッド」はランクインしていなく、デビュー・アルバムだけが微妙な順位に入っていたような気がする。

 

あと、いまでは紙の雑誌の方は廃刊となり、デジタルコンテンツと化した「NME」が最後に歴代ベスト・アルバムを発表したのが2013年なのだが、これではビートルズ「リボルバー」、デヴィッド・ボウイ「ハンキー・ドリー」などを抑え、「クイーン・イズ・デッド」が1位に選ばれていた。一時期はあまりにもモリッシーのことを取り上げすぎるため、「NME」とは「ニュー・ミュージカル・エキスプレス」ではなく、「ニュー・モリッシー・エキスプレス」なのではないかと揶揄されたりもしていたらしい。とはいえ、「クイーン・イズ・デッド」がリリースされた1986年、ライターが選んだ年間ベスト・アルバムでの順位はなんと9位であった。ちなみに1位はプリンス&ザ・レヴォリューション「パレード」で、以下、アニタ・ベイカー「ラプチュアー」、ジャネット・ジャクソン「コントロール」、ソニック・ユース「EVOL」、キャメオ「ワード・アップ」、ポール・サイモン「グレイスランド」、ザ・フォール「ベンド・シニスター」、RUN D.M.C.「レイジング・ヘル」と続き、その次が「クイーン・イズ・デッド」であった。

 

小田急相模原のワンルームマンションで、「クイーン・イズ・デッド」を聴いてみた。レコードに針を下すとはじめに聴こえてくるのはなんだか古めかしい音楽なのだが、これは「テイク・ミー・バック・トゥ・ディア・オールド・ブライティー」という1916年に書かれた曲の一節なのだという。第一次世界大戦中の兵士のホームシックをテーマにしているらしく、イギリスに帰りたいというようなことが歌われているようだ。そういえば「ミート・イズ・マーダー」の1曲目は「ザ・ヘッドマスター・リチュアル」で、学校における暴力をテーマにしていたが、「家に帰りたい、ここにいたくない」というようなことが歌われていた。演奏がはじまると、ひじょうにテンションが高い。それでいて、モリッシーのあの独特なボーカルである。それは当時、ヨーデルにたとえられることも多かったように思える。私の父は若かりし頃、登山が趣味だったらしく、家にはそういった関係のレコードやソノシートがたくさんあったのだが、子供の頃には面白がってそれらをよくステレオで聴いたりもしていた。それでヨーデルには親しみがあり、それがザ・スミスの音楽を受け入れやすい感性を育んだかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 

それで、この「クイーン・イズ・デッド」というアルバムのタイトルトラックなのだが、ひじょうにテンションが高く荒れ狂うような演奏とモリッシーのユニークなボーカルがあまりにも印象的なのだが、ザ・スミスのどこが良かったかというと、ロックンロールのステレオタイプである男性的なマッチョさではなく、なよなよしていて弱々しくも感じられるのだが、ひじょうに辛辣で自虐的でありながらウィットにとみ、ユーモアのセンスに溢れているというところであり、それらが凝縮されたような魅力が感じられ、これはかなりすごいアルバムになるのではないかと思わされる。そして、いろいろと政治的なメッセージなども込められている歌詞の最後、「人生はとても長い、君が孤独なときには」と繰り返される。

 

当時、ザ・スミスのようなインディー・ロックというのは、暗くて孤独な人が聴くものだとされているようなところもあった。日本ではイギリスのインディー・ロックを聴くということ自体に、何らかの文化的スノビズムが少なからず忍び込んでいるようなところもあり、そういった寂しさのようなものまでファッション感覚で消費するようなところもあったような気がする。

 

「クイーン・イズ・デッド」がリリースされた1986年といえば、日本では事実上、バブル景気がすでにはじまっていたとされているのだが、確かにイケイケなムードはあったように思える。個人的には大学に合格したばかりでさあこれからいろいろやるぞと思っていた矢先に、とある少女歌手が白昼に所属事務所の屋上から飛び降りるという事件があり、それはシンドロームと呼ばれるほどの影響をあたえたりもしたのだが、私自身をもひじょうに落ち込ませた。大学1年の前期が終わろうとしている時点でのリアリティーとしては、悪くはないがそんなに良くもなかった、というようなものであった。飲み会のようなものが本厚木のマッカーサーの車庫という名前の、ピンクのキャデラックが置かれた店で開かれるのだが、私はもちろんハワイ帰りの杏里のようなルックスをした女子が同じ学年にいたりもするので、そういった人達と仲よくなりたいのだが、結局は同じ高等部上がりでも黒っぽい服を着た色白の女子と、ケイト・ブッシュやザ・キュアーのことを話しているというようなありさまで、いかんともしがたい気分を味わったりもしていた。

 

しかし、そもそも松本伊代のライブの帰りにタワーレコードでスティーヴ・ウィンウッドとザ・スミスのレコードを買って帰るような感性の持ち主だったので、これぐらいがちょうど良かったのかもしれない。ちなみにこの松本伊代のライブなのだが、実は厚木市文化会館でも行われていて、これは大学で同じクラスだった岡山出身の友人が新聞の勧誘の人からチケットをもらったということだったので、一緒に見に行った。日本のアイドル界は「花の82年組」に続いて84年デビューの岡田有希子、菊池桃子、85年には「夕やけニャンニャン」からおニャン子クラブがデビュー、その派生ユニットやソロデビュー組などが百花繚乱というような状況であり、松本伊代はすでにそのフィールドをターゲットにはしていなかったと思われる。林哲司のシティ・ポップというかAOR的な曲を歌いはじめていたのだが、あまりにも記名的なボーカルであるがゆえ、私は大好きなのでまったくそれで良いのだが、どんな曲を歌ってももれなく松本伊代の曲にしか聴こえないというような状況であった。

