あらかじめ分かっているし、意味なんてどこにも無いのだが、2021年のはじまりである。年明けに聴くための50曲入りのプレイリストを昨年(これを書いている時点では今年)のうちに作っていたのだが、実際に聴くかどうかは定かではない。
とはいえせっかく作ったので、ここにその50曲のタイトルとアーティストと場合によっては簡単なコメント(と思ったのだがやっぱりやめて、曲目リストの後にまとめて書くことにした)、最後にApple Musicのプレイヤーを貼っておきたい。
そもそもそこで反映することも念頭に置いていたので、Apple Musicで再生することが出来ない楽曲は選ばれていない。これではまるでApple Musicに支配されているようで、まったく自由だとは言えないのではないか、という意見もひじょうに真っ当なものだが、その通りきわめて不自由である。
しかし、その不自由で制限された状況の中で、いかに少しでもましにやっていけるか、というのも2021年を生きていく上で、有益なレッスンでもあるのではないだろうか。というのは、もちろんまったくのこじつけである。
①ファイティングマン/エレファントカシマシ
②Edge Of Seventeen/Stevie Nicks
③Don’t Ask Me Why/WHY@DOLL
④泡アワー/サニーデイ・サービス
⑤Straight Outta Compton/N.W.A.
⑥no tears left to cry/Ariana Grande
⑦Teenage Kicks/The Undertones
⑧カリプソ娘に花束を/Negicco
⑨本気でオンリー・ユー(Let’s Get Married)/竹内まりや
⑩Let’s Stay Together/Al Green
⑪I Say A Little Prayer/Aretha Franklin
⑫Drive My Car/The Beatles
⑬Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)/サザンオールスターズ
⑭Delicious/PLASTICS
⑮New Year’s Day/U2
⑯MOON/REBECCA
⑰How Can You Expect To Be Taken Seriously/Pet Shop Boys
⑱Step Back In Time/Kylie Minogue
⑲ノット・サティスファイド/アナーキー
⑳We Didn’t Start The Fire/Billy Joel
㉑VIRGIN EYES/中山美穂
㉒Dynamite/BTS
㉓Shangri-La/電気グルーヴ
㉔Automatic/宇多田ヒカル
㉕Paper Planes/M.I.A.
㉖Hey Ya!/OutKast
㉗ベンガルトラとウィスキー/andymori
㉘ふたりで生きてゆければ/WHY@DOLL
㉙心に雲を持つ少年/サニーデイ・サービス
㉚You Really Got Me/The Kinks
㉛雨の御堂筋/欧陽菲菲
㉜あなただけ I LOVE YOU/須藤薫
㉝Young Bloods/佐野元春
㉞Hungry Heart/Bruce Springsteen
㉟The Tide Is High/Blondie
㊱Rock With You/Michael Jackson
㊲犬と猫/中村一義
㊳ぼくらなら/GRAPEVINE
㊴You/木村カエラ
㊵Sowing The Seeds Of Love/Tears For Fears
㊶ベステンダンク/高野寛
㊷ある光/小沢健二
㊸Whatever/Oasis
㊹つれてってよ/lyrical school
㊺いつかここで会いましょう/カーネーション
㊻朝になれ/加納エミリ
㊼Never Too Much/Luther Vandross
㊽スノッブな夜へ/国分友里恵
㊾Ruby/GREAT 3
㊿ラブ・ストーリーは週末に/WHY@DOLL
ジャンルや時代に捉われず、単純に2021年の年明けに聴きたい(そして、Apple Musicで聴ける!)曲を次々と選んでいった結果がこれである。曲順はひじょうに出鱈目なようでいて、個人的にはちゃんと必然性があり、これしか無いだろうというレベルにまでは高まっているのだが、言葉で説明することはわりと難しい。
1曲目のエレファントカシマシ「ファイティングマン」は1988年にリリースされたデビュー・アルバムの1曲目だが、バブル景気に浮かれつつある日本において、孤高のロックバンドとでもいうような佇まいだった当時のエレファントカシマシの音楽を、バブル景気とひじょうに親和性が高いように見えがちな大学に籍を置きながら、まるで宗教のように聴きまくっていた気分が甦ってくる。ファイティングな姿勢と覚悟はおそらく必須であり、どうせそうなのであれば少しでもましな方が良い。「正義を気取るのさ」というフレーズがとても良く、これは皮肉ではなくおそらく本気である。
