ポール・マッカートニー「マッカートニーⅢ」について。 | …

i am so disappointed.

ポール・マッカートニーの最新アルバム「マッカートニーⅢ」が先日、リリースされた。タイトルは「マッカートニーⅢ」だが、もちろんこれが3作目のアルバムというわけではない。正確には18作目らしい。「マッカートニーⅠ」ならぬ「マッカートニー」が1970年、「マッカートニーⅡ」が1980年のリリースで、今回の「マッカートニーⅢ」はそれから40年後の作品ということになる。などと簡単に書いているが、目まぐるしいポップ・ミュージック界において、これはもちろんすごいことである。

 

「マッカートニーⅡ」の先行シングルは「カミング・アップ」だったが、個人的には生まれて初めて買った洋楽のレコードということで思い入れが強い。ポール・マッカートニーといえば元ビートルズだが、当時、私はその名前ぐらいしか聞いたことがなかった。その年の初め頃に来日公演が予定されていたが、大麻所持かなにかで逮捕され、結局、公演は行われなかった。「オー、ミステイク」と言ったとか言わなかったとか、そのような記事は当時の北海道新聞にもわりと大きく載っていたような気がする。

 

それから数ヶ月後に「カミング・アップ」はラジオでよくかかっていたのだが、単純にカッコいいと思ったので、旭川市立光陽中学校の近くにあった時計店で買った。時計店でレコードを販売していたケースを私はいくつか知っているのだが、あれはわりとよくあることだったのだろうか。それとも、特殊なことだったのだろうか。それはそうとして、このレコードを買った他の動機としては、麻薬所持かなにかで逮捕されたようなアーティストのレコードを買うことがマイルドな反抗のようで心地よかったのと、中学2年になったのでそろそろ洋楽を聴いていた方がモテそうな気がした、ということが挙げられる。中学2年生ぐらいの年頃にありがちな自意識過剰な様をいつしか「中二病」と呼ぶようになったが、そのオリジネイターとだといわれている伊集院光によると、その特徴の一つとして「洋楽のレコードを聴きはじめる」ということが挙げられるようだ。

 

そんなことはまあどうでも良いのだが、これら「マッカートニー」シリーズに共通しているのは、すべての楽器をポール・マッカートニー自身が演奏しているということである。もちろん同時にいくつもの楽器を演奏できるわけではないので、いわゆる多重録音のようなものが行われている。今回、久しぶりにこのようなアルバムができてしまった背景にあるのは、やはりコロナ禍のようである。そういった意味で、テイラー・スウィフト「フォークロア」などにも通じるところがある。

 

超ベテラン大物アーティストの新作であるにもかかわらず、実に現役感があるというか、2020年のポップ・ミュージックとして呼吸をしているようにも思えるのは、そういった理由もあるのかもしれない。

 

それにしても、メロディーがとても良いのと、アコースティックなサウンドに軽妙な生々しさとでもいうような魅力が感じられる。

 

たとえば「マッカートニーⅡ」というアルバムは当時のニュー・ウェイヴなどからも影響を受けた作品だったのだが、ヒットはしたもののあまり高く評価はされていなかったようである。それがここ数年でその真価が理解されはじめ、早すぎたベッドルーム・ポップだったのではないか、などとも言われたりしている。その感じは、なんとなく今作にもつながっている。

 

という訳で、ひじょうに評価されやすそうな状況で今回の「マッカートニーⅢ」はリリースされたような印象もあり、案の定、音楽マニアのような人たちから好意的に迎えられたりしていたようである。

 

それでは、私のような軽薄なミーハー音楽ファンにとってはややハードルが高いというか、よく分からないのではないだろうかというような懸念もあったのだが、聴いてみると明快にこれはかなり良いと分かった。

 

あとはビートルズ的なメロディーやサウンドがいかに今日に至っても、ポップ・ミュージックと呼ばれるものの概念の形成に大きな役割を果たし、その影響はこの期に及んでも相当なものではあるのだろう、ということを再認識させられたりもした。