 

それはそうとして、「クイーン・イズ・デッド」は1曲目があまりにもハイテンションで濃いめであるのに対し、2曲目の「フランクリー、ミスター・シャンクリー」では、やはり皮肉が効いてはいるのだが、もっとボードヴィル的というか冗談ぽくなり、この辺りの緩急もなかなか良いと思わされる。「アイ・ノウ・イッツ・オーヴァー」「ネヴァー・ハッド・ノー・ワン・エヴァー」辺りはザ・スミスの寂しくて孤独な人達を慰める的な側面がマックス値を記録したような塩梅で、たまらないものがある。これらの曲についてはこの時点というよりは、もう少し経って20代前半ではあるのだが、自分が一体何者であり、この先どうなっていくのかということに対し、漠然かつ深刻な悩みをかかえていた頃により効いてきた記憶がある。

 

とはいえ、そんな私でもある程度、20歳ぐらいの女子大生と仲よくなり、「ジュラシック・パーク」を一緒に見た後、六本木でステーキを食べるというような状況に90年代にはなっているのだが、それでそういうよく分からないデートのようなものを数回重ねているうちに、ごくナチュラルな流れでその時には小田急相模原ではなく柴崎のワンルームマンションの部屋に来るかという流れに夜遅くになるわけだが、その時に表情がキラリときらめいたというか、それが夜の外でも分かり、こういうことが現実にもあるのだと思ったのである。それで、ワンルームマンションの部屋では薄暗いランプだけを点けているのだが、そこでよりによってなぜか「クイーン・イズ・デッド」をかけ、モリッシーの歌詞の解説やこの楽曲がいかに素晴らしく、自分の魂を救ってくれたかということなどについて話しているうちに窓の外は明るくなっていて、彼女は帰って行くというようなことがあった。その時、特に重点的に解説したのが、この「アイ・ノウ・イッツ・オーヴァー」や「ネヴァー・ハッド・ノー・ワン・エヴァー」辺りであった。自分はもしかするとこの先、誰をも愛し愛されることがないのかもしれない、という実存的な不安である。それをそうなる前にぜひ共有しておきたい、という無意識的な動機がその行為にはもしかするとあったのかもしれない。

 

「セメタリー・ゲイツ」は音楽的にはネオアコ的ともいえる、とても聴きやすい曲であり、夏のプレイリストに選曲されていることさえある。内容は墓地で偉大な詩人達を思う、というようなものであり、大学では英米文学科などという英語教師になる以外にはほとんど就職に有利とはいえない学科で英国文学史などを勉強したりもしていたので、歌詞にキーツとかイェーツとかが出てくるのがなかなか心地よくもあった。

 

「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」と「心に茨を持つ少年」はシングル曲で、「ヴィカー・イン・ア・テュテュ」に続いて「ゼア・イズ・ア・ライト」が当時から人気があったが、シングル・カットはされていなかった。イントロはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「ゼア・シー・ゴーズ」に似ているとも感じたのだが、コード進行はローリング・ストーンズによるマーヴィン・ゲイ「ヒッチ・ハイク」からジョニー・マーが引用したものだという。

 

まったく何の希望もないような現状から今夜、連れ去ってほしいという願望について歌われるのだが、その先というのは音楽が流れていて人々が若くて生気にあふれている場所なのだという。当時、駅のホームなどで鏡を見ると、いまにも死にそうな顔が写っていて、それが自分だと気づいてぞっとするようなこともあったのだが、夜に意味もなく一人で渋谷のセンター街などに行って歩くと、そこには本当に楽しそうな人達がたくさんいた。彼らと自分とを隔てているのは一体何なのだろう、この街の中に自分自身も溶け込んでみたいのだが、そのためにはどうすれば良いのだろう、などと感じている時、頭の中ではこの曲が流れていた。

 

そして、映画「(500)日のサマー」でもフィーチャーされるあの印象的なフレーズ、君の隣で死ねるなら、それはなんて素晴らしい死に方なのだろう、というところにはロマンを感じた。それは、好きな人と一緒に車に乗っている時に、2階建てバスだとか10トントラックが正面から激突してくるという妄想である。このような内容が、極上のインディー・ロックに乗せて夢見心地のようにして歌われている。

 

最後の「サム・ガールズ」では、ある女の子達は他の女の子達よりも大きい、ある女の子達の母親は別の女の子達の母親よりも大きいというようなことが延々と歌われ、アルバムは終わる。

 

実際にははぐれ者というか、マイナーでさえないタイプの人々に寄り添うようなタイプの音楽なのだが、これがいまやポップ・ミュージックの歴史の中でもかなりすごいのではないかとしっかりと評価されているというところに希望を感じる。

 

現在は当時の不安やいろいろな状況も解消されたかのように錯覚をしていて、時に得意げだったりもしていたりするのだが、それでも「クイーン・イズ・デッド」を聴く度に、私という人物はそもそもこのアルバムで歌われているような内容に心底感化されたり、救われた気になるようなタイプであり、その根本的なところはまったく変わっていないのだとういうことを戒めのように感じることにしている。

 

ちなみに現在のモリッシーの政治的信条などには1ミリたりとも共感する部分がなく、すでに個人的には断絶しているともいえるわけだが、それによってこのアルバムや当時のザ・スミスの音楽の価値が低くなるということは一切ないし、そういうレベルでポップ・ミュージックを聴いているわけではないということはいえる。