2018年の夏にNegiccoを観るため新潟に行った時のことを思い出すだけの回について。 | …

i am so disapointed.

7月20日はNegiccoの結成17周年でTwitterのタイムラインが賑わっていて、とても良かった。先週は同じく新潟出身のアイドル・グループ、RYUTistが最新アルバム「ファルセット」をリリースしたわけだが、この内容が素晴らしすぎて、Twitterでの試聴会やオンラインサイン会への参加を含め、かなり頭がそのことでいっぱいであった。それと同時進行で、Negiccoの結成17周年に勝手に発表するための個人的に好きな曲ベスト17についていろいろやっていたりして、ほぼ新潟のアイドルのことばかり考えていた。

 

一昨年、2018年の7月21日にはNegiccoの15周年を記念するライブが新潟の朱鷺メッセで行われた。その日は土曜日であり、仕事柄、休みを取ることがひじょうに難しい。日程が発表された時点で、参加することはあきらめていた。

 

6月のある日、Twitterのタイムラインを見ているとNegiccoのリーダー、Nao☆が朱鷺メッセでのライブの告知を行っていたのだが、トキの被りもののようなものを着用して、ノリノリでポーズを取っている。それをKaedeが冷めた目で見ているという構図が、最高だった。引用リツイートだったかリプライだったかは忘れたのだが、それについて、カッコいいなというようなことをツイートしたところ、「朱鷺メッセ来て」とリプライが届いた。しかも、「笑」まで付いていた。

 

社内のあらゆる人脈を駆使し、調整に調整を重ねた末、20日から21日を休みにすることに成功した。やったぜ、ベイビー。新幹線とホテルの予約をして、Negiccoのこれまでの楽曲を改めて聴き直すというようなことをやっているうちに、20日の朝を迎えた。余裕を持って早めに家を出たのだが、案の定、東京駅に早く着きすぎた。Maxときに乗って、新潟に向かう。車内でTwitterのタイムラインを見ていると、長岡市の結婚式場の広告が表示されたりして、いよいよ新潟に来たのだな、という気分が盛り上がってきた。

 

「うまさぎっしり新潟」の横断幕的なものにすら、感動を覚える。もう何度目かになるので、迷うことなく万代口から出ることができた。まず目指すのは、万代口を出てわりとすぐのところにある、そばうどんという名前のそばとうどんの店である。以前にNegiccoのMeguがここのコロッケそばの写真をTwitterに挙げていて、それがとても良かったのである。当時、私は祖師ヶ谷大蔵の名代箱根そばをよく利用していたのだが、コロッケそばを注文したことはなかった。これをきっかけに食べてみたところ、コロッケそばならではの魅力というのをいまさらながらに知ることになり、それからよく注文するようになった。そして、新潟に行ったら絶対に、このそばうどんという名前のそばとうどんの店でコロッケそばを食べようと心に決めていたのだ。

 


レジのところにNegiccoのMeguとKaedeのサイン色紙が掲示されていて、早くもテンションが上がる。Negiccoは新潟の公共機関や企業の広告に使われていることも少なくはなく、街を歩いていると思いがけずポスターなどを発見することもある。ファンにとっては、街そのものがテーマパークのようでもある。コロッケそばそのものも、名代箱根そばなどのものとはまた違い、いろいろな野菜が入っていて美味しかった。

 

 

それから、万代シティを通り過ぎる時、左の方にレインボータワーが見えた。長年、新潟のシンボル的な役割を果たしてきたようなのだが、近々、取り壊しが決まっているという。私はその2年ぐらい前までその存在すら知らなかったにもかかわらず、なんだか名残惜しくなっているという、そのお調子者ぶりが自分でも嫌いではない、というか、むしろ積極的に好きだな、と思ったりしたのだった。

 

萬代橋を渡りながら、信濃川はやはり川幅が広いな、などと感じながら、目指しているのはRYUTist関連で名前をよく聞いて、気になっていた北書店である。Googleマップを見ながら難なくたどり着くことができたのだが、どうやらまだ開店していないようであった。わりと暑い日だったこともあり、残念だがこれは次の機会にしようと思って、宿泊するホテルがある万代シティの方まで歩いて戻った。

 

チェックインの時刻まで少し時間があったので、近くを散策したりしていた。Negiccoが2013年にリリースしたシングル「愛のタワー・オブ・ラヴ」のジャケットにはレインボータワーが写っているのだが、私が実際に見られるのもこれが最後なのだろうと思い、それと出来るだけ近い構図の写真を撮ろうと試みたりした。何枚か撮って、とりあえず納得できたので満足した。後ろを振り返ると信濃川で、夏服をした学生たちが青春を謳歌していて、良いものだなと思った。

 

 

万代バスターミナルにある立ち食いそば店、万代そばのカレーライスがとても美味しくて、来る度に食べている。NegiccoのMeguがこのカレーライスのことを語っている朝日新聞の記事の切り抜きが店内に貼られている。それから、万代バスターミナルにはイタリアンのみかづきもある。ソース焼そばにスパゲティーの具がかかったイタリアンというB級グルメが新潟にあることは以前からうっすらと知っていて、コンビニエンスストアのご当地フェア的なもので買って食べて、くどいのではないかという懸念があったのだがそうでもないな、と感じたりもしていた。みかづきは、ファストフード感覚のチェーン店である。夏野菜がたっぷり入った期間限定のやつがあったので、今回はこれとフライドポテトとコーラのセットをいただいた。バスターミナルのカレーは、翌日にでもいただこうと思った。

 

 

ホテルにチェックインして、Negiccoが出演する「八千代ライブ」というテレビ番組を観ようと思ったのだが、まだ時間がある。それでまた、万代シティから新潟駅を散歩したりして過ごした。ヨドバシカメラでは、店頭の時点でNegiccoを猛烈に推していた。ローソンで亀田製菓のサラダホープと、セイヒョーのもも太郎を買った。それぞれ、めちゃくちゃ美味しいあられとアイスである。

 


ホテルの部屋に戻って「八千代ライブ」を観はじめると、Negiccoがテレビで普通に「サンシャイン日本海」を歌っている。すごい。贅沢である。生出演でがっつり特集、リラックスしている感じもとても良い。この日の夜に古町商店街の特設ステージでNegiccoのフリーライブが行われることになっていたのだが、会場のすぐ近くにあると思われる居酒屋に事務所社長でマネージャーの熊さんがいて、そうとはバレていない体で生出演していた。この番組が終わって少しした後に、実際その辺りに行くのだというライブ感もたまらない。番組ではリーダーのゆるいボケや、それを対処する他のメンバーの姿も見ることができ、これだけでも新潟に来た価値があるとさえ思えた。

 

それからホテルを出て、古町の方に向かうのだが、まずはRYUTist「青空シグナル」のミュージック・ビデオでともちぃこと宇野友恵が本を読んでいたコインランドリー寿を聖地巡礼した。ビデオに映っていたのと同じで、軽く感激した。それから、Twitterのタイムラインで見かける料理の写真がことごとく美味しそうで、ずっと気になっていたかき忠さんという店に行った。外観からして高級感がどことなく漂っていて、これはもしかしてカジュアルに利用できるタイプの店ではないのではないか、とも思ったのだが、RYUTistのメンバーが普段からよく来ているというようなことも書かれていたので、そんなこともないのかもしれない、と思ったりもした。店頭には、古町の芸妓の写真が貼られている。いずれにせよ、せっかくここまで来たのだからと入ってみたところ、大衆性と気品の黄金比とでもいえるような雰囲気で、NegiccoやRYUTistといったアイドルのポスターなども貼られているのだが、とても上品な感じであった。

 


リーズナブルで人気メニューだという千両箱弁当というのを注文したのだが、クオリティーとコストパフォーマンスがえげつない。あら汁のようなものは魚介の風味たっぷりだし、天ぷらはカラッと揚がっていて具材も美味しいし、刺身は北海道の日本海沿岸の町で暮らしていた幼少期に食べていた味を思い出すレベルだったし、ご飯の味わいにも素晴らしいものがある。いやー、新潟やっぱり最高だな、などと思いながら、古町商店街の特設ステージのところに行った。とにかく、すごい数の人々が集まっている。正直、この夜にフリーライブを行うメリットというのは、商業的にはそれほど無いような気もするのだが、リーダーの強い要望があって実現したというような感じだったと思う。

 


ライブの前に商店街の人の話があったのだが、昔からNegiccoが成長する過程をずっと見てきたからこそのコメントであり、早くも場内にエモさが広がっていく感じであった。マネージャーの熊さんも、こんなにも人が集まったということで、やや興奮気味のようにも思えた。そして、Negiccoが登場し、ライブが繰り広げられた。地元にゆかりのある曲や新曲、代表曲などを織り交ぜ、とても盛り上がった。パフォーマーとオーディエンスと関係者との感情が、一体化しているかのような感覚もあった。

 

ライブが終わった後、熊さんがもしも可能ならという感じで、水害の被害者に対する義捐金を募ったのだが、かなりの数の人々が列に並んで、それに応じていた。熊さんは1人ずつに感謝を告げ、握手をするのだが、その力が強い。これがNegiccoの強さなのだろうな、と思ったりもした。

 


夜の萬代橋を渡っていると、遠くに朱鷺メッセが見えた。明日、あそこでライブが行われるのだなと思いながら、ホテルの部屋に戻ってブログの文章をiPhoneで打った。夕食を早めに取ったこともあって、夜遅くなってから空腹感に襲われた。「八千代ライブ」の再放送までにはまだ少し時間があったので外に出て、ローソンでせっかく新潟に来たのだからと、たれカツ丼と栃尾の油揚げと新潟限定の缶ビールを買った。「八千代」ライブは二度目に観ても、やはり面白い。

 


翌朝、新潟駅の近くで土産を買い、コインロッカーに預けた。万代そばでバスセンターのカレーを食べていると、以前からなにかとお世話になっていた関東のNegiccoファンの方がスーツ姿で現れた。たったいま、新幹線で新潟に着いたばかりなのだという。その後、古町商店街のイベント会場的なところで行われることになっていた、NegiccoファンによるDJイベント的なものには参加する予定になっていたので、一緒にバスに乗って古町に向かった。乗れはしなかったが、Negiccoのラッピングバスも見ることができたので良かった。

 


Negiccoのファンには音楽ファンも多いだけあって、DJイベントはひじょうに充実したものであった。途中でゲストによるライブなどもあった。ここで、実は海水浴場まではそれほど遠くはないという貴重な情報をお世話になっているファンの方から得て、それならばこれは行くしかないということで、一緒に商店街を少し散策した後で、バスに乗って関屋浜というところに行った。

 

子供の頃に泳ぎに行っていた海水浴場を思わせるような懐かしい気分にもさせられ、これはかなり良いぞ、夏最高だなと、もう大興奮である。海の家のようなもののことを、新潟では浜茶屋と呼ぶらしいのだが、そこで買ったビールを飲んだりしながら、ライブを前にしてすでに充実した気分になっていた。

 


それから、バスで古町の方に戻り、札幌からやって来たNegiccoファンの方とも合流して、少し歓談した後で、タクシーで朱鷺メッセに向かった。店のスタッフなど、新潟ネイティブの方と話をする機会が何度かあったのだが、Negiccoのことは知っているのだが、東京から観に来たというと、どうして東京の人がNegiccoを知っているんですか、というような反応が返ってくる。これは、職場にアルバイトで来ている新潟出身の大学生などにも言えることである。

 

朱鷺メッセは信濃川に面していて、夕暮れ間近のリバーサイドの良い感じの景色と風を楽しむことができる。会場では90年代のインディー・ロックのめっちゃ良い曲、プライマル・スクリームだとかペイヴメントだとかチャプターハウスだとかが、次から次へとかかっている。席に着き、開演を待っていて気付いたのだが、実はわりと疲れていた。このライブが目的で新潟に来たのに、それ以前にはしゃぎすぎてしまうというよく分からないことになっていた。

 

 


それでも、ライブはこれまでのNegiccoの集大成ともいえる、実に充実したものであった。その後は万代シティのホテルの宴会場で、ファンによる大規模な打ち上げのようなものが予定されていた。出てくる料理は新潟名物が中心、企画も趣向が凝らされていて、とても楽しむことができた。新潟だったりそれ以外だったり、古参だったり新規だったり、Negiccoのファンには様々なレイヤーがあるように思えるのだが、その多様性を肯定し、お互いを尊重し合っているようなところが素晴らしいと思えた。

 


この日はホテルの部屋はもう予約していなかったので、新潟駅前のインターネットカフェで数時間、寝た後、始発の新幹線で東京に戻った。その日の午後には、仕事に行かなければならなかった。

 


その後、11月の中野サンプラザには行けたものの、それから環境が地獄のような状態になり、ライブやイベントに行けるような状況ではまったくなくなった。今年はやっとその状況から脱することができたのだが、その時には新型コロナウィルスの影響でライブやイベントは行われないし、東京から他府県への移動も可能な限り避けなければいけないような状況である。

 

Negiccoの結成17周年やRYUTistの最新アルバム「ファルセット」が素晴らしすぎることによって、新潟に行きたい気持ちがマックスになっているのだが、実際には行くことができない。RYUTistの9周年記念ライブの配信が24日にあるということなので、1日だけ残っていたゴールデンウィーク休暇の振り替えを泣きながらこの日にしてもらい、チケットを買った。Negiccoのアコースティックライブ配信のことを知ったのはその後だったのだが、さすがにその日まで休むことはできない。翌週にアーカイブでも視聴可能ということだったので、チケットは購入した。

 

このような状況なので、一昨年のちょうどいまごろに新潟に行った時のことを出来るだけ思い出し、束の間の現実逃避をするという、今回は純粋にただそれだけの回である。