今回は、1982年9月18日付の全英シングル・チャートで好きな曲ベスト10である。この週といえば、北海道の音楽ファンにとってはとてもうれしい出来事であった。当時、「FMレコパル」「週刊FM」「FM Fan」「FM STATION」といったFM雑誌が人気で、北海道では東日本版というのが売られていた。それにはNHK-FMとFM東京の番組表が掲載されていたのだが、北海道ではFM東京を聴くことができないので、NHK-FMの番組表しか使いようがない。同じ雑誌代を払っているのになんだか損をしているような気分だったのだが、それはFM東京のサービスエリア外の全ての東日本版読者にいえることであった。
9. ALL OF MY HEART/ABC
ニュー・ロマンティックにカテゴライズされていたような気もするが、今日ではソフィスティ・ポップの名盤として評価されているようなのが、ABCのデビュー・アルバム「ルック・オブ・ラヴ」である。日本でも結構、話題になっていたし、アメリカでもそこそこヒットした。アルバム表題曲の「ルック・オブ・ラヴ」によく似たトラックが、一時期、ヤマハのシーケンサーを買うとプリセットされていた。そのアルバムからシングル・カットされ、全英シングル・チャートで最高5位を記録したのが「オール・オブ・マイ・ハート」である。この辺りのイギリスのニュー・ウェイヴは、実は田中康夫の「たまらなく、アーベイン」でも取り上げられていた。AORやブラック・コンテンポラリーと同様に、オッシャレーな音楽でもあったのだ。
8. LOVE COME DOWN/EVELYN "CHAMPAGNE" KING
ブラック・コンテンポラリーは略してブラコンで、当時、よく使用されていた。ダンス・コンテンポラリーという言葉もあったが、略すとダンコンで、響きがよろしくないとか、いや、逆にそこが良いのではないか、というようなことを、中学校時代からの友人とよく話していた。それはそうとして、この曲はいわゆるそういったジャンルの曲で、とてもカッコいい。作詞・作曲はカシーフという、そのスジではとても人気があるアーティスト/音楽プロデューサーである。全英シングル・チャートでは、最高7位のヒットを記録した。
7. JUMP TO IT/ARETHA FRANKLIN
アレサ・フランクリンといえばクイーン・オブ・ソウルとして知られ、1960年代にアトランティックからリリースした数々のヒット曲、「リスペクト」「シンク」「チェイン・オブ・フール」などの印象が強いが、80年代にも新しいことをいろいろやっていた。ルーサー・ヴァンドロスによるこの曲は、ブラック・コンテンポラリーなサウンドとアレサ・フランクリンのソウルフルなボーカルとがマッチして、とても良い感じである。全英シングル・チャートでの最高位は42位であった。
6. THE BITTEREST PILL (I EVER HAD TO SWALLOW)/THE JAM
ザ・ジャムが1982年9月にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。この翌月、ポール・ウェラーはザ・ジャムの解散を発表し、後にザ・スタイル・カウンシルを結成する。音楽性の変化が話題になったりもしたが、ザ・ジャムは初期のパンク・ロック的なサウンドから次第にソウル・ミュージックからの影響が色濃く感じられるようになり、ストリングスが効果的に使われたこの曲に至っては、ザ・スタイル・カウンシルにかなり近いようにも思える。
5. THERE IT IS/SHALAMAR
シャラマーはアメリカ出身のR&Bバンドだが、80年代にはイギリスでの方が人気が高かった。アルバム「フレンズ」からシングル・カットされたこの曲は、全英シングル・チャートで最高5位を記録している。ボーカリストのジョディ・ワトリーは、後にソロ・アーティストとしても成功を収めた。
4. DON'T GO/YAZOO
デペッシュ・モードを脱退ししたヴィンス・クラークがボーカリストのアリソン・モイエと結成したユニットが、ヤズーである。シンセサイザーを駆使したエレ・ポップ・サウンドと、ソウルフルなボーカルとが絶妙な化学反応を起こしている。全英シングル・チャートで最高3位を記録したこの曲など、ヒット曲もいくつかあり、評価も高かったが、1983年には解散してしまい、ヴィンス・クラークはイレイジャーを結成することになった。
3. COME ON EILEEN/DEXY'S MIDNIGHT RUNNERS
すでに「ジーノ」が全英シングル・チャートで1位を記録し、イギリスでは人気バンドになっていたデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズが1982年にリリースし、これもまた1位に輝いた。いかにもイギリスらしいグループだともいえるのだが、翌年にはアメリカでもシングル・チャートで1位に輝き、第2次ブリティッシュ・インベイジョンを推進する役割を果たした。この曲を収録したアルバムに「女の泪はワザモンだ!!」というよく分からない邦題がつけられていたのも印象的であった。次のアルバム「ドント・スタンド・ミー・ダウン」が、内容は良いのだがあまり売れなかったことでも話題になった。
2. THE MESSAGE/GRANDMASTER FLASH & THE FURIOUS FIVE
全英シングル・チャートで、最高8位を記録した。それまでのラップといえばパーティー的な内容のものがほとんどだったというが、この曲はストリートにおける厳しい状況をリアルに表現した点において画期的であった。この曲がなければ、ラップの歴史は今日のわれわれが知っているものとは、まったく違っていた可能性もある。それぐらい重要な曲である。
1. DO YOU REALLY WANT TO HURT ME/CULTURE CLUB
この週の全英シングル・チャートに66位で初登場し、10月には1位にまで昇りつめた。これが翌年にはアメリカでもシングル・チャートの2位にまで上がり、同時期にヒットしていたデュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」と共に、第2次ブリティッシュ・インベイジョンを一気に広げるきっかけになった。ボーカリスト、ボーイ・ジョージの女装が美しいと、当時は日本でも話題になったが、ミュージックビデオでも表現されているように、異形の存在である。一般的な価値基準からするとはみ出している、アウトロー的な人たちに居場所を認識させこともポップ・カルチャーの重要な役割の1つであり、楽曲のクオリティーの高さももちろんなのだが、当時のカルチャー・クラブの存在理由であり人気の秘訣にはそのような側面もあったのではないかという気がしている。「君は完璧さ」という邦題も、とても良かった(当初は「冷たくしないで」だったが)。