20. ピンク・シャドウ/ブレッド&バター
ブレッド&バターが1974年にリリースしたアルバム「Barbecue」の収録曲で、シングルも発売されたようだ。リアルタイムではおそらく聴いていない。シティ・ポップの名盤をいろいろ聴いていた時に知ったような気がするが、山下達郎が「IT'S A POPPIN' TIME」で歌ってもいた。あと、三田寛子のカバー・バージョンもある。当時、特に大きくヒットしてはいないが、現在はシティ・ポップのシグネチャー的な楽曲としても認知されているようだ。
19. 夢で逢えたら/吉田美奈子
相当数のカバー・バージョンが存在する大瀧詠一による楽曲だが、最初にレコードが発売されたのは吉田美奈子の1976年のアルバム「FLAPPER」に収録されたこのバージョンだったようだ。シティ・ポップというサブジャンルで考えるなら、吉田美奈子の代表曲はおそらく他の曲になるのだが、日本のポップ・ソングという括りだと、このスタンダード・ナンバーのディフィニティブ・バージョンということになるような気がする。
18. ロビンソン/スピッツ
スピッツが1995年にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。まずこのような何のギミック無い、普通にだた良質なギター・ロックの楽曲が日本のヒット・チャートで上位に入るという事実がとても素敵だと思った。キラキラしたギターやゴツゴツしていないボーカルなど、実は日本のメインストリームのヒット曲としては、とても珍しかったような印象がある。当時、イギリスのインディー・ロックのようなものばかり聴いていた現在の妻が、この曲が収録されたアルバム「ハチミツ」のCDは買っていたのが印象的で、現在も草野マサムネのラジオ番組を毎週楽しく聴いているようだ。
17. キラキラ/aiko
aikoが2005年にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。数ヶ月前にaikoの曲の中で個人的に好きなベスト10というのを選んだことがあって、その時にこの曲は10位であった。そして、今回、特に1アーティスト1曲というルールを制定していたわけでもないのだが、1曲だけ選ぶとしたら何だろうと熟考した上で、結局この曲に落ち着いた。大切な人の物理的、そして心理的な存在と不在、それは生と死ということにもいずれ通じるのかもしれないが、それを考えている時に、このラブソングが胸にストンと落ちるのである。
16. 今夜はブギー・バック (smooth rap)/スチャダラパー feat. 小沢健二
広告代理店時代の上司からカラオケで一緒に歌うことを強要されまくった曲として、個人的には記憶されているのだが、いわゆるひとつの「渋谷系」アンセムというやつなのだろうか。このスウィートなフィーリングは忘れないようにしたい。そして、「心のベスト10」というのはとても良い言葉だ。1994年にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高21位を記録した。
15. ギブス/椎名林檎
「カートみたいだから あたしがコートニーじゃない」というわけで、椎名林檎が2000年にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。90年代のオルタナティヴ・ロックがメインストリーム化したのを踏まえたシンガー・ソングライターが日本にも現れて、サブカル的な引きもあったが、そこにはすでに絶望していたのでどうでもよかった。
14. あの日にかえりたい/荒井由実
荒井由実が1975年にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。リアルタイムで聴いていたかどうかというと、これがよく分からないのである。しかし、翌年にリリースされたベスト・アルバム「YUMING BRAND」は旭川のレコード店でもよく見かけた(1977年以降のことだったけれども)。結婚してアーティスト名も松任谷由実になってからの方がリアルタイムでは印象が強いが恋愛のカリスマ的なイメージで、主に女性や男性でも金持ちが聴く音楽という印象があり、ほとんどちゃんと聴いていなかった。CD時代には過去の名作の発掘にはひじょうに便利であり、相模原のすみやで荒井由実時代のシングルベストを買って聴いて、これはいいやと思ったのであった。その頃、松任谷由実は「ダイアモンドダストが消えぬまに」を出した頃だったのだが、それの良さも急に分かったので、一気にユーミンブームが訪れたのであった。あと、同じぐらいの時期だと映画「私をスキーに連れてって」はわりと重要である。
13. 東京は夜の七時/ピチカート・ファイヴ
ピチカート・ファイヴは1985年の浪人生だった頃にラジオでデビュー曲の「オードリー・ヘプバーン・コンプレックス」を聴いて、何じゃこりゃと衝撃を受けて12インチ・シングルを買うのだが、1987年に渋谷のCSVで買った「カップルズ」にはソフトロックなんて知らなかったので、ロックな感覚がまったく感じられないフニャフニャとした軟弱な音楽だなと、その良さがまったく分からず完全な放置状態で、たまたまお金があったので久しぶりに買った1990年の「月面軟着陸」のエディット感覚にちょっとこれはとても良いのではないかと興奮したりといった、よく分からない接し方をしていたのだが、最高だったのは「ウゴウゴルーガ」にフィーチャーされていた頃だったと思う。CDは一切、買っていなかったが、付き合っていた女子大学生が持っていたので、抽象的なワンルームマンションではさんざん聴きまくっていた。そんな年の瀬こと1993年12月1日にリリースされたのがこの曲で、オリコン週間シングルランキングでは最高50位だったようだ。これも、いわゆるひとつの「渋谷系」アンセムなのだろう。
