いまからちょうど40年前、1980年6月28日付の全米シングル・チャートの中から好きな10曲をピックアップしてランキング化、カウントダウンしながら適当な思い出などをグダグダ書いていくだけの回である。
ちなみにこの頃の日本のヒット・チャートでは、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」がずっと1位で、山下達郎「RIDE ON TIME」がオリコン週間シングルランキング最高3位で、後にシティ・ポップと呼ばれるタイプのサウンドをお茶の間化(カセットテープのテレビCMでよく流れていた)、田原俊彦が「哀愁でいと」でレコード・デビューと同時に大ヒット、アイドル・ポップスの復権を鮮やかに印象づけた(田原俊彦の「ザ・ベストテン」初登場は、私が生涯でリアルに体験したポップ・モーメントの中でもかなりの上位に入るような気がする)。
10. BIGGEST PART OF ME/AMBROSIA
当時、この曲をちゃんと認識していたかというとしていないのだが、なんとなくラジオで流れているのを聴いたことがあるような気はする。2003年ぐらいにAORのコンピレーションCDが出てそこそこ売れて、それまであまりまともに振り返られることがなかったAORにスポットが当たった。当時、中学生だった私にとっては少し年上の若い大人たち、それも都会の人たちにうけている音楽という印象で、田中康夫「なんとなく、クリスタル」の世界である(出版されたのはこの翌年だが)。パンク/ニュー・ウェイヴ的な価値観に自分自身をアイデンティファイしようとしていた時代には、こんな音楽にはまったく興味がないふりをしていたが、やはり抗いがたい魅力を感じてしまい、いまやヨット・ロックとしての再評価もあったので、好きだと堂々といえるわけである。
9. CARS/GARY NUMAN
日本ではイエロー・マジック・オーケストラの社会現象的な大ブレイクによって、テクノブームが巻き起こっていたのだが、海外のアーティストではクラフトワークやこのゲイリー・ニューマンがテクノだといわれていた。
8. FUNKYTOWN/LIPPS, INC.
ディスコ・ポップとして大ヒットして、旭川の街中でも耳にすることがあった。グループ名は「リップ・シンク」、つまり「口パク」のもじりである。当時はパンク/ニュー・ウェイヴではなく、テクノ/ニュー・ウェイヴという分類がしっくりくるような時代でもあったのだが、この曲はあくまでディスコ・ポップだったような気がする。しかし、いま聴くとじゅうぶんにテクノ・ポップっぽくもあるな、と思ったりもするのである。
7. JO JO/BOZ SCAGGS
ボズ・スキャッグスのアルバム「ミドル・マン」からのシングル・カット曲である。ボズ・スキャッグスはAORの代表的なアーティストで、AORは当時、年上の最先端の若者たちの間で最もホットな音楽だったので、もちろん憧れた。
6. BRASS IN POCKET/PRETENDERS
元「NME」のライターでもあったクリッシー・ハインドがヴォーカルのバンド、プリテンダーズのデビュー・アルバムに収録されていた。エルヴィス・コステロなどと共に、趣味の良いロック・ファンが好んで聴くアーティストという印象を持ったのはこの少し後で、ヒットした当時はまったく知らなかった。2003年の映画「ロスト・イン・トランスレーション」において、スカーレット・ヨハンソンが東京のカラオケボックスでこの曲を歌うのを観てから、またグッと好きになった。
5. SAILING/CHRISTOPHER CROSS
緑色のジャケットにフラミンゴが載ったデビュー・アルバム「南から来た男」のジャケットは当時、おしゃれアイテムにもなったほどである。西海岸の一流ミュージシャンが多数参加してつくられたAORサウンドと、クリストファー・クロスのハイトーンなヴォーカルが時代が求めるものと合致していたのだろう。大ヒットした上に、翌年のグラミー賞では主要4部門を独占したことで話題になった。容姿を公開しなかったのは戦略でもあったらしいのだが、公開してから人気が激減したという説については、ルッキズムに反対の立場を取る私としては言及することがなかなかしんどいところもあるのだ。
4. MAGIC/OLIVIA NEWTON-JOHN
「グリース」と「フィジカル」の間の、オリヴィア・ニュートン・ジョンが清純派的なイメージからよりアダルトでセクシュアルな方向性にシフトするど真ん中あたりの曲で、映画「ザナドゥ」のサウンドトラックに使われ、1位を記録した。
3. CALL ME/BLONDIE
ニュー・ウェイヴとディスコ・ポップとの差は当時の東京においてはわりとよく分かってはいなかったのではないだろうか、などと言っていたことが発覚するといろいろ各方面から攻撃を受けるので割愛するが、当時、原宿の歩行者天国に集う若者たちをもこの曲が踊らせたことは、紛れもない事実である。
2. IT'S STILL ROCK AND ROLL TO ME/BILLY JOEL
妹が通っていた旭川のひまわり幼稚園で運動会があり、もちろん家族で応援に行っていたのだが、途中で飽きて家に帰り、水風呂に入ってから自転車で旭川の市街地に行き、倉田まり子の「ストーミー・ウェザー」と一緒に買ったビリー・ジョエル「ニューヨーク52番街」が私にとってはじめての洋楽のアルバムだったが、その後、わりとすぐに最新アルバムの「グラス・ハウス」も買った。「ロックンロールが最高さ」はこのアルバムから2枚目のシングルとしてカットされ、意外にもこれがシングル・チャートではビリー・ジョエルの初めての1位獲得曲となった。ニュー・ウェイヴという言葉の解釈はアメリカとイギリスとではわりと異なっているような印象があるのだが、ザ・ナックなどをも含めたアメリカでのそれに照らし合わせるならば、これでもかなりニュー・ウェイヴに寄せたようにも思われ、その絶妙な感じがアメリカの一般市民にもうけたのではないかと思われる。
1. COMIG UP/PAUL McCARTNEY
ポール・マッカートニーのソロ・アルバム「マッカートニーⅡ」からのシングル・カットで、全米シングル・チャートの1位に輝いたが、それはイギリスや日本などの盤ではB面に収録されていたライヴ・ヴァージョンをアメリカではA面にしての結果であった。当時はあまり芳しい評価を得てはいなかったような気もするが、近年にはベドルーム・ポップを先がけてやっていたというようなふうにしても、わりと評価されている印象である。あと、私が旭川の中学校の近くにあった時計店で、はじめて買った洋楽のレコードでもある。この時点で私はビートルズですらまだちゃんと聴いてはいないので、単純にラジオで聴いてカッコよかったから、このレコードを買った。また、ポール・マッカートニーはこの年のはじめ、来日公演が予定されていたが、成田空港で麻薬所持が発覚し、逮捕されて「オー、ミステイク」という言葉について、道新こと北海道新聞でも報道されていた。そんなある意味において犯罪者ともいえるアーティストのレコードを買うという行為にも、この年代特有のマイルドな大人への反発心を満足させるようなところがあった。









