25. CAT'S EYE/杏里
杏里が1983年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで5週連続の1位を記録した。「オリビアを聴きながら」「思いきりアメリカン」などで知られてはいたのだが、この曲で一気にブレイクした印象が強い。テレビアニメ「キャッツ・アイ」の主題歌で、夏休みが終わって学校に行くと、地味な女子を中心にひじょうに盛り上がっていた。学校祭の企画のために全校生徒からあつめた好きな曲についてのアンケートでは、邦楽でダントツの1位であった(洋楽の1位はビリー・ジョエル「あの娘にアタック」だった)。
24. セクシャルバイオレットNo.1/桑名正博
桑名正博が1979年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。カネボウ化粧品のCMソングである。桑名正博の曲ではナイター中継が終わった後のラジオでよくかかっていた「哀愁トゥナイト」という曲がとても好きだったのだが、あれはあまり売れていなかったようだ。フジテレビの3番煎じ的ランキング歌番組「ビッグベストテン」の第1回で1位になるものの、交通渋滞に巻き込まれ、生放送に間に合わない(スタジオにはなんとか到着したものの、歌う時間がもう残されていなかった)ということがあり、番組の行く末を暗示しているようであった。
23. 憎みきれないろくでなし/沢田研二
沢田研二が1977年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。イントロがカッコよく、沢田研二のボーカルや女声コーラスのセクシーな感じもとても良い。スーパースターのオーラが感じられる。
22. ウォンテッド(指名手配)/ピンク・レディー
ピンク・レディーが1977年にリリースし、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。この曲あたりから人気にさらに拍車がかかっていったような印象がある。勇ましい感じではじまりながら、途中でメロウ気味になるところや、ミーとケイのものまね芸のようなものが織り込まれていたりと、ポップスとしてとても楽しい。
21. 風は秋色/松田聖子
松田聖子が1980年にリリースし、オリコン週間シングルランキングで自身初の1位を記録した。この頃の松田聖子はボーカルがとても伸びやかなのが素晴らしい。「泣き虫なのは あなたのせいよ」のところの切ない感じがとても良い。あと、「ミルキィ・スマイル」というフレーズも。
20. ハイスクールララバイ/イモ欽トリオ
視聴率王としてテレビ界に君臨していた萩本欽一のテレビ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」に出演していた、山口良一、西山浩司、長江健次によって結成されたユニットが1981年にリリースしたデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで7週連続1位を記録した。ユニット名は田原俊彦、野村義男、近藤真彦のたのきんトリオにインスパイアされたものだと思われるが、デビュー曲が細野晴臣によるテクノ歌謡だったこともあり、YMOを「イモ」と読むノリも加味されているのだろう。本家本元によるセルフパロディーという側面もあり、とてもクオリティーが高いが、この期に及んでテクノブームはすでに消費され尽くしていたともいえるのかもしれない。
19. 恋は、ご多忙申し上げます/原由子
サザンオールスターズの原由子が1983年にリリースしたソロ・シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。モータウン調のビートを取り入れた軽快なポップスだが、性愛の匂いを絶妙かつキャッチーに漂わせているところが素晴らしい。
18. ダンシング・シスター/ノーランズ
アイルランド出身の姉妹グループ、ノーランズが1979年にリリースしたシングルを日本でも翌年にリリースし、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。日本ではこのようなポップでキャッチーな海外の女性グループの曲がこの頃、よくヒットしていて、キャンディポップなるサブジャンル名でも呼ばれていた。中でもノーランズはとても成功した例だといえるだろう。モーニング娘。’20の横山玲奈が、父の車の中で何度も聴いているうちに大好きになった曲でもある。
17. 少女A/中森明菜
中森明菜が1982年にリリースし、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。「花の82年組」とも呼ばれるこの年デビューの女性アイドルの中でもデビュー・シングルがリリースされたのはやや遅めだったのだが、ツッパリ路線などとも呼ばれたこの2枚目のシングルで一気にブレイクした。デビュー当時のキャッチコピーは、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーッこ)!」であった。
16. 虹とスニーカーの頃/チューリップ
チューリップが1979年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで最高6位を記録した。テレビにはおそらく出ていなかったと思うので、とにかくラジオでよく聴いた印象である。チューリップのことをよく知らない地方都市の男子にまで、「わーがままはー」「オオー」「男のー罪ー」「オーオー」などと真似せずにはいられない状況にさせたキャッチーさはかなりのものである。びしょびしょ濡れのトレーナーが乾くまで抱き合うくだりには、中学1年生にはちょうどよいエロスも感じられ、とても良かった。
15. パープルタウン/八神純子
八神純子が1980年にリリースし、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。とにかくニューヨークの影響を受けまくり、憧れまくっているという様がとても潔く、とても好感が持てる。
14. 人生の空から/松山千春
松山千春が1980年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。タイトルでは「人生」を「たび」と読ませている。ボーカルやメロディーはいかにも松山千春という感じなのだが、アレンジがマイルドに無国籍風というのか、ちょっと変わった感じで面白い。
13. Ya Ya~あの時代(とき)を忘れない~/サザンオールスターズ
サザンオールスターズが1982年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで最高10位を記録した。サザンオールスターズが久々にシングル・チャートの上位に返り咲いた年を締めくくる、秋っぽいバラードである。学生時代を懐かしんでいるような内容であり、歌詞には青山学院大学の軽音楽サークルの名前も登場する。
12. けんかをやめて/河合奈保子
河合奈保子が1982年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。竹内まりやによって書き下ろされた曲だが、歌詞の内容は2人の男性と別々に付き合っていたことが発覚して、けんかをやめて、私のために争わないで、という身も蓋もないものだが、これを河合奈保子が歌うとなんだかとても良い。
11. あの日にかえりたい/荒井由実
荒井由実が1975年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いているのだが、リアルタイムでの記憶はまったくない。耳にしたことぐらいは、あったかもしれない。荒井由実の都会的なニューミュージックというのは、おそらく四畳半フォーク的な貧乏臭さのようなものを否定するものだったのだろう。おそらくいずれ手が届くかもしれない豊かさへの憧れとでもいうようなものが、後にシティ・ポップとも呼ばれる音楽の流行の背景にはあったのだろう。そして、再び豊かではなくなったこの国における松任谷由実とは、現在の日本でプロレタリアート的な文化は芽生えうるのだろうか、などということを考えていなくもない。
10. グッド・ラック/野口五郎
野口五郎が1978年にリリースし、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。「カックラキン大放送」などでのコミカルなキャラクター、演歌歌手としてデビューしたというエピソード、ギターがものすごく上手い、など野口五郎についてはいろいろのだが、とにかくこの曲はカッコいい。シティ・ポップ的なサウンドと、いかにも野口五郎だというようなボーカル、「男は心にオーデコロンをつけちゃいけない」というような、よく分からないハードボイルド志向など、あまりにも魅力的である。
9. センチメンタル/岩崎宏美
岩崎宏美が1975年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。子供心に生まれて初めてすごく良い曲だなと思ったのは、岩崎宏美が初期にリリースしたいくつかのシングルであった。作曲が誰とかはまったく知らなかったのだが、おそらくその時点で筒美京平ポップスのファンになっていたような気がする。しかも、この頃は旭川ではなく、苫前町という小さな町に住んでいたので、まるで別世界のような都会の雰囲気を、流行歌を通して感じていた。
8. 九月の雨/太田裕美
太田裕美が1977年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。「車のワイパーすかして見てた 都会にうずまくイルミネーション」というわけで、これも都会の情景が描かれた曲である。この年から私の家族は旭川に引っ越していたのだが、苫前町に比べると大都会であり、このようなポップスも東京とかもっとすごい都会のことについて歌われているのだろうが、少しは身近に感じられるようになった、というような状態ではあった。
7. センチメンタル・ジャーニー/松本伊代
松本伊代が1981年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。これがデビュー・シングルで、まだ広く知られているような松本伊代のボーカルになり切っていない。この辺りがまたとても良い。「何かにさそわれて」などの語尾に小さな「ん」が入っているように聴こえなくもないところなども、たまらない。
6. さよならの向う側/山口百恵
山口百恵が1980年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。引退前の最後にリリースされたシングルであり、ファンへの感謝の想いが壮大なスケールで歌われた、感動的な曲である。10月5日に行われたファイナルコンサートでも最後に歌われ、その後、マイクをステージに置いたまま立ち去っていったのは有名である。
5. アン・ドゥ・トロワ/キャンディーズ
キャンディーズが1977年にリリースし、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。キャンディーズが解散宣言をした直後にリリースされたシングルということもあり、センチメンタルな気分にも包まれていた。当時、キャンディーズはテレビにもよく出演していたが、個人的にこの曲については覚えはじめた深夜のラジオでよく聴いた記憶がある。「ひとは誰でも一度だけ すべてを燃やす夜がくる」というところが、特に強く印象に残っている。作曲は吉田拓郎である。
4. Woman "Wの悲劇より”/薬師丸ひろ子
薬師丸ひろ子が1984年にリリースし、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。本人が主演した映画「Wの悲劇」の主題歌で、作曲は呉田軽穂こと松任谷由実である。恋の終わりを迎えているようだが、そこにある強く深い思いが歌われているようである。荘厳で重厚になりそうなところだが、薬師丸ひろ子のボーカルにあるユニークな部分がそうなることを防いでいて、ちょうどいい具合で内容が濃く聴きごたえのあるポップ・ソングにしているような気がする。
3. 天国にいちばん近い島/原田知世
原田知世が1984年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。林哲司によるシティ・ポップ的な楽曲に原田知世の透明感溢れるボーカルがマッチして、その上、「自分の夢にすぐムキになる そんなとこ好きだから とても」などということを歌ってしまう。現在も当時と同じぐらいの熱量で好きだと思える曲である。
2. 禁区/中森明菜
中森明菜が1983年にリースして、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した曲である。細野晴臣によって作曲されたテクノ歌謡で、エレクトリックで無機質的でもあるサウンドと中森明菜のエモーショナルなボーカル、歌謡曲的なコーラスの組み合わせが実験的にも感じられるのだが、堂々のメインストリームであった。
1. 瞳はダイアモンド/松田聖子
松田聖子が1983年にリリースして、オリコン週間シングルランキングで1位を記録した。松田聖子のシングルの中でもシティ・ポップというかジャパニーズ・AORにかなり近い楽曲であり、作曲は呉田軽穂こと松任谷由実である。「映画色の街」を舞台としていて、流行歌はメディアを通して、都会の気分を全国に伝えていた。それは手が届くかもしれない豊かさへの憧れであり、その多くは大衆が憧れる豊かさの感覚を生まれながらにしてあらかじめ知っていたような人たちによって書かれていたのだろうか。そのような意見も目にするが、実際にどうなのかは定かではない。昭和50年代が終わった翌年の秋、プラザ合意が発表され、これがバブル景気のきっかけとなった。都会的な豊かさは憧れのイメージではなく、いまここにあるベタとなり、本能の赴くままに性愛の現場における消費と蕩尽が時代の空気感になった。松任谷由実は、恋愛の教祖になっていた。