12. N.O./電気グルーヴ
「学校ないし 家庭もないし ヒマじゃないし カーテンもないし 花を入れる花ビンもないし 嫌じゃないし カッコつかないし」という歌詞にあらわれた、侘しさのようなものがたまらなく良い。よく知らないのだが、当初はもっとテクノっぽくはない曲だったらしい。10歳ぐらい年下の人たちと話をすると、「電気グルーヴのオールナイトニッポン」がいかに重要だったかということがよく語られるのだが、それがよく分からないのはまあ仕方がない。あと、「カーテン」の部分を「家電」だと思ってずっと聴いていた時期がある。1994年にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高21位を記録した。
11. C調言葉に御用心/サザンオールスターズ
特に1アーティストにつき1曲というルールを制定したわけでもないのだが、サザンオールスターズで1曲といえばどれかというのはわりと悩ましい問題で、人によっていろいろなのではないかという気がしている。小学生の時に「勝手にシンドバッド」でデビューして、テレビに出まくっているのを見ていたが、コミックバンドまがいの乱痴気感覚があり、次のシングルもなんとか売れるものの一発屋的に消費されて終わるのではないかと思いきや、「いとしのエリー」というすごく良いバラードで大ヒットである。その後も好きだったが、この時の印象がとにかく強い。この曲は1979年にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録したが、初期サザンオールスターズのお祭り感をやや残しながら、恋する男の侘しさ、情けなさというようなものも表現されている、それでいてなんとなくおしゃれという、当時の私がサザンオールスターズに感じていた良さの要素を凝縮したようなものになっている。ヒット曲の歌詞で自慰行為(Hand job)に言及した点も画期的であり、後の余裕をかましたオヤジギャグ的なシモネタではない、切実さが感じられてとても良い。
10. RIDE ON TIME/山下達郎
山下達郎が1980年にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。本人が出演したカセットテープのテレビCMでも流れていて、シティ・ポップ的なサウンドをお茶の間に届けた功績は計り知れない。
9. SOMEDAY/佐野元春
佐野元春が1981年にリリースしたシングルだが、当時はヒットしなかった。フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド的なアレンジで、ティーンエイジャーのリアリティーについて歌われているが、個人的に身に覚えがある歌詞も少なからずあり、刺さりまくっていた。この曲が収録されたアルバムがリリースされる少し前に高校に入学すると、同じく佐野元春が好きな女子や男子がたくさんいて、とても楽しかった。テーマは一貫してイノセンスであり、すれっからしの大人になった現在も、その影響は根本的なところで受け続けていると思う。
8. トランジスタ・ラジオ/RCサクセション
ポップ・ミュージックのことをいまだに適当に書いたりしているのだが、音楽そのものというよりは、人とのコミュニケーションの手段としての音楽が好きだったのだろうというようなことはよく感じている。RCサクセションについては、初めは忌野清志郎のボーカルがユニークすぎてあまり好きではなかったのだが、悪そうでカッコいい女子がRCサクセションを好んで聴いていたので、こういうのを好きになった方が良いのかもしれないと思って聴いているうちに大好きになっていた。この曲は授業をサボって学校の屋上で煙草を吸いながらトランジスタラジオを聴いているという内容で、「あぁ こんな気持ち うまく言えたことがない」というところが最高である。しかし、私はけしてそんなことをするようなタイプの学生ではなかった。そして、憧れていた。現在はこれが自由について歌った曲だったのだと思い、あれからずっと聴いている。1980年にリリースされ、オリコン週間シングルランキングでの最高位は83位である。
7. 君は天然色/大滝詠一
大滝詠一のことはまったく知らなかったのだが、1981年にラジオでよくかかっていて、爽やかで良い曲だなと思っていた。この曲が収録されたアルバム「A LONG VACATION」はジャケットも涼しげでとても良くて、オリコン年間アルバムランキングで2位になるほど売れまくっていた。流行最先端の音楽として聴いていたので、現在、これがシティ・ポップ、あるいは日本のポップス史における名盤としてどのように聴こえるのかについては、あまり分かってはいない。
6. PLASTIC LOVE/竹内まりや
竹内まりやが結婚、休養後に初めてリリースした1984年のアルバム「VARIETY」の収録曲である。この曲は12インチ・シングルでカットもされていたようだが、アルバムの中でそれほど特に印象が強い曲でもなかったような気がする。全体的にオールディーズっぽいイメージが強かったアルバムにおいて、アクセントとしての無機質で都会的な曲というような感じであった。山下達郎が1989年にリリースしたライブ・アルバム「JOY」でカバーしていて、そのエモーショナルなパフォーマンスに驚かされた。そして、それからまたしばらく経った後、YouTubeに違法アップロードされた音源が海外の音楽ファンから何度も再生され、日本のシティ・ポップ・リバイバルのシグネチャー的楽曲として知られるようになる。
5. テクノポリス/イエロー・マジック・オーケストラ
YMOことイエロー・マジック・オーケストラの2作目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のリリースは1979年9月25日、「テクノポリス」がシングル・カットされたのがその翌月、オリコン週間シングルランキングで最高位の9位を記録したのは翌年の夏だったような気がする。東京のことを「トキオ」と言っているのは、1980年の元旦にシングルがリリースされた沢田研二「TOKIO」とも共通している。あっという間に社会現象化していたのだが、一体、何がきっかけだったのかはいまだによく分かってはいない。時代の欲望とマッチしていたのだろうか。イエロー・マジック・オーケストラのレコードは多くの友人が持っていたため、私はプラスチックスを聴いていた。1981年の正月にお年玉でベスト・アルバム的なカセットテープは、こっそり買っていた。
4. ラブリー/小沢健二
小沢健二が1994年にリリースしたアルバム「LIFE」の収録曲で、後にシングル・カットされてオリコン週間シングルランキングで最高19位を記録した。フリッパーズ・ギターは大好きだったし、ソロ・デビュー曲の「天気読み」もわりと気に入っていた。しかし、この「LIFE」の頃のメディアに露出しまくってポップ・アイコン化して、渋谷系の王子様などとも言われていたらしき頃についていえば、眩しすぎてまったく付いていけなかった。おそらくフリッパーズ・ギターなどまったく聴いたことがないであろう、植田まさしの4コマ漫画に出てくるようなタイプの会社の先輩がパチンコの景品で「LIFE」のCDをもらい、カラオケで「ラブリー」を歌っていた。「OH BABY」のところで王貞治の一本足打法の真似をするのがお決まりである。すべっていた。しかし、こういうメジャーに広がっていった感じこそが面白いのであり、私がポップ・ミュージックを好きになった原点かもしれない。小沢健二が昨年にリリースしたアルバム「So kakkoii 宇宙」を私はとても気に入っていて、ソロになってから初めてCDを買ったのだが、それから遡って、「LIFE」の素晴らしさにもいまさらながらやっと気づくことができたという次第である。
3. DOWN TOWN/シュガー・ベイブ
山下達郎、大貫妙子らが所属していたバンド、シュガー・ベイブが1975年にリリースしたアルバム「SONGS」の収録曲で、シングルでもリリースされたようである。初めに1980年にEPOがリリースしたバージョンで聴き、これは翌年から放送が開始された「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマに起用されるのだが、そのオリジナルは山下達郎が昔やっていたバンドの曲だったという順番で知っていった。「暗い気持ちさえ すぐに晴れて 皆 ウキウキ」という部分が特に印象的だったのだが、80年代の初めにおいて暗いことは犯罪に等しいというようなムードがあり、けしてそう言われることにビクビクしながら、明るい性格を装っていたのであった。
2. 風をあつめて/はっぴいえんど
大滝詠一や細野晴臣が所属していた伝説のバンドで、松田聖子の歌詞なども書いている松本隆や、鈴木茂という何やらすごいギタリストもメンバーだったらしい、というような知識は一体、何で得たのだろうか。その音楽を初めて聴いたのは1983年かその翌年あたりのNHK-FM「サウンドストリート」だったのではないか。坂本龍一の日だったか渋谷陽一の日だったかはよく覚えていないのだが、佐野元春の日ではなかったような気がする。80年代からしてみると、フォークソングのようなサウンドだったのだが、これはどこか違うぞと思ったのであった。大学に入学してすぐに本厚木の丸井で生まれてはじめてのCDプレイヤーを買った後、CDソフトも何か買わなければと思い、本厚木のミロードにあったレコード店、新星堂か山野楽器だったような気がするが、そこで「はっぴいえんど」(1970年)と「風街ろまん」(1971年)の2タイトルが1枚に収録されているという便利きわまりないCDを購入した。2003年にアメリカでは公開されたソフィア・コッポラ監督の映画「ロスト・イン・トランスレーション」で、「風をあつめて」が使われていたのもよかった。高校生の頃にこの曲にインスパイアされて、「金をあつめて」というくだらない曲を作ったのだが、タイトル以外にはまったく何も覚えていない。
1. Automatic/宇多田ヒカル
相模原でCDなどを扱う仕事をしていた時にこのシングルが出て、いきなり大ヒットした。15歳の新人アーティストで曲も自分で書いていていると話題になっていた。1998年の暮れのことである。イントロを聴くだけで、その時の感じが甦ってくる。店内で何百回となく聴いていたからである。恋をしている時の心が震えるような感じをリアルに表現した楽曲であり、パフォーマンスは本物を感じさせるにじゅうぶんであった。オリコン週間シングルランキングでは最高2位だが、シングルCDが8センチと12センチと2種類出ていて、分散されていたからだろう。R&B的な曲を歌う主に女性アーティストが日本では台頭してきていて、その決定版という感じもあった。日本のポップ・ミュージックの水準を確実に上げたと思われる楽曲であり、セールスと評価とが高いレベルで両立していた幸福な例でもあるといえる。