スティーヴィー・ニックス的なものの再評価はマイリー・サイラスの最新アルバムやフリートウッド・マックのリバイバルなどにも見て取ることができるが、これはけして偶然ではない。「エッジ・オブ・セブンティーン」を収録したアルバム「麗しのベラドンナ」は2021年にリリース40周年を迎える。WHY@DOLL「Don’t Ask Me Why」のリリース当時のキャッチフレーズは「ネオアコ・ミーツ・EDM」、「ネオアコ」の定義は人によっていろいろあるが、どうせ日本でしか通用しないらしいし、アティテュードということで良いのではないかと思う。もしくは、「ソフィスティポップ・ミーツ・EDM」か。と、そんなことはどうでも良くて、強い女性をコンセプトにしていて曲はカッコよくてボーカルは魅力的で言うことなし。
サニーデイ・サービス「泡アワー」はアルバム「Popcorn Ballads」の中も特に好きな曲。N.W.A.「ストレイト・アウタ・コンプトン」はプロテストソングとしてはもちろんなのだが、革新的なポップ・ミュージックとしてきわめて重要で、リリースから30年以上経った今日でもじゅうぶんに有効である。どん底的な状況でも強い意志を持ってカムバックしてきたアリアナ・グランデのセルフ・エンパワメント的でコンテンポラリーなポップスが「ノー・ティアーズ・レフト・トゥ・クライ」、ジ・アンダートーンズ「ティーンエイジ・キックス」は偉大なDJ、ジョン・ピールを泣かせた青春パンクのこれぞ真髄。
「カリプソ娘に花束を」はNegiccoのメンバーがまだ全員独身だった頃(といってもまだわずか3年前だが)にリリースされた、南国気分あふれるウェディングソング。続いて、ウェディングつながりで竹内まりや、1984年のアルバム「VARIETY」から「本気でオンリー・ユー(Let’s Get Married)」。と来れば、70年代の全米NO.1ヒットで90年代には映画「パルク・フィクション」でも使われていたアル・グリーンの素晴らしいラヴ・ソング「レッツ・ステイ・トゥゲザー」、続いてバート・バカラックが作曲してアレサ・フランクリンが歌う「小さな願い」も素晴らしい。永遠の愛を信じてはいないが、どこかにあれば良いなとは思う。
ビートルズ「ドライヴ・マイ・カー」からサザンオールスターズ「Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)」は個人的には当然の流れで、プラスチックスの「デリシャス」へと続く。元旦といえば「ニュー・イヤーズ・デイ」でU2なのだが、続いてREBECCAの「MOON」、この辺りは80年代の私のような庶民にもリーチするロック・ミュージックとしてひじょうに親しみが持てる。ペット・ショップ・ボーイズの1990年のアルバム「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」は「ビーイング・ボアリング」という超名曲を収録しているものの全体的にはやや地味な印象を長年いだいていた。しかし、これは実は素晴らしいアルバムで、デジタルなのだが絶妙なアナログ感とか哀しみの気分がたまらなく良い。タイトルが長いので省略するが、ここで選んだ曲はそんな中でもペット・ショップ・ボーイズらしい皮肉が特に効いた内容である。
カイリー・ミノーグはクラブ・カルチャーを取り入れながらバブルガム・ポップ的なキャッチーさを持つシングルの数々をヒットさせ続けていたので、最高である。「ステップ・バック・イン・タイム」にもその魅力はじゅうぶんに感じられ、ディー・ライト「グルーヴ・イズ・イン・ザ・ライト」やライト・セッド・フレッド「アイム・トゥー・セクシー」などの時代の自由なポップ感覚を思い起こさせてくれる。そして、それはフューチャー・ノスタルジアな現在にまで通じているように思える。
アナーキー「ノット・サティスファイド」はリアルタイムで聴くことができたパンクロック。キャッチーさがたまらなく良い。最近、「ボーイズ」というスーパーヒーローものを脱構築したようなアメリカのテレビ番組が面白かったが、主人公が若者にもかかわらずビリー・ジョエルのファンという設定である。このドラマとビリー・ジョエルのファン層とはそれほど重ならないような気もするのだが、この番組を通してビリー・ジョエルはやはり良いなと再認識した私のような視聴者もいることにはいる。それで、時事問題などを取り上げ、怒ってもみせるがやはりポップでキャッチーな1989年の全米NO.1ヒット、邦題は「ハートにファイア」がこれまた最高。
中山美穂の曲がApple MusicやSpotifyでも聴けるようになって良かった。「VIRGIN EYES」はシティ・ポップ的な曲である。ニューミュージックがより都会っぽくなった80年代前半と、よりダンス・ミュージック色が濃くなった後半のそれとではシティ・ポップといってもちょっと違っていて、昨今のリバイバルでは後者の方が支持されているのだろうか。この境界に久保田利伸のデビューとブレイクがあり、角松敏生の功績が大きいと考えるのだが、この曲もおそらくそういった流れの副産物かもしれない。知らんけど。
そして、BTSの「ダイナマイト」は2020年にアメリカやイギリスでもシングル・チャートの1位に韓国出身のアーティストとしては初めてなった曲なのだが、これもまたフューチャー・ノスタルジアというか、往年のディスコ・ミュージックの魅力を今日流にアップデートしたものとしてひじょうにクオリティーが高いのではないか。電気グルーヴ「Shangri-La」、宇多田ヒカル「Automatic」は90年代後半のJ-POPクラシックで、クラブ・ミュージック的な要素もひじょうに強い。
M.I.A.「ペーパー・プレーンズ」、アウトキャスト「ヘイ・ヤ!」は共に00年代を代表する優れたポップ・ソングで、特徴はヒップホップをベースとしながらも、R&B、ロック、ニュー・ウェイヴなどの要素も入ったハイブリッドな音楽であるという点である。一方で、この頃、リバティーンズなどによるインディー・ロックの復権的な動きもあったのだが、日本語ネイティブとしてはは和製リバティーンズ的な見られ方をされることもあったandymoriという素晴らしいバンドがあったことを忘れてはいけないし、語り継いでいかなければいけない。「ベンガルトラとウィスキー」はいまのような時代に、これまた強く響く。
アーティストやバンド、ユニットなどが活動を終了したり解散したりしたとしても、作品は残り、生き続けるというのがポップ・ミュージックである。WHY@DOLLの「ふたりで生きてゆければ」という曲もまた、いまのようなご時世により深い意味を持ちうる楽曲である。そして、ポップソングとしての耐久性というか、その強度に時が経つにつれ気付き続けている。WHY@DOLLの次にサニーデイ・サービスというのが実はもう2度目なのだが、意図したわけではなく気付いたらこうなっていた。アイドルポップスでありながらインディー・ポップ的な要素も潜んでいると感じるのだが、この強度に拮抗できるのがザ・スミスからの引用も見られるサニーデイ・サービスの2020年のアルバム「いいね!」の1曲目に収録された、「心に雲を持つ少年」ぐらいしか即座には思いつかなかった。
そして、ザ・キンクス「ユー・リアリー・ガット・ミー」、欧陽菲菲「雨の御堂筋」という、一体どこに共通点があるのか、ウケ狙いではないかと思われるような流れだが、もちろん必然性はある。が、うまく言葉にはできない。「雨の御堂筋」はベンチャーズ歌謡でもある。「ロング・バケイション」リリース以前に大瀧詠一が須藤薫に提供した「あなただけ I LOVE YOU」はナイアガラポップスである。そのナイアガラトライアングルのVol.2にも参加した佐野元春は渡米後のアルバム「VISITORS」でヒップホップを日本のアーティストとしてはいち早く取り入れ、ファンの間でも賛否両論だったが、それを経て以前の佐野元春らしい楽曲としてリリースされたのが1985年初めの「Young Bloods」である。これはザ・スタイル・カウンシルのファンでもあった私をも含め、大いに歓迎されていたし、リアルタイマーにとっては1月の印象がひじょうに強いのではないだろうか。
佐野元春といえばデビュー当時、和製ブルース・スプリングスティーン的な見られ方もされていたわけだが、「ハングリー・ハート」はパワフルでありながらキャッチーでもあり、ポップスファンにも大いに支持されたのではないだろうか。続いて、ブロンディの「夢見るNo.1」はジャマイカのバンド、パラゴンズのカバーでレゲエの要素も入っている。いまからちょうど40年前の今頃にヒットしていた。
そして、その前の年の今頃にヒットしていたのがマイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」。「スリラー」の前のアルバム「オフ・ザ・ウォール」からのシングル・カットで、ブラック・コンテンポラリー的な心地よさも感じられる。中村一義のこのデビューシングル「犬と猫」は1997年の1月にリリースされ、とにかく日本語の歌詞の可能性をまた広げたなと感じさせられた記憶がある。歌い出しの「どう?」はボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」の「How does it feel?」だし、「同情で群れ成して、否で通す(ありゃ、マズイよなぁ)」というフレーズには衝撃を受けた。
GRAPEVINEはきわめて個人的な理由で一時期、泥酔状態で泣きながらよく歌っていたのだが、冬を舞台にしているとも思われるこの曲には、いまだにかさぶた剥がし的なマゾヒスティックな快感を得ることができる。まったくの余談だが、WHY@DOLLの元マネージャーだった女性がGRAPEVINEのファンだったような気がする。
木村カエラには特にそれほど詳しくはないのだが、この「You」という曲はどこかの有線放送でかかっているのを聴いて、なんて良い曲なのだろうと思い、それからずっと大好きである。実は今回、やや久しぶりに聴いたのだが、やはりとても良い曲だなと感じた。ティアーズ・フォー・フィアーズの「シーズ・オブ・ラヴ」はとても好きな曲なのだが、コンセプト甘めのビートルズっぽさのせいでそれほど評価されていないような気がする。個人的にはだからそこが良いんじゃない、という気分であり、やはりたまらなく大好きなのであった。
高野寛の「ベステンダンク」はひじょうにポップでキャッチーな曲だが、実はなかなか苦しい状況のことについて歌っている、というようなことを当時、「ロッキング・オンJAPAN」かなにかのインタヴューで読んだことがあるような気がする。アイドルネッサンスのカバーバージョンも良かった。というか、実はあれで本格的に思い出した。実はあまりちゃんと聴いていないアーティストなのだが、なんとなく体質にひじょうに合いそうな気もするので、いつかまとめて聴き込んでみたい。
小沢健二の「ある光」はいつかmixiでマイミク(と言って、このブログを読んでくれている20歳の某女子大学生には通じるのだろうか)から教えてもらい、これはすごく良いのではないか、と思ったのであった。当時、CDが廃盤になっていてプレミアがついていたのだが、いまはApple MusicやSpotifyでも聴けるようになって良かった。フリッパーズ・ギターはかなり好きだったのだが、実はソロになってからの小沢健二には完全に置いてけぼりにされたような気分で、それは一方的に私が良くないのだが、いつしか完全にあきらめていた。それでも、また出会うことができたので長生きはするものである。
この曲の強度に匹敵しうるのは、オアシスの季節柄、「ホワットエヴァー」ぐらいなのではないかと、その程度の理由だったのだが、わりとその程度だった。この曲は日本だけでなぜか著しく人気が高いというようなことを、以前にノエル・ギャラガーが言っていたような気がするが、なんとなく分かるような気がするし、現在の日本政府は大嫌いだけれど日本人である私もこの曲が大好きである。
lyrical schoolはいろいろな意味における境界を感じさせてくれるグループだが、この「つれてってよ」などは、その最たるものである。カーネーション「いつかここで会いましょう」はタイトルがそうであるように、約束についての曲なのだろうか。個人的にはカラオケでよく歌う曲でもある。コーラスは川本真琴。加納エミリ「朝になれ」は初めて聴いてから数ヶ月しか経っていないが、本当になんて良い曲なのだろう、この曲を知れたことが2020年のハイライトの一つでもあると思えるほどに、素晴らしい楽曲だと思う。たとえばコロナ禍という状況もあったとは思うのだが、偶然と必然との境界はいつでも曖昧MOONであり、やはり人がポップ・ミュージックに求めるものの中には祈りという要素もあるのだろうし、この曲は現在におけるそれに限りなく近いのではないか、とも思える。
そして、この曲の次がルーサー・ヴァンドロスの「ネヴァー・トゥー・マッチ」で、個人的にはしっくりきているところがたまらなく良いと思える。80年代ブラック・コンテンポラリーというか、シティ・ソウル的な音楽には最新型のポップ・ミュージックとしてのアップデートの可能性がひじょうに高く感じられもして、勝手に期待してしまうのである。それも、「朝になれ」を聴いてしまったことによるのかもしれないが。
シティ・ポップ名盤の一つ、国分友里恵の1983年のアルバムから「スノッブな夜へ」。タイトルも楽曲も歌も最高。これぞ、シティ・ポップという趣きである。GREAT 3「Ruby」は表面的にはシティ・ポップ的なフィーリングをアップデートしたもののようにも思えるのだが、狂おしいほどの愛の極北とでも呼ぶべきヒリヒリした感覚が音像化されたものであり、「愛しているから 愛さないで」「心から血が 流れ出して止まらない」と歌われるこの曲などはその最たるものであろう。
そして、50曲のラストはWHY@DOLLの「ラブ・ストーリーは週末に」である。アイドル・ポップスが細分化され、いろいろなサブジャンルに特化した音楽性を持つ場合も少なくはなくなったのだが、たとえばシティ・ポップの要素を取り入れたアイドル・ポップスが出てくるというのも必然だったのだろう。ところが、この曲にはいろいろとトゥーマッチなところが感じられ、油断して繰り返し聴いていたり、出来心でライブに行ってしまったりすると、たちまち夢中にしてしまうタイプの底抜けの魅力が潜んでいたのであった。サックスは最高、たとえばシティ・ポップやAOR的なイメージをベースに楽曲が提供され、リアルタイムでのそれらを知らない年代のアイドルは自分達なりの消化の仕方でその曲を歌い踊り、この曲の場合は作詞もしている。そこにこれ以上は無いのではないかというぐらいの化学反応が生じたのがこの曲ではないか。
という訳で、本年も生活の合間にいろいろと書いていければ良いかな、と思うのである。