1983年7月2日付の全米アルバム・チャートで印象的な10枚。 | …

i am so disappointed.

人生の様々な局面において、その時なりの音楽の楽しみ方をしてきたわけだが、あの頃の方が良かったかというと必ずしもそうではないかもしれないものの、やはり高校の教室だとか放課後の街で友人と音楽の話をしていた頃というのはわりと印象に残っている。そして、1983年というのは全米ヒット・チャートの様子が変わっていく過渡期という側面もあり、振り返ってみてもなかなかおもしろい。

 

今回は1983年7月3日付の全米シングル・チャートではなく、アルバム・チャートで100位以内にランクインしていたものの中から印象深い10枚を選び、カウントダウンしながら当時の記憶やその後の印象などについて、適当に書いていきたい。

 

では、どうぞ。

 

10. KISSING TO BE CLEVER/CULTURE CLUB

 

カルチャー・クラブのデビュー・アルバムで、邦題は「ミステリー・ボーイ」であった。帯には「男がいる。女がいる。・・・・・・そしてミステリーが生まれれる」と書かれていた。

 

ヴォーカリストのボーイ・ジョージが美しいのだが、実は男性、というところが最大の話題であった。旭川のESTAで放課後に東神楽町から汽車で通学していた女学生たちもそう言って盛り上がっていた。

 

「君は完璧さ」は名曲だが、次にヒットした「タイム」はイギリスや日本ではデビュー・アルバムの後にシングルとしてリリースされた。アメリカ盤にはこれも入っていて、シングル・カットのかたちで2曲連続して全米週間シングル・チャートで最高2位を記録した。

 

ソウル・ミュージックから影響を受けた音楽性とボーイ・ジョージのヴォーカルが魅力的だったが、やはりヴィジュアルのインパクトが強烈であり、アメリカでのブレイクには1981年に開局した音楽専門のケーブルテレビチャンネル、MTVが勢力を増し、ヒット・チャートに影響をあたえるようになっていたこととも深く関係していたと思われる。

 

 

 

9. H2O/DARYL HALL & JOHN OATES

 

80年代前半で最も数多くのNO.1ヒットを記録したアーティストといえば、このダリル・ホール&ジョン・オーツであった。1982年の秋にリリースされたこのアルバムは、ソウル・ミュージックからの影響が特に強くあらわれていて、R&Bチャートでも上位にランクインしていたはずである。

 

まったくの余談だが、タイトルの「H2O」といえば水の化学式だが、この年にはテレビアニメ「みゆき」の主題歌「想い出がいっぱい」を、H2Oというデュオがヒットさせた。大人の階段のぼる、君はいまシンデレラさ。

 

 

 

8. SPEAKING IN TONGUES/TALKING HEADS

 

文化人的な人たちからわりと高い人気を得ていたような印象があるトーキング・ヘッズも、「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」のヒットによって、手の届く場所まできた、という感じがしていたこの頃である。

 

デヴィッド・バーンのパラノイアックな雰囲気やパフォーマンスなどが、現代人のストレスをあらわしているというようなことが、言われていたようないなかったような、どうにもあいまいな記憶があったかもしれないし、なかったかもしれない(どないやねん)。

 

 

 

7. RIO/DURAN DURAN

 

カルチャー・クラブ「君は完璧さ」とデュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」のヒットが、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの本格的な到来を告げた。

 

実はこの週にはデビュー・アルバムの方が上位にランクインしていたのだが、それは「プリーズ・テル・ミー・ナウ」がシングル・カットされて、ヒットしていたからであった。

 

ニュー・ロマンティクスなどと呼ばれていて、美少年たちがシンセサイザーが印象的なキャッチーなニュー・ウェイヴをやっていた。シリアスなロック・ファンからはあまり快く思われていなかったようなところもあったが、私はシリアスなロック・ファンではまったくなかったので、大好きだった。

 

 

 

6. LET'S DANCE/DAVID BOWIE

 

カリスマ的な大物スターで、ロック史における功績もひじょうに大きいといわれていたが、現役であったために伝説化もされず、いまひとつよく分からなかった。ナイル・ロジャーズがプロデュースしたこの作品もカッコいいとは思ったが、革新性などはあまり感じていなかった。

 

後に旧作を聴いていく中でリスペクトは深まるのと同時に、イギリスのニュー・ウェイヴ系のヴォーカリストは低い声で歌いがちだという印象があったが、どうやらデヴィッド・ボウイに影響を受けているようだ、というようなことが分かっていった。

 

 

 

5. WAR/U2

 

アイルランド出身のロック・バンド、U2はアメリカではまだヒット・シングルがなかったが、アルバムは売れていた。そして、日本でも旭川の高校の体育準備室で、調子に乗った男子生徒が「U2聴いてユーウツになるよりいいべ」などと口走る程度には、主にロック・ファンには知られていた。ヴォーカルとギターの個性が、とにかく印象的であった。

 

 

 

4. 1999/PRINCE

 

批評家から高い評価は受けていたが、いまひとつ一般的に広がるまでには至っていなかったプリンスが、「リトル・レッド・コルヴェット」で初のトップ10入りを果たし、いよいよ時代が到来といえるレベルにまでなる直前のアルバムである。

 

クセがすごいのが特徴ではあるが、音楽性がよりポップになり、ファンの趣味嗜好はよりマニアックになり、その程よいポイントで幸福に出会ったとでもいえそうなハマり具合であった。

 

 

 

3. SYNCHRONICITY/THE POLICE

 

ポリスのなんとなくのイメージというのは、レゲエっぽいニュー・ウェイヴをやっているバンド、というようなものであった。湯川れい子が歌詞を書いた「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」の日本語ヴァージョンなんていうのもあった。

 

結局、バンドとして最後のアルバムになってしまった「シンクロニシティ」の先行シングルは「見つめていたい」で、ラジオで聴いた友人と今度のポリスは大人っぽくておしゃれだ、というようなことを言っていた。

 

しばらく純粋なラヴ・ソングだと誤解されがちだったが、後にスティング自身の発言もあって、ストーカー的な一般的にけして芳しくはない感情について歌われたものだという認識が共有された。

 

カール・グスタフ・ユングの心理学からの影響がどうとか言われていたが、日本はニュー・アカデミズム・ブームでもあった。

 

 

 

2. MURMUR/R.E.M.

 

R.E.M.のデビュー・アルバムで、「ローリング・ストーン」の年間ベスト・アルバムに選ばれたことで話題になった。

 

時代のトレンドとはまったく無関係な、60年代的なロック・サウンド、アメリカ人にもなにを歌っているのかよく分からない感じなどが特徴だともいわれていたような気がする。

 

当時、シングルもまったくヒットしていなかったので、私にも馴染みがほとんどなかったのだが、アルバムはそこそこ売れていたようである。日に大好きなバンドになるものの、当時は聴いたことがなかったし、周りでもまったく話題になっていなかった。

 

 

 

1. THRILLER/MICHAEL JACKSON

 

1982年の12月にリリースされたマイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」からの先行シングルはポール・マッカートニーとデュエットしたAOR的な「ガール・イズ・マイン」だったが、年が明けて「ビリー・ジーン」「今夜もビート・イット」が立て続けに1位を記録した。

 

「今夜もビート・イット」にはエドワード・ヴァン・ヘイレンが参加していたが、アルバム全体としてソウルやR&Bのジャンルを超え、ロックやポップのリスナーにも強くアピールした。MTVではそれまでソウルやR&Bのビデオはほとんどかからなかったと言われているが、この作品がその常識を打ち破った。

 

ヴィジュアルを重視したこの「スリラー」や、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブなどをはじめとする第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン勢のブレイクによって、全米ヒット・チャートの雰囲気が大きく変わりはじめたような印象